第59話 封鎖された村
フェルン村は、門を閉ざされていた。
北方辺境。
山あいの冷たい風と清らかな湧水に恵まれた、小さくも豊かな村だった。
朝には家畜の声が響き、煙突からは食事の煙がのぼり、人々は静かに暮らしていた。
だが今は違う。
門が閉ざされ、通りには呻き声が満ち、清らかだった水さえ死を運ぶものへと変わっていた。
門前には兵が立っている。
槍を持ち、顔に布を巻き、怯えた目で柵の向こうを見ていた。
誰も出さない。
誰も入れない。
柵の奥から、咳が聞こえる。
乾いた咳。
何度も。
何度も。
ラゴウは赤焔の背から村を見下ろした。
ユイとシキが後ろに続いている。
「……まずいな」
一目で分かった。
空気が死んでいる。
井戸の周りに人が倒れている。
道端に寝かされた子ども。
泣き叫ぶ女。
怒鳴る男。
動かない老人。
荷車のそばでは、医師団らしき者たちまで座り込んでいた。
顔色は土のように悪い。
吐瀉物のついた衣のまま、壁にもたれて動けない者もいる。
すでに何人かは、診る側ではなく患者側に回っていた。
ラゴウが馬を進めると、門前の兵たちが槍を交差させる。
「止まれ!」
「これより先、立ち入り禁止だ!」
泥にまみれた外套姿。
簡素に髪を束ねただけの年若い女を、誰も王妃とは思わない。
兵のひとりが苛立ったように怒鳴った。
「帰れ! ここは封鎖村だ!」
「村人への面会も禁ずる!」
「感染したいのか!」
ラゴウは馬上から門の奥を見た。
柵の向こう。
地に伏す人影。
乾いた咳。
泣き叫ぶ子どもの声。
「状況は」
低い問いに、兵は鼻で笑う。
「聞いてどうする。何をしに来た」
「医師団ですら倒れている。足手まといは要らん」
ラゴウの目が冷えた。
「死者は」
「・・・数えきれない」
一瞬、沈黙が落ちる。
次の瞬間。
ラゴウは外套の留め具を外し、肩から払い落とした。
内に現れたのは、王家の紋章を刻んだ軽装鎧。
腰には王妃章の短剣。
アレクシスから贈られた短剣だ。
王家由来の青い宝石が埋め込まれている。
兵たちの顔色が変わる。
「王妃……殿下……?」
ラゴウは赤焔から降りた。
「レザリア王妃ラゴウだ」
その声は鋼のように硬かった。
「門を開けろ」
「し、しかし中は――」
「開けろ」
兵たちが跳ねるように動く。
重い門が軋みながら開いた。
同時に、悪臭が流れ出た。
吐瀉物。
汗。
汚水。
血。
死の匂いだった。
ラゴウはためらわず、村へ足を踏み入れた。
◇ ◇ ◇
ユイが口元を押さえる。
シキは無言だった。
ラゴウは矢継ぎ早に指示を飛ばす。
「布を口に巻け。水には触るな。井戸は封鎖。飲み水は全部煮沸しろ」
村へ踏み込んだ瞬間、村人たちが一斉に押し寄せた。
「助けてくれ!」
「うちの子が熱で震えてる!」
「水を飲んだだけで倒れたんだ!」
「薬はないのか!」
「医者は何してる!」
「もう三人死んだぞ!」
怒号と泣き声と咳が入り混じり、広場は渦のように荒れていた。
ラゴウの前へ出たユイが、震える声で叫ぶ。
「下がりなさい!この方はレザリア王妃ラゴウ様です!」
一瞬、ざわめきが止まる。
だが次の瞬間、さらに荒れた。
「王妃だと!?」
「今さら来たのか!」
「王都の人間に何が分かる!」
「飢えた冬にも誰も来なかったくせに!」
「綺麗ごとを言いに来たのか!」
その中から、誰かが吐き捨てる。
「・・・若い女じゃないか」
別の男も続いた。
「王妃ごっこで何ができる」
「飾りの姫様に人は救えん」
「どうせ顔を見せて帰るだけだ」
「死ぬのはいつも俺たちだ!」
さらに、痩せた老人が苦々しく唾を吐く。
「虚弱な草原の王妃だろう」
「王都じゃ寝込んでばかりだと聞いたぞ」
若い男が鼻で笑う。
「噂は知ってる」
「聖女に王を寝取られて、もうすぐ廃后される女だ」
「そんな女に何ができる!」
「帰れ!」
病と恐怖で荒んだ声が、次々に飛ぶ。
ユイが真っ赤になって前へ出た。
「無礼です! 姫様は――」
だが、その前に。
ラゴウの声が、広場を裂いた。
「広場を空けろ!!」
全員が凍りつく。
「歩ける者は右へ!」
「自力で歩けない者は中央へ運べ!」
「息があるか確認しろ!」
「水を飲ませるな!」
誰も動かない。
ラゴウは兵士を睨んだ。
「聞こえなかったか。動け!」
兵たちが跳ねるように走る。
ラゴウは帯から布を裂き、四つに分けた。
赤。
黄。
緑。
黒。
医師団の一人が呆然と呟く。
「・・・何をする気です」
「選別する」
ラゴウは答えた。
「赤は今すぐ処置すれば助かる者」
「黄は待てる者」
「緑は軽症、自力で動ける者」
一拍。
「黒は――今ここでは救えない者だ」
ざわめきが走る。
「見捨てるのか!」
男が叫ぶ。
「そうだ」
即答だった。
「全員を同時には救えない」
声は冷たかった。
「だから、助かる命から救う」
「恨むなら、あとでわたしを恨め」
沈黙。
そして、ラゴウは動いた。
子どもの喉を見る。
呼吸。脈。皮膚の色。
「赤!」
老人。
脈なし。呼吸なし。
一瞬だけ目を伏せる。
「・・・黒」
母親の泣き声が響く。
だがラゴウは振り返らない。
「緑は水を沸かせ!」
「黄は日陰へ!」
「赤をこちらへ運べ!」
「吐いた場所に灰を撒け! 素手で触るな!」
混乱していた村が、少しずつ形を持ち始めた。
数刻後。
誰も文句を言わなくなっていた。
「次は誰だ!」
「赤札をこっちへ!」
「水が足りん!」
「薬草を刻め!」
皆がラゴウの声で動いていた。
シキは無言で重症者を担ぎ続ける。
血も汚物も気にしない。
死体の横も平然と通る。
村人が怯えて道を開けた。
ラゴウが怒鳴る。
「赤札を先に運べ! 動ける者は水を沸かせ!」
兵士たちは顔を見合わせるだけだった。
誰も重症者に触れようとしない。
そのとき。
「しょうがないなあ」
場違いに軽い声がした。
人垣を割って、ひとりの男が現れる。
雪のように白い髪。
長い前髪の隙間から覗く瞳は、青とも紫ともつかぬ不思議な色をしている。
ツクヨミだった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
王都では居場所を失いかけていたラゴウですが、辺境では「選び、背負い、動かす」存在として立ちます。
誰かを救うために、誰かを切り捨てる――その覚悟を持てるかどうか。今回はその一点を書きたかった回でした。
シキとツクヨミも合流し、ここから一気に「戦場としての医療」が加速していきます。
そして同時に、それぞれの歪みや過去も少しずつ浮かび上がっていきます。
次話は、さらに深く村の中へ。
水と病の正体に迫ります。
引き続きお付き合いいただけたら嬉しいです。




