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第60話 合流そしてもうひとりの王女

 ツクヨミの外見は、不思議と人の目を奪う。

 肌は白く、顔立ちは驚くほど整っている。

 少女にも見えるほど美しいのに、その気配はどこまでも危うい。

 耳には、独特の耳飾りを幾重にも下げていた。

 金細工に青石や緑石を散らし、獣牙や鳥の羽を模した細かな飾りが揺れている。風を受けるたびに、耳の飾りがかすかに音を立てる。

 身体は細身だが、しなやかに鍛えられていた。華奢に見えて、一歩踏み込めば獣のように速い。

 だが、その瞳だけは冷たい。

 口元にはいつも人をからかうような笑みを浮かべているが、腹の底は読めない。


 ツクヨミは、ぐったりした老人を肩に担ぎ、まるで荷物のように運んで歩いてきた。

「これ、どこ置く?」

 ラゴウは眉をひそめる。

「・・・おまえ、なんでいる」

「宰相に合流しろって言われたから?」

「疑問形で答えるな。赤札だ、中央へ。頭を上げろ。吐いたら窒息する」

「はいはい」

 軽い返事のまま、ツクヨミは老人を抱え直す。

 乱暴に見えて、その手つきは正確だった。

 首を支え、背を少し起こし、呼吸が通る角度へ自然に整える。

 ラゴウが次の患者へしゃがみ込む。

「水桶。清い布。あと日陰を作れ」

 言い終える前に、ツクヨミは近くの板を蹴り起こし、布を引っかけて簡易の天幕を作っていた。

「これでいい?」

「・・・そこに寝かせろ。足は少し高く」

「注文が多いなあ」

 口では軽口を叩きながら、動きは早い。

 ラゴウが指を向ければ、次に何を欲しているか先回りして運ぶ。

 水。布。薪。人手。

 幼い頃から共に育った者だけが持つ、言葉にならない呼吸だった。

 だが、ツクヨミはふと細めた目でラゴウの手元を見る。

「・・・変わった治し方するんだね」

 塩と砂糖を混ぜた水を少しずつ子どもに含ませる姿。

  吐瀉物を遠ざけ、井戸を封じ、人の流れまで組み替えていく采配。

「・・・見たことない」

「見たことなくても、効けばいい」

 ラゴウは顔も上げずに答える。

 ツクヨミは笑った。

「ふうん。知らないラゴウが増えた」

 遠巻きに、そのやり取りを見ている男がいた。

 黒衣のシキだった。

 無表情のまま、視線だけがツクヨミを追う。

 脳裏に、昔の光景がよぎる。

 草原の丘を転げ回る二人。

 子犬のようにじゃれ合い、泥だらけで笑うラゴウとカヨウ。

 泣けばラゴウの後ろを追い、怒れば袖を噛んでいた小さな王子。

 あの頃のカヨウは、ただ姉の後をついてまわる無邪気な子どもだった。

 だが今、そこにいるツクヨミは違う。

 笑っている。

 柔らかく。無邪気に。

 それなのに、その目の底だけが、ひどく濁っていた。

(・・・ずいぶん、変わったな)

 シキの気配が、静かに冷えた。


 汗だくで薬材を分けていたユイが驚く。

「ツクヨミ様!? いつ着いたんですか!?」

「さっき。ラゴウが無茶しそうだったから急いだ」

 にっこりと微笑むその気配に、ユイは一瞬、既視感を覚える。


 ――誰かに、似ている、気が、する。

 草原のひと?

 いや、でも、姫様とともに草原を出て3年。

 こんな少年のような美形の戦士が、草原にいただろうか?


 違和感を払拭できないまま、思考はすぐに喧噪に紛れた。

「姫様! 熱冷まし足りません!」

「半量に分けろ! 子ども優先!」

「はい!」


 日が傾く頃。

 広場は即席の治療所になっていた。

 赤札は中央。

 黄札は日陰。

 緑札は作業班。

 黒札には、布が掛けられていた。

 助けられなかった命もある。

 それでも。

 赤札の子どもが、ふいに目を開けた。

「・・・みず」

 母親が泣き崩れる。

 ラゴウは深く息を吐いた。

「少しずつ飲ませろ」

 立ち上がろうとして、膝が揺れた。

 ツクヨミが腕を掴む。

「初日から、無理をしずぎだ。倒れるよ」

「倒れない」

「嘘」

 振り払おうとしても、力が入らない。

 仕方なく、ツクヨミに支えられたまま、患者を巡回する。

 その様子を見ていた村人たちが、静かに頭を下げ始めた。

 ひとり。

 またひとり。

 やがて広場のあちこちで、膝をつく音がした。

「王妃様・・・」

「ありがとうございます」

「どうか、明日も・・・」

 ラゴウは戸惑ったように顔を上げた。

 王都では、王妃として何もできなかった。

 子もなく。

 祝福もなく。

 居場所もなかった。

 だが、ここでは違う。

 泥と血の中で。

 泣き声と悪臭の中で。

 誰かが、自分に命を預けている。

 ラゴウは唇を噛んだ。

「・・・礼は、全員生き残ってから言え」

 そう言って、また歩き出す。

 夜が落ちる。

 封鎖された村に、初めて小さな灯りがともった。


 ◇ ◇ ◇


 同じ頃。

 王宮正門に、草原の旗が翻っていた。

 深い群青の布地に、金糸で刺繍された双月の紋章。

 ラゴウが嫁いできた日以来、久しく見なかった正式な王族旗だった。

 整列する近衛兵。

 ざわめく廷臣たち。

 高窓から見下ろす侍女たち。

 そして、石畳の中央へ、一台の馬車が静かに止まる。

 扉が開いた。

 先に降りたのは、黒衣の従者たち。

 続いて、白い手袋をした細い手が差し出される。

 現れた女に、その場の空気が変わった。

 雪のように白い肌。

 夜のように艶やかな黒髪。

 細い顎。長い睫毛。

 唇には、完璧な弧を描く微笑。

 草原の民らしい野性味はない。

 香と礼法で磨き上げられた、美しい彫像のような女だった。

「シュイ王女殿下にございます」

 使者の声が響く。

 シュイは裾をつまみ、優雅に一礼した。

「このたびは、草原王カヨウの親書を携え、参りました」

 柔らかい声だった。

 耳に心地よく、隙がない。

 廷臣たちは思わず見惚れた。

「なんという気品だ……」

「まるで王都育ちの姫君のようだ」



 その囁きを、シュイは聞こえぬふりで受け流す。

 ただ、ゆっくりと視線を上げた。

 玉座の前。

 王アレクシスを見つめる。

 青灰の冷たい眼光が、珠衣シュイを捉えた。

「・・・お久しゅうございます、レザリア王」

 アレクシスの表情は変わらない。

「草原王の、親書、とは」

 淡々とした声音だが、瞳は底冷えするほど冷ややかだ。

 その温度のなさに、廷臣たちは戸惑う。

 だが、年長の者たちは知っていた。

 かつて草原との婚姻が決まる際。

 王妃候補として、王宮へ打診された王女は――二人いたことを。

 ひとりは、シュイ。

 礼法に通じ、語学に優れ、政務の才もある。

 歌えば鳥が止まり、笑えば男が跪くと言われた女。

 もうひとりは、ラゴウ。

 馬で駆け、弓を引き、宴の席で酒瓶を素手で開けるような、荒っぽい王女だった。

 誰もが思った。

 選ばれるのは、シュイだと。

 王妃として完璧なのは、どう見ても彼女だった。

 だが。

 当時まだ若き王子だったアレクシスは、草原使節へただ一言告げた。

「ラゴウ王女を望みます」

 宮廷中が騒然となった。

 なぜだ、と。

 なぜ、あの粗野な王女を。

 なぜ、完璧なシュイではなく。

 誰にも分からなかった。

 そして今。

 選ばれなかった王女が、再びこの城へ戻ってきた。

 シュイは扇を閉じる。

「草原王は申しております」

 柔らかな声が広間へ落ちる。

「レザリアと草原の絆を、より強く結び直したいと」

 一拍。

「そのために、わたくしは宰相メフィスト殿下との婚姻を受け入れる用意がございます」

 ざわめきが爆ぜた。

 王弟と草原王女の婚姻。

 それはただの縁談ではない。

 新たな王権の核だった。

 アレクシスの隣で、ルシアンが眉をひそめる。

(・・・露骨すぎる)

 王は、ただ静かにシュイを見ていた。

 シュイは笑う。

「ですが、もし陛下が望まれるなら」

 視線が、わずかに熱を帯びる。

「十年前と同じように、もう一度、王妃を、選び直していただいても構いませんわ」

 広間が凍った。

 挑発だった。

 王の過去の選択。

 不在の王妃。

 弟との対立。

 すべてを踏みにじるような一言。

 それでも、アレクシスの声は静かだった。

「選び直す必要はない」

 シュイの笑みが、わずかに止まる。

 王は玉座から立ち上がる。

「わたしは、一度も選択を後悔していない」

 青灰の瞳が、まっすぐに澄んでいた。

「そして今も、わたしの王妃はラゴウただ一人だ」

 広間に、息を呑む音が広がった。

 シュイは数秒、黙った。

 それから、ふっと笑う。

 先ほどまでの完璧な微笑ではない。

 どこか冷たく、毒のある笑みだった。

「・・・そう、ですか」

 わずかに、首をかしげる。

「でしたら、その唯一の王妃が――辺境から無事に戻られるとよろしいですわね」

 空気が、凍りついた。


第60話までお読みいただき、ありがとうございます。


辺境ではラゴウが命と向き合い、

王宮ではシュイという新たな火種が動き出しました。

ここから物語が大きく揺れていきます。


そして少しお知らせです。


これまで本業の合間をぬうように書き進め、できるだけ間を空けずに投稿してきましたが、

ストックが少なくなってきたため、今後は投稿ペースを週に1~3回ほどにさせていただきます。


楽しみにしてくださっている中で心苦しいのですが、

その分、一話一話をより大切に、しっかり仕上げてお届けしていきます。


これからもラゴウたちの行く先を、一緒に見守っていただけたら嬉しいです。

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