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第76話 新しい都市を夢見る

 第76話 新しい都市を夢見る


 岩壁の裂け目から、外気が流れ込んでくる。

 湿った薬湯の熱とは違う。

 冷たい。

 泥と、水と、壊れた土の匂いだった。

 ラゴウは、ゆっくりと湯治洞の外へ出る。

 朝靄の向こう。

 フェルン村は、変わり果てていた。

 大地が、裂けている。

 ナイルートの逆流が削った跡だ。

 濁流は村を横断し、家屋を押し流し、巨大な岩すら動かしていた。

 倒れた木々。

 泥へ半分埋まった荷車。

 崩れた石壁。

 水が引いたあとには、黒い泥が残されている。

 その上を、裸足の子どもたちが歩いていた。

 遠くでは、まだ川が唸っている。

 ごう、と。

 まるで、地の底で獣が眠っているみたいに。

 ラゴウは、しばらく黙って景色を見ていた。

 その隣へ、足音が並ぶ。

 王は、静かにフェルンを見渡す。

 壊れた村。

 濁流の跡。

 泥に沈んだ畑。

 そして。

 生き残った人々。

 水を運ぶ者。

 瓦礫を退かす者。

 火を起こす者。

 絶望しながらも、まだ手を動かしている。

 アレクシスが、低く呟く。

「・・・港が作れますね」

 ラゴウが顔を上げる。

「は?」

「逆流で、地形そのものが変わった」

 アレクは、崩れた崖の先を指差した。

 濁流が削った新しい水路。

 川幅が広がっている。

「ここへ船を通せるようになれば、草原とレザリアを直接繋げられる」

「馬だけじゃない。塩も、鉄も、薬草も動く」

「フェルンは、水運の中継地になれる」

 ラゴウは、しばらく黙る。

 目の前には、死にかけた村がある。

 なのに。

 この男は、その先を見ている。

「・・・アンタ、本当に王だな」

「惚れなおしましたか?」

 淡く笑う。

 ラゴウはくすりと笑って、小さく息を吐いた。

 風が吹く。

 泥の匂い。

 血の匂い。

 生き残った人間たちの匂い。

 その中で。

 ラゴウは、ゆっくりと前を見る。

「草原の民は、冬を越えられる土地を」

「レザリアは、水路と交易路を欲している」

「ならば」

 崩れたフェルンの大地を見つめたまま、王は言う。

「ここを、“奪い合う土地”ではなく、“行き交う土地”に変える」

 アレクシスが、静かにラゴウを見る。

 赤い髪が、朝の風に揺れていた。

「・・・いいな、それ」

 低い声。

「では、一緒に作りましょう」

 王が言う。

「新しい街を」


 ナイルート川の逆流は、ひとつの村だけを呑み込んだわけではなかった。

 濁流は支流を遡り、地下水脈を揺らし、王都へ繋がる水路を濁らせた。

 河港は止まり、物流は滞り、疫病は広がる。

 レザリアという国家そのものが、ゆっくりと沈み始めていた。

 その危機を前にして。

 王と王弟は、それぞれ異なる未来を見た。

 メフィストは、“統合”。

 草原。

 神殿。

 王権。

 水運。

 ばらばらに存在していた力を、ひとつの中央へ集約する。

 強大な国家だけが、この災厄の時代を生き残れると信じていた。

 だから彼は、草原のシュイ王女を正妃に迎え、神殿の聖女を掌握しようとする。

 民族も信仰も越え、すべてを王権の下へ組み込むために。

 一方。

 アレクシスは、“共存”。

 草原は、草原のまま。

 レザリアは、レザリアのまま。

 互いを征服するのではなく、ゆるく繋がりあう未来を。

 国境を消すのではない。

 国境の上へ、新しい道を作ろうとしていた。

 フェルン。

 洪水に呑まれた辺境の村。

 だが同時に、ナイルート水系と草原交易路が交わる土地。

 アレクシスは、その地を、武装を持たぬ交易都市へ変えようとする。

 略奪ではなく交易を。

 支配ではなく往来を。

 奪い合うためではなく、生き延びるために。

 だからこそ。

 王都で権力争いが激化していく一方で、王はフェルンに残った。

 泥に沈んだ家屋を片づけ、疫病患者へ薬湯を配り、水路を引き直す。

 そして、避難民のための仮設小屋を作った。

 王でありながら。

 ひとりの人間として。

 ラゴウと共に、崩れかけた土地へ立ち続けていた。


 ◇ ◇ ◇


 メフィストが王都へ戻った、その日の夜だった。

 神殿の回廊は、異様な静けさに包まれていた。

 白い石床。

 閉ざされた窓。

 甘く、冷たい香。

 外では、疫病患者を運ぶ荷車の音が絶えない。

 河港は止まり、物資は滞り、王都の空気そのものが腐りはじめている。

 それなのに。

 神殿の奥だけは、まるで別世界のように静かだった。

 磨き上げられた白壁。

 揺れる燭台。

 祈りの香。

 死の気配を、香で塗り潰しているようだった。

 その奥。

 聖女の私室の扉が、静かに開く。

 カナリアが、視線を上げた。

 顔が、みるまに蒼白になる。

「・・・メフィスト」

 淡い金の髪。

 青眼。

 王弟は、何事もなかったように、部屋へ入ってくる。

 長い沈黙。

 やがて。

「待たせたな」

 低い声だった。

 カナリアの睫毛が揺れる。

「・・・なんですって?」

 メフィストは真っ直ぐ彼女を見た。

 その視線が、一瞬だけ、カナリアの腹へ落ちる。

 まだ目立たない。

 だが。

 そこには確かに、新しい命がある。

「公表する」

 静かな声。

「その子が、わたしの子であると」

 空気が、凍った。

「・・・わたしを置いて、王都から逃げたくせに」

 カナリアの声が震える。

「はじめてあなたに抱かれた、あの夜の子だと知っていながら・・・ほかの女と婚姻の契約を結んだくせに」

「些事だ」

 あまりにも軽く。

 メフィストは言い切った。

 カナリアの瞳が揺れる。

「・・・些事、ですって?」

「現に、おまえは無事だ」

 冷たい声だった。

「兄上の庇護下で、何不自由なく守られていたのだろう」

「なにが不満だ」

「なぜ・・・!」

 カナリアが唇を噛む。

「なぜわたしを唆したの。アレクの子だと偽れだなどと」

 沈黙。

 やがて。

「ラゴウ王妃を排除したかったからだ」

 淡々と。

 まるで盤上の駒を語るように。

「……っ」

 カナリアの指先が震える。

「あなたは・・・!」

「勘違いするな」

 暗い青の瞳が、ゆっくり細まった。

「おまえもまた、“聖女”という立場へ縋った側だ」

「ちが……」

「兄上を拒絶したのは、おまえだろう」

 静かな声だった。

「聖女の地位も」

「神殿の信仰も」

「奇跡の象徴として崇められる立場も」

 暗い青眼が、まっすぐカナリアを射抜く。

「捨てきれなかった」

 カナリアの呼吸が止まる。


第76話「新しい都市を夢見る」でした。


洪水で壊れたフェルンを前にして、

アレクは「終わり」ではなく、「次の街」を見ていました。


略奪ではなく交易を。

支配ではなく往来を。

一方で、メフィストもまた、別の形で本気です。

国を救うために、

草原も、神殿も、王権も、すべてをひとつへ統合しようとしている。

兄と弟。

どちらも間違いではないからこそ、

この先、レザリアは大きく裂けていきます。

そして今回から、

聖女カナリア側の物語も本格的に動き始めました。

「救いたい」と願ってきた少女が、

自分の“奇跡”の歪みと向き合わされていく。

世界そのものが、大きく動き始めます。


次回も、読んでいただけたら嬉しいです。

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