表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
54/79

第54話 会わない理由

 夜明け前の王宮は、妙に静まり返っていた。

 だが、その静けさとは裏腹に、王都の内側は騒然としている。

 聖女懐妊。

 王の御子。

 王妃廃后。

 草原との再交渉。

 祝宴の一夜で落とされた火種が、噂となって燃え広がっていた。

 そして同時に、北方辺境から別の報せが届いていた。

 高熱。

 嘔吐。

 発疹。

 村ごと封鎖された地で、原因不明の伝染病が広がっているという。

 本来なら、聖女カナリアが赴く案件だった。

 だが今の彼女は懐妊中だ。

 危険地帯へ送ることはできない。

 宰相メフィストは、この件を王へ正式には上げなかった。

 医療対応。

 原因究明。

 感染拡大の封じ込め。

 それらすべてを、密命としてラゴウへ回した。

 戦場で負傷兵を救った実績。

 薬草への知識。

 現場での判断力。

 そして何より――

 今、王都から遠ざける理由として、あまりにも都合がよかった。

 王妃が自ら辺境を救えば、美談になる。

 もし倒れれば、それもまた献身として語られる。

 その間、王都には懐妊した聖女が残る。

 誰にとって都合がいい盤面なのか。

 考えるまでもなかった。

 それでも、ラゴウは命を受けた。

 むしろ好都合だった。

(・・・会わずに済む)

 あの夜から、アレクシスとは一度も顔を合わせていない。

 何度も訪ねてきたと、ユイから聞いている。

 王が必死に探していると。

 分かっていて、身を隠した。

 アレクシスは、聖女の保護、神殿との調整、貴族たちの鎮静に追われている。

 王として動かねばならない立場だった。

 ラゴウもまた、徹底して王の導線を避けた。

 朝は訓練場。

 昼は薬房。

 夜は出立準備。

 回廊で鉢合わせそうになれば道を変える。

 そしてここ数日は、異民街の静蘭の茶芸館に身を隠していた。

 辺境の伝染病対応のため、薬材を仕入れるためという口実もあった。

 妊婦のための薬の処方も、静蘭に伝えておいた。

 だから。

 もう、アレクシスと、会う必要は、ない。

 あの男は、選んだのだ。

 あの沈黙によって。

 聖女とその腹の子を引き受ける道を。

 だから、わたしは消えなければならない。

 元より、結ばれるはずだったふたりだ。

 わたしは、その間に割って入った異物にすぎない。

 ――そう思えば、少しだけ楽だった。


 会えば、きっと揺らぐ。

 だから、会わない。

 それだけを、守っていた。


 ◇ ◇ ◇


 出発前夜。

 荷を整え終え、最後に薬房へ向かう途中だった。

 白い回廊の先で、影が崩れ落ちる。

「……っ」

 駆け寄ると、カナリアだった。

 壁に手をつき、口元を押さえている。

 顔色は青白く、呼吸も浅い。

「おい」

 肩を支える。

 カナリアが、はっと顔を上げた。

「……王妃、様」

「しゃべるな」

 ラゴウは脈を取り、額に触れ、腹部の張りと呼吸を確かめた。

(つわり。脱水気味。疲労もある)

「座れ」

 近くの長椅子へ座らせ、水杯を押しつける。

 震える指で受け取るのを見届けると、ラゴウは薬包を開いた。

 乾いた葉を砕き、湯へ落とす。

 淡い苦みの香りが立った。

「飲め」

 差し出された杯を、カナリアは見つめたまま動かない。

「・・・本当に、薬ですか」

 ラゴウの手が止まる。

 毒。

 そう疑ったのだ。

 自分が奪ったもの。

 傷つけたもの。

 目の前の女が失ったもの。

 そう思えば、当然だった。

 ラゴウは何も言わず、杯を引いた。

 一口、自分で飲む。

 苦みを喉へ流し込み、空になった杯を置いた。

「これで満足か」

 責めるでもなく、怒るでもない声音だった。

 それが、かえって刺さった。

 新しく淹れ直した杯を、もう一度差し出す。

「吐き気止めだ。胃も守る。飲まないなら捨てる」

 カナリアは震える手で受け取り、そっと口をつけた。

 苦い。

 だが、やわらかな香りがあとから広がり、張り詰めていた胃が少し落ち着いていく。

「・・・どうして、親切にしてくださるのですか」

 ラゴウの手が、一瞬だけ止まった。

  沈黙。

 砕いた葉を紙に包みながら、低く答える。

  「・・・見てきたからだ」

 それだけ。

 だが。

 その声は、少しだけ遠かった。


 若すぎる母の記憶。

 10代で子どもを産んだ。

 写真の中で笑う顔しか、もう思い出せない。

 別の家庭を持つ男を好きになって、長い間信じて待ち続けて。

 ようやく本妻との離婚が成立して、一緒に暮らし始めたのに。

 妹を生んで、すぐに息を引き取った。

 

 ラゴウ――ジンナイの指先が、わずかに強く薬包を結ぶ。

 次の記憶。

 泣き続ける赤ん坊。

 小さな妹。

 ミルクの温度が分からず、何度も失敗した夜。

 背中を叩いて寝かしつけた朝。

 保育園へ走り、講義へ走り、深夜に働いた日々。

 17の時に一緒に暮らし始めた実父には、なじむことができなかった。

 金の援助は惜しまない男だった。

 だが。

 頼りきりになるのが、嫌だった。

 誰かに養われるだけの人間には、なりたくなかった。

 だから働いた。

 笑って酒を注ぎ、甘え、媚び、欲しい言葉を先回りして与えた。

 学費のために。

 生活のために。

 妹の未来のために。

  「・・・王妃様?」

 カナリアの声で、意識が戻る。

  ラゴウは無表情のまま薬包を差し出した。

「患者を放っておく趣味はない」

「・・・わたしが、憎くないのですか」

 ようやく零れた本音だった。

「あなたから、たくさん奪ったのに」

 しばらく沈黙が続いた。

 やがてラゴウは、低く口を開く。

「奪われたものなんかない」

「え?」

「最初から、わたしのものだったものなど何一つない」

 短く、重い声だった。


 草原の少女は、レザリアの王に恋をして――ただその身ひとつだけで異国に嫁した。

 政略の駒になることを知った上で、自らが選んだのだ。


 ラゴウは、続ける。

「女が一人で子どもを産み育てる苦しさは、知ってる」

 カナリアが顔を上げる。

「名前を言えない男の子なら、なおさらだろう」

 その言葉には、押し殺された痛みがあった。

 カナリアははっとして顔を上げる。

「違います、この子は・・・!この子は、アレクシス陛下の・・・」

「嘘をつくなら、もっとましな嘘をつけ」

 ラゴウははっきりと断定した。

「あいつは、順番を守る男だ」

 カナリアが黙る。

「大切だからこそ、ちゃんと手順を守る」

「不用意に手は出さない。好きな女を孕ませておいて、黙っているような男でもない」

「欲しいからと奪わない。弱いからと捨てない」

「そういう、面倒くさいくらい誠実な男だ」

 金の瞳が、まっすぐカナリアを見る。

「だから、知っていても引き受ける」

 カナリアの指が、震えた。

「あなたが不安になるのも分かる」

「立場が欲しいのも」

「守りが欲しいのも」

 一拍。

「・・・でも」

 空気が張る。

「あいつを利用するのは許さない」

 カナリアの肩が震えた。

「あいつの誠実さは、便利な盾じゃない」

「罪悪感につけこめば、何でも背負う男だ」

 吐き捨てるように言う。

「そういう男だからこそ、質が悪い」

 もはやラゴウの声に怒りはない。

「分かっていて、利用するのか」

 ただ、静かに、言い募る。

「ずっと、一番近くであいつに想われていたくせに、陥れるのか」

 声が、わずかに掠れた。

「――だが」

 長く沈黙して。

「あいつが引き受けると決めたのなら」

 視線を外す。

「わたしには、もう何も言う資格はない」

 金の瞳が、まっすぐにカナリアを見つめた。

 カナリアの瞳が揺れる。

「わたしは・・・」

「言い訳はいらない」

 ラゴウは遮る。

「ただ、決めろ」

 低く、容赦なく。

「守られたいのか」

「嘘を貫くのか」

「それとも、自分で立つのか」

 沈黙。

 カナリアの表情は、蒼白だ。

 ラゴウは薬包を卓へ置く。

「朝夕二回だ。吐く前に水を飲め。匂いの強い香は避けろ」

 歩き出す。

「ラゴウ様・・・!」

 呼び止める声。

 ラゴウは振り返らなかった。

 振り返れば、戻れなくなる気がした。

 ただ、足を止めて言った。

「その子に罪はない」

 一拍。

「・・・ちゃんと、産んでやるべきだ」

 白い回廊に、足音だけが遠ざかっていった。


第54話までお読みいただき、ありがとうございます。

今回は、ラゴウがアレクに会わない理由を書く回でした。

嫌いになったからではなく、会えば揺らいでしまうから。

だから避ける。

それが今のラゴウなりの答えです。

そして、アレクの誠実さを誰より分かっているからこそ、ラゴウは身を引こうとします。

王都の混乱の中でメフィストが動き、ラゴウは辺境へ向かうことになります。

ここから物語の舞台も王宮の外へ広がっていきます。

次話から、ラゴウは王都を離れます。

離れたことで動き出すものも多い章になります。

続きも見届けていただけたら嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ