第51話 嘘
宮廷の大広間は、光に満ちていた。
無数の燭台。
磨き上げられた床。
弦楽器の柔らかな旋律。
四大国会議を終え、各国の使節を迎えての祝宴。
草原からの使者も、今宵はその列に加わっている。
王アレクシスは、中央に立っていた。
その隣に、ラゴウがいる。
黒の礼装。
夜をそのまま縫い上げたような深い黒に、金糸が流れる。
赤銅の髪は編み込まれ、細い飾りが灯りを弾いていた。
堂々としている。
だが、ラゴウ本人は不機嫌そうに眉を寄せていた。
「……本当にやるのか」
低く、吐き捨てる。
アレクは涼しい顔で答える。
「夫婦が祝宴で踊るのは自然でしょう」
「踊れない」
即答だった。
「知っています」
「ならやめろ」
「大丈夫です」
王は、ごく自然に片手を差し出した。
青灰の瞳が、まっすぐラゴウを見る。
「全部、わたしに預けてください」
一瞬。
ラゴウの喉が、わずかに動く。
そして、渋々その手を取った。
音楽が変わる。
ふたりが、踏み出した。
最初の数歩はぎこちなかった。
ラゴウの足は半拍遅れ、肩は強張っている。
だが。
アレクの手が、腰を支える。
指先が、背を導く。
歩幅を合わせる。
呼吸を合わせる。
一歩。
二歩。
三歩。
気づけば、乱れは消えていた。
黒と金が、光の中を滑っていく。
王の銀髪と、王妃の赤銅の髪が交差する。
近い。
あまりにも、近い。
ラゴウが顔を上げる。
視線が合う。
アレクは、ごくかすかに笑った。
「ほら」
「・・・何が」
「踊れている」
「・・・アンタが勝手に運んでるだけだろ」
「それを世間では踊ると言います」
「腹立つ」
それでも。
ラゴウの口元も、ほんのわずかに緩んでいた。
周囲から、ため息が漏れる。
「なんというか・・・お似合いのおふたりだな」
「まるで絵画のようだ」
「王は、あんな目で王妃を見るのか・・・」
草原の使者たちさえ、言葉を失っていた。
離れた席で。
カナリアは、その光景を見ていた。
白い衣の裾を揺らし、微笑んだまま。
だが。
指先だけが、強く杯を握っている。
(・・・違う)
あの人は。
あんなふうに誰かへ触れる人ではなかった。
距離を取り。
穏やかで。
誰にも深入りしない。
そういう人だった。
なのに。
今。
王妃の腰に手を置いている。
髪に触れる。
耳元で何か囁く。
そのたびに、王妃の表情が変わる。
(・・・違う!)
胸の奥が、焼ける。
(あれは、演技)
草原の使者に見せるため。
王妃を王妃として扱っていると示すため。
そう言い聞かせる。
だが。
分かってしまう。
触れ方が。
視線が。
全部、演技ではない。
音楽が終わる。
拍手が広間を包んだ。
ラゴウが一歩、身を引いた。
名残を惜しむように残っていた熱が、指先からほどけていく。
アレクは何も言わず、その手を離した。
ふたりは向き直る。
割れるような拍手。
称賛。
笑み。
祝宴にふさわしい歓声。
王と王妃は並んで歩き、光と音の中を宴卓へ戻っていく。
誰の目にも、それは睦まじき夫婦の姿に映っただろう。
――表向きは。
◇ ◇ ◇
華やかな宴の影では別の言葉が巡っていた。
王妃は離縁を望んでいる。
いまだ王との夜を拒み、世継ぎもない。
草原との婚姻は、もはや形ばかり。
誰が最初に口火を切るのか。
それだけを待つ空気が、卓ごとに熟していた。
王と王妃が席についた、その時だった。
各国の席から、ふいに別の声が上がる。
「見事な舞でした」
初老の貴族が、ゆるく杯を傾けた。
口元には笑み。だが、その眼は笑っていない。
「ですが――」
場の空気が、わずかに止まる。
「レザリアに未だ跡継ぎがないのは、少々気がかりですな」
ざわめき。
別の男が続ける。
「婚姻より三年」
「まだ御子なくば、王統の安定にも関わる」
「側妃を迎えては?」
「あるいは」
声が、さらに低くなる。
「王妃交代という選択も」
空気が変わる。
ラゴウの金の瞳が、静かに細まった。
草原の使者の長が、進み出る。
「恐れながら、レザリア王」
深く一礼。
「我らとしても、王統の安定に関わる問題は看過できませぬ」
「もし王妃殿下に御子が望めぬのであれば」
一拍。
「草原との新たな縁組を、再考する用意もございます」
広間が、息を呑む。
ラゴウは笑った。
乾いた笑みだった。
「……ずいぶん親切だな」
カナリアの指先が、腹の上でぎゅっと重なった。
草原との再縁組。
新たな王妃。
その言葉が意味するものを、彼女だけは理解していた。
――この子には、何も残らない。
王の視線は、ラゴウへ向いている。
ずっと、知っていた。
今ここで言わなければ、すべて終わる。
白い影が、静かに前へ出た。
カナリアだった。
誰もが振り向く。
聖女は、微笑みを崩さない。
だが、唇だけがわずかに震えていた。
「申し上げます」
広間が静まり返る。
「わたくし聖女カナリアは」
一拍。
「懐妊しております」
ざわめきが爆ぜた。
誰かが立ち上がる。
杯が落ちる。
息を呑む音が、幾重にも重なる。
王の表情は凍りついている。
王妃は驚愕したように目を見開いている。
教会を代表して臨席していた神殿の大司教が、ゆっくりと問うた。
「・・・父親は?」
沈黙。
カナリアの視線が揺れる。
アレクを見る。
ラゴウを見る。
そして。
顔を上げた。
「――陛下でございます」
いちばん美しく見えたふたりの直後に、いちばん醜く、そして切実な嘘が落ちました。
踊るアレクとラゴウ。
周囲から見れば、誰もが羨む王と王妃。
けれど、その舞台の裏では、それぞれが別の地獄を抱えています。
アレクは守りたい。
ラゴウは信じきれない。
カナリアは失いたくない。
誰かの願いは、誰かを傷つける。
その均衡が、ついに崩れた回でした。
そして、カナリアの「――陛下でございます」。
この一言で、王宮の盤面はひっくり返ります。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
第52話、すれ違いは決定的になります。




