第67話 月白花の謎
避難誘導が続く中。
湯治洞へ運び込む患者。
高地へ向かう荷車。
怒鳴り声。
村全体が、崩れかけた巣のように騒がしかった。
その裏で。
「つーかまえましたー!」
場違いな明るい声が響いた。
ラゴウが振り返る。
ユイだった。
泥だらけ。
だが、妙に機嫌がいい。
縄で引きずられている男が、その後ろにいた。
さらに、もうひとり。
散々痛めつけられた後のように、ぐったりとして首を垂れている。
どちらも顔色が悪い。
「・・・何だ、そいつら」
ラゴウが眉をひそめる。
ユイは満面の笑みだった。
「この避難の混乱に乗じて、村の封鎖を破ろうとしてた人たちです!」
男の頭をぺしっと叩く。
「しかも!」
声が弾む。
「今回はちゃんと二人目を確保しました!」
「一人目はちょっと加減間違えて再起不能な感じなんですけど!」
男たちが震える。
ラゴウは頭を押さえた。
「・・・おまえは本当に」
「はい!」
元気よく返事をする。
その横で。
アレクシスが、小さく息を吐く。
「護衛が護衛なら」
視線がユイへ向く。
「侍女も侍女だったか」
ユイが胸を張る。
「えへへ」
褒められたと思っている。
アレクシスは呆れたように続けた。
「草原は、随分ろくでもない人材を寄越したものですね」
ラゴウが顔をしかめる。
年齢不詳の、神出鬼没の護衛。
拷問具収集癖のある狂犬侍女。
「・・・否定できないのが腹立つ」
アレクシスは、小柄な侍女に引きずられるように縛られている男たちを見る。
顔色が、死人のように青かった。
ひとりは爪が半分剥がれ、もうひとりは、何をされる前だったのか、口の端から泡を垂らして震えている。
その横でユイだけが、鼻歌まじりに銀の器具を布で磨いていた。
あどけない少女のような顔をした侍女の、その所作が。
(・・・完全に、手慣れている)
「まったく」
アレクシスがため息をつくように低く呟く。
「これほど油断のならない側近を、ふたりも付けるとは」
「で!」
ユイが懐から、小袋を取り出した。
白い粉。
さらさらと揺れる。
「持ってました!」
横で見ていたアレクシスの視線が、とまる。
「実物か」
「ですです!」
ユイが頷く。
「井戸に撒く前のやつです!」
その瞬間。
ラゴウの鼻先を、甘い匂いが掠めた。
ふ、と。
意識が止まる。
「・・・!」
この匂い。
知っている。
記憶が蘇る。
白い花。
雪の結晶のような花弁。
乾かして、香にしたような。
甘く、冷たい匂い。
誕生日のたびに贈られてきた花。
そして。
北嶺派兵。
肩を射抜かれ、高熱を出した夜。
枕元に置かれていた、白い花。
――ツクヨミが、持ってきた。
ラゴウの指先が、わずかに震えた。
「・・・まさか」
「・・・どうしました」
うかがうように、労わるように、アレクシスが声をかける。
ラゴウは答えない。
ただ。
白い粉を見つめる。
脳裏に、ツクヨミの笑顔が浮かぶ。
『この花、好きでしょ?』
あのとき。
確かに。
同じ匂いがした。
沈黙。
ラゴウの胸が、妙にざわついた。
ツクヨミ。
いや。
――カヨウなのか。
◇ ◇ ◇
避難の喧騒が、少し遠のいていた。
湯治洞へ向かう準備のため、広場の人間も散り始めていた。
その中を。
ぱたぱたと、小走りの足音が近づく。
「姫様ー!」
ユイだった。
腕いっぱいに、紙束を抱えている。
ラゴウが振り返る。
「・・・なんだ、それ」
「静蘭様からです!」
ユイが差し出した。
「さっき、伝令が届きました!」
アレクシスは、何も言わずに聞いている。
黒封蝋。
静蘭の印。
ラゴウは受け取ると、素早く封を切った。
中には、数枚の報告書。
そして。
乾燥した、白い花弁が一片。
ラゴウの呼吸が止まる。
――ツクヨミが王妃へ贈った白花を分析
草原由来の特殊植物と判明
名称、月白花
沈黙。
ラゴウの指先が、わずかに強張る。
目が、文字を追う。
――微量投与の場合、鎮静・鎮痛・高揚作用あり
長期服用時、身体依存性と感覚鈍麻を確認
血統差によって薬効変化あり
紙をめくる音だけが響く。
静蘭の文字が続く。
「“なお、本植物は草原王カヨウより、長年、王妃へ定期的に贈与されていた記録あり”」
「“体調を気遣う補薬として扱われていた模様”」
ラゴウの目が見開かれる。
補薬。
思い出す。
レザリアに嫁いで以降、頻繁草原から届けられた。
熱を出すたび。
疲弊するたび。
カヨウの気遣いが嬉しくて、飲んでいた薬。
カヨウはラゴウの本当の誕辰を知るごく少ない人間のうちのひとりだっだ。
祝われることのない誕辰に、たったひとりカヨウだけが、毎年花を贈ってくれた。
白い花。
甘い香り。
静蘭の報告は、さらに続く。
「“乾燥粉末化した場合、水溶性が高まり、効果は増幅する”」
「“投与量を誤れば、神経汚染および多臓器障害を引き起こす危険あり”」
ラゴウが、ゆっくりと紙を下ろす。
沈黙。
ユイだけが、空気を読まずに感心していた。
「うわあ」
「これ、完全に毒草ですねえ」
ラゴウは、動けなかった。
頭の奥で。
いくつもの記憶が繋がっていく。
北嶺派兵。
見舞いの花。
誕生日。
補薬。
ツクヨミの笑顔。
胸の奥が、冷える。
「・・・大丈夫ですか」
アレクシスが静かに言った。
「・・・アンタ、知ってたのか」
ラゴウが顔を上げる。
覚えている。
あの日。
ツクヨミからの見舞いの花を、アレクシスは無言で取り上げた。
「不審に思ったから、静蘭に調べさせたんだな」
沈黙。
ラゴウの喉が、ゆっくり上下する。
「・・・カヨウが、この花を・・・」
掠れた声。
最後まで言えない。
アレクシスは答えない。
だが。
その沈黙が、何より雄弁だった。
遠くで、鐘が鳴る。
避難を急かす音。
その中で。
ラゴウだけが、動けなかった。
そして、理解がようやく追いつく。
――長い時間をかけて、自分の身体へ毒を流し込まれていたのだということ。
第67話でした。
今回は、月白花の正体と、カヨウの“優しさ”の意味が繋がる回でした。
祝われなかった誕辰。
毎年贈られてきた白い花。
傷ついた夜の見舞いの花。
体を気遣う補薬。
ラゴウにとっては、大切な記憶だったものです。
だからこそ、それが毒だったと知るのは、かなり残酷だったと思います。
そしてアレクシスは、ずっと前から違和感に気づいていました。
それでも、ラゴウ自身が受け止めるまで、無理に暴かなかった。
あと、ユイは今日も通常運転でした。
次回、ナイルート川が動きます。




