第78話 神殿の地下庭園
「・・・これは」
静蘭が、息を呑んだ。
神殿の地下。
さらにその奥。
限られた神官しか立ち入りを許されない、封鎖区画。
そこには、巨大な地下庭園が広がっていた。
湿った熱気。
白い花。
甘い香り。
無数の月白花が、薄闇の中で咲き乱れている。
まるで。
死者の楽園のようだった。
「そんな・・・」
聖女カナリアの顔色が、青ざめる。
数日前に聖女の私室を訪ねてきたかつての恋人の言葉が、冷たく蘇る。
――神殿の地下庭園で、草原から持ち込まれた植物が栽培されている。
――月白花という
――月白花は、人の感覚と神経を異常に活性化させる
白い花弁。
雪の結晶のような形。
甘く。
冷たい香り。
その匂いを嗅いだ瞬間。
カナリアの胸が、ざわりと粟立った。
覚えがある。
回復魔法を使うたび。
神殿で焚かれていた香。
祈りの前に飲まされていた薬湯。
あの匂いだ。
ガレスが、険しい顔で花へ触れる。
指先へ、白い粉が付着した。
「これが全部……月白花なのですか」
静蘭が、低く言った。
「品種改良されているようです。・・・匂いが、濃い」
しゃがみ込み、土を指で探る。
ぬるり、と。
黒ずんだ泥が絡みついた。
静蘭の眉が寄る。
「・・・普通の、土ではありませんね・・・」
静蘭は、咲き乱れる白花を見渡した。
「本来、月白花は、草原の特殊な土壌にしか生育しない植物です」
「それが、ここまで大規模に栽培されているとは」
白い花弁を摘む。
指先へ、白い粉が舞った。
その瞬間。
鼻腔へ、甘い香りが入り込む。
頭が、わずかに痺れた。
「……っ」
ガレスが顔をしかめる。
心臓が、妙に早い。
呼吸が浅くなる。
なのに。
もっと吸いたくなる。
静蘭が、すぐに口元を布で覆った。
「吸い込んではいけません」
低い声。
「依存性があります」
「長期間使えば、神経そのものを壊します」
「幻覚と陶酔を伴う強い依存性があります」
「切れれば錯乱し、“奇跡”を求めるようになる」
カナリアの顔色が、さらに白くなる。
脳裏に、患者たちの顔が浮かんだ。
回復したはずなのに。
何度も神殿へ通う者。
聖女へ縋る者。
祈りながら泣く者。
恍惚とした目。
痩せ細った身体。
なのに。
「もっと癒してください」
と、何度も跪いた。
爪の割れた指で、聖女の衣を掴み。
泣きながら。
「もう一度」
「もう一度だけ」
と、縋ってきた女。
「・・・あれは」
カナリアの喉が震える。
「回復したかったんじゃ、ない」
静蘭が、冷たく答える。
「薬を欲していたんです」
「聖女の奇跡という形で」
「回復魔法そのものが、汚染されていた」
カナリアの指が、震える。
「メフィストの、言っていた通りなのね」
静蘭は、静かに続けた。
「おそらく神殿は、聖女へ微量の月白花を長期間摂取させていた」
「薬湯」
「香」
「祈りの煙」
「それによって、聖女の回復魔力へ月白花の性質を染み込ませる」
「回復魔法を受けた人間は、一時的な高揚感と陶酔を得る」
「痛みが消える」
「不安が消える」
「救われた気になる」
静蘭は感情を抑えた声音で続ける。
「ですが実際には、中毒です」
「脳を侵し、判断力を奪い、神殿への依存を強める」
「・・・麻薬と変わらない」
ガレスの顔色が変わった。
「まさか・・・神殿は、最初から」
「ええ」
静蘭の声は冷たい。
「<奇跡>を、演出していただけです」
「民を救うためではなく」
「民を支配するために」
カナリアの唇が、震える。
「わたしは・・・これまで何も知らず・・・」
自分が救ってきたと思っていた。
祈り。回復。奇跡。
だが。
その実態は。
依存。洗脳。支配。
遠くで、鐘が鳴った。
低く。
不気味に。
その瞬間だった。
カナリアが、はっと息を呑む。
花畑の中央。
そこだけ異様に濃く咲き乱れた月白花の奥に。
白い“何か”が埋まっていた。
骨だ。
人骨。
三人の顔から、完全に表情が消える。
月白花の根本に走る、何本もの細い水路。
そこに流れる水の色が、異様だ。
静蘭が、ゆっくりと呟いた。
「・・・血」
「しかも、生きたまま流し込んでいる」
カナリアの表情が蒼白になる。
湿った土。
黒ずんだ根。
白い花弁。
その根元には、赤黒い染みが幾重にもこびりついていた。
「邪気を吸わせているんです」
静蘭の声が低く落ちる。
「死の恐怖」
「苦痛」
「憎悪」
「絶望」
「人間の負の感情を、血ごと花へ吸わせている」
「だから、ここまで歪んだ」
月白花が、ゆらり、と揺れる。
まるで。
笑っているように。
「まさか・・・人間の生き血を養分にして、月白花を栽培していたとは……」
「・・・こんなおぞましいものに、聖女の力は汚染されてきたのね」
「カナリア様」
気遣うように、ガレスが聖女の肩を支える。
救いたくて。
ただ、ひとを救いたくて、聖女になったはずなのに。
誇りだった回復魔法は、もはや毒を垂れ流すだけの麻薬に堕ちた。
第78話でした。
神殿の“奇跡”の正体が、ようやく見え始めました。
誰かを救いたかったはずの祈りが、
いつの間にか、依存と支配へ変わっていく。
そして同時に、
メフィストが見ている“次の国家”の輪郭も、少しずつ見えてきました。
世界が壊れ始めた時、
人はなにを選ぶのか。
支配か。
共存か。
次回から、さらに物語が動きます。




