第77話 聖女と騎士
――メフィストの、言うとおりだった。
聖女の地位。信仰。奇跡。
そんなものに縛られて、一番大切なものを、一番かけがえのないひとを。
自ら切り捨てたのは、自分だ。
カナリアは、聖女に選ばれた日を、思い出す。
飢えた村。
熱病で死んでいく子どもたち。
泣き続ける母親。
あの日。
苦しむ子どもの額へ触れた瞬間。
熱が、下がった。
神官たちは、“奇跡”だと言った。
おまえは、人を救えるのだと。
嬉しかった。
誰かを救えることが。
必要とされることが。
だから、祈った。
学んだ。
回復魔法を磨いた。
もっと、多くの人を救いたくて。
なのに。
「図星だろう」
メフィストの声が、さらに低く落ちる。
「だが、その奇跡も、もう終わる」
「・・・え?」
「おまえの回復魔法は、汚染されている」
カナリアの瞳が見開かれた。
「神殿の地下庭園で、草原から持ち込まれた植物が栽培されている」
「植物?」
「月白花という」
ゲッパクカ。
その名を聞いた瞬間。
カナリアの背筋へ、冷たいものが走る。
異民街の薬師――静蘭。
ラゴウ王妃が手配してくれた女が、調べていた毒花の名。
「月白花は、人の感覚と神経を異常に活性化させる」
淡々と。
まるで事実を読み上げるように、メフィストは続けた。
「本来、回復魔法は、治癒力を促進する程度のものだ」
「熱を和らげる」
「痛みを軽減する」
「生命力を整える」
「それだけだ」
カナリアの肩が、震える。
「だが、月白花を用いれば、“奇跡”に見えるほど増幅できる」
「……っ」
脳裏へ、記憶が蘇る。
祈りの前に飲まされていた薬湯。
焚かれていた香。
治癒を受けたあと、涙を流しながら縋りついてきた患者たち。
恍惚とした目。
何度も。
何度も。
“聖女の癒し”を求めてきた人々。
「そんな・・・」
声が、掠れる。
「神殿は、回復魔法を“救済”へ変えた」
「いや」
メフィストの瞳が、冷たく細まる。
「依存へ変えた」
外で、鐘が鳴る。
遠く。
低く。
まるで、沈みゆく王都そのものの悲鳴のように。
カナリアの指先が、震えていた。
では。
自分が救ったと思っていたものは。
奇跡ではなく。
麻薬と、陶酔と、信仰による支配だったのか。
メフィストは、静かに続ける。
「シュイ王女を正妃に迎える」
「そして聖女を側妃に置く」
淡々と。
もう決定事項であるかのように。
部屋の外に控えていたガレスの眉間が、険しく寄る。
――草原。
――神殿。
その両方を、王権へ組み込む気だ。
草原軍。
交易。
神殿信仰。
バラバラだった力を、全部ひとつへ集める。
それが、メフィストの国家だった。
「・・・この子を、利用する気なのね」
カナリアが、自らの腹を抱く。
メフィストは、わずかに首を傾げた。
「利用ではない」
静かな声。
「わたしの血を引く子は、レザリア王家の血脈を継ぐ存在だ」
「幸いにも、兄上とラゴウ王妃の間には、まだ子がいない」
「おまえが生む子は、次代の象徴になる」
低い声が落ちる。
「洪水で土地が沈み」
「疫病が広がり」
「物流は止まり」
「王都は崩れかけている」
「これから必要なのは、“ひとつの意志”だ」
「神殿も」
「草原も」
「王家も」
「全部、中央へ統合する」
その瞳には、迷いがなかった。
恐ろしいほどに。
――この男は、本気だ。
カナリアは、戦慄する。
わたしを愛しているからではない。
ただ、必要だから。
国を生かすために。
王国を、ひとつへ縫い合わせるために。
そのためなら。
神殿も。
腹の子も。
信仰さえも。
王権の一部へ変えるつもりなのだ。
◇ ◇ ◇
数日後。
大神殿、円卓会議。
大司教たちが並ぶ中、メフィストは静かに告げた。
「聖女カナリアの腹の子は、わたしの血を引く子である」
ざわめきが広がる。
神殿と王家。
その血が結ばれる意味を、誰もが理解していた。
次代の正統性。
宗教的権威。
王権。
すべてを繋ぐ、“奇跡の子”。
だが。
「異議があります」
低い声が、響く。
全員の視線が動く。
ガレスだった。
騎士は、まっすぐ前へ進み出る。
「聖女の腹の子の父親は、わたしです」
空気が止まる。
カナリアが、息を呑んだ。
メフィストの暗い青眼が、静かに細まる。
ガレスは跪かない。
逃げもしない。
「責任は、すべてわたしが負います」
会議室が、ざわめきに包まれた。
◇ ◇ ◇
夜。
神殿の回廊。
カナリアは、震える声で言った。
「・・・どうして、あんな嘘を」
ガレスは、しばらく黙っていた。
やがて。
「わたしは騎士であり、レザリア王アレクシス陛下直轄の近衛兵士です」
短く答える。
「騎士長のルシアン様に。そして、陛下にも。・・・聖女様を、お守りすると約束しました」
カナリアの瞳が、揺れる。
ガレスは、目を逸らさなかった。
「聖女が政略のために利用されるのを、見過すわけにはいきません」
静かな声だった。
ガレスは、知っていた。
高官の家柄に生まれ、信仰深い母は幼いガレスを連れて足しげく教会に通った。
祭壇の傍らに、いつも美しい少女が凛として立っていた。
カナリアという名前だと知った。
当代一の聖女候補の少女なのだと。
自分より年下のはずのその少女は、いつも堂々として、穏やかな笑みを絶やさなかった。
なんとなく、目が少女の存在を追った。
だからこそ、知っていた。
祈りのあと。
聖女の指先が、わずかに震えていたことを。
香を絶たれた患者たちが、錯乱したように“奇跡”を求めることを。
回復魔法を使うたび、カナリア自身の顔色が悪くなっていたことも。
そして、今となっては。
神殿は、もう彼女を“聖女”としてしか見ていない。
女としても。
母としても。
人間としても。
生かす気がない。
だから。
あの瞬間。
ガレスは、前へ出た。
遠くで、王都の鐘が鳴る。
窓の外には、草原軍の篝火が、王都外周を囲んでいるのが見える。
カナリアの細い指が、自らの腹を撫でる。
「・・・この国は、もう・・・」
――最後までは、言えなかった。
第77話「聖女と騎士」を読んでくださり、ありがとうございました。
今回は、カナリアにとって、とても残酷な回でした。
人を救いたくて手に入れた力。
誰かのために磨いてきた奇跡。
そのすべてが、知らないところで“支配”に利用されていた。
カナリアは、ようやくその事実へ触れます。
そして今回、ガレスも大きく動きました。
不器用ですが、まっすぐな騎士です。
だからこそ、“聖女”ではなく、“ひとりの女性”としてカナリアを守ろうとしたのだと思います。
一方で、メフィストもまた、本気です。
崩れていく国を前に、彼は彼なりの正しさで動いています。
ここから、兄弟の思想の違いも、さらに強くぶつかっていきます。
次回も、楽しんでいただけたら嬉しいです。




