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第49話 嫉妬とキス

 薄暗い部屋。

 薬の匂いが、静かに漂う。

「……間違いありません」

 低い声。

 医師が、目を伏せたまま告げる。

「懐妊されています」

 沈黙。

 カナリアの指が、わずかに震える。

(・・・こども?)

 その言葉が、現実として落ちてこない。

 遠い。

 どこか、他人事のように。

「・・・下がれ。この件は、内密に」

 メフィストが言う。

 短く。

 医師は一礼し、部屋を出る。

 扉が閉まる。

 静寂。

 カナリアは、動かない。

 ただ、自分の腹に手を当てる。

(・・・ここに?)

 現実感が、ない。

(・・・あの夜)

 灯籠の光。

 触れた温度。

 言葉にならなかった時間。

 胸の奥が、わずかに揺れる。

 なのに。

 目の前のこの男は、なぜこんなにも冷静な顔をしているの?

「・・・わたしの子ではない」

 メフィストが、言った。

 あまりにも、平坦に。

 感情の欠片もなく。

 口元に、不気味なほど穏やかな笑みが浮かんでいる。

 カナリアの思考が止まる。

「・・・え?」

 ゆっくりと、顔を上げる。

「・・・何を、言って」

 声が、揺れる。

 月蝕の夜。

 婚約の約束をした。

 灯籠祭りから王宮に戻った夜。

 はじめて体を開いた。

 この男が、どれほど、わたしの体を貪ったか。

 痛みを気遣うこともなく。

 欲情を満たし、わたしの反応を楽しんでいた。

 翌朝、寝台に落ちた血の痕を眺めながら、とっくに兄が手をつけているものと思っていたが、と意外そうに笑っていた。

 ――悪くない気分だな。兄のものになるはずだった女の純潔を奪う、というのも。

 血の気が、引いた。

「――メフィスト」

 男の名を呼ぶ声が、震える。

 わたしたちは幼馴染だった。

 アレクと、わたしと、メフィスト――お互いを、理解しあっていると思っていた。

 今のメフィストは、知らない男の顔をしている。

 なのに。

 メフィストは、ようやく視線を向けた。

 冷たい。

 計算だけがある目。

「分からないのか?」

 静かに言う。

「その子が、誰の子であるべきか」


 ◇ ◇ ◇


「・・・おい」

 呆れたような低い声が落ちた。

 バサ、とブランケットをはぐられる。

「なぜおれの寝台におまえがいる」

「今日はここで寝かせてくれ」

 ここ数日の、仲良し夫婦ごっこでもう心臓がもたない。

 草原の使者がいる間だけという約束だが、アレクジスは連日夜に訪ねてくる。

 そろそろ泊まらせろ、と言われそうで。

 ――正直。

 そうなったら、歯止めがきかなくなりそうで。

 要するに、逃げている。

「ふざけるな。どけ」

「頼む、シキ!」

「なら床で寝ろ」

「前々から思ってたが・・・それが主に言う言葉なのかよ」

「何を吐き違えている。草原の人間にあるのは強さの序列だけだ。おれはおまえの師で、おまえはおれの弟子だろうが」

「分かった。床でいい」

「出て行け」

「イヤだ」

「レザリア王を追い返せば済む話だろう」

「関係良好な夫婦を演じてる手前、そんなことできるか」

「なら一緒に寝ればいいい」

「それが一番いやだ」

(それが一番眠れないんだよ!)

「やることをやってしまえば、逆によく眠れるんじゃないのか」

「・・・そういう言い方やめてくれ」

「はじめてでもあるまいし。これまで毎月体を重ねてただろう」

 そうなんだが。

 そうなんだが、それはあくまで義務の夜であって。

 いや、今回も演技なんだが、もはやそうでもないってことは自覚があって。

 混乱する。

 心底あきれ果てた声で、シキは言う。

「おまえの都合で、ややこしい関係におれを巻き込むな」

 その直後だった。

 ふ、と。

 空気が変わる。

 わずかに。

 だが、はっきりと。

 シキの視線が、扉の方へ向く。

 ラゴウは気づかない。

 まだ、ぶつぶつと何か言いかけて――

「……来るぞ」

 短く。

 シキが告げた瞬間。

 扉が、音もなく開いた。

「迎えに来ました」

 低い声。

 温度のない響き。

 ラゴウの動きが止まる。

 ゆっくりと、振り返る。

 そこに、アレクシスが立っていた。

 灯りの下で。

 静かに。

 だが、逃げ場を塞ぐように。

「あなたを床に寝かせる男の部屋に、いつまで居座るつもりですか」

 視線が、シキへ落ちる。

 一瞬だけ。

「いや、ほら」

 ラゴウが、引きつった笑みを浮かべる。

「戦場ではどこでも寝られるように訓練しておかないと――」

「その男と、そんなに一緒にいたいんですか」

 かぶせるように。

 遮る。

 ラゴウが、言葉に詰まる。

 シキが、小さくため息をついた。

「王」

「嫉妬は見苦しい」

 沈黙。

 アレクシスは、何も言わない。

 否定もしない。

 ただ、静かに一歩、踏み込んだ。

「・・・戻りますよ」

 淡々と。

 命令でもなく、確認でもなく。

 決定事項のように。

「え?いや、まだ――」

 言い終わる前に、手首を取られる。

 強くはない。

 だが、逃がさない力で、ラゴウを立たせる。

「おい――」

「部屋まで送ります」

 それだけ言って、腕を引く。

 結局、ついていくしかない。

 背後で、シキが小さく息を吐いた。

「・・・まったく」


 ◇ ◇ ◇


 回廊は、静かだった。

 夜の灯りが、長く影を落とす。

 並んで歩く。

 距離は、近い。

 だが、触れてはいない。

 そのとき。

 遠くから、足音が響く。

 複数。

 整った歩調。

 アレクシスが、足を止める。

「・・・来ますね」

 短く。

 視線だけが、ラゴウに落ちる。

「草原の使者です」

 一拍。

「ちょうどいい」

 嫌な予感しかしない。

「・・・なにが」

 ラゴウが低く問う。

 アレクは、わずかに首を傾けた。

「キスしても?」

 さらりと。

 まるで、天気の話でもするように。

「・・・は?」

 一瞬、思考が止まる。

「もうすぐ、草原の使者がこの回廊を通る頃合いです」

 淡々と続ける。

「見せつけるには、十分な距離でしょう」

「いや、もう十分やってるだろ!」

 即答。

「これ以上は――」

「足りません」

 遮る。

 静かに。

 だが、はっきりと。

「もっと、見せつけてやりましょう」

 一歩。

 距離が詰まる。

「待て・・・」

 言い終わる前に。

 触れられる。

 唇が。

 軽く。

 ほんの一瞬。

 ついばむように。

 優しく。

 そして、離れる。

 あまりにも自然で。

 あまりにも、迷いがなかった。

(・・・な・・・)

 ラゴウの思考が追いつかない。

 言葉を探す前に。

 アレクシスが、ほんのわずかに距離を詰める。

「もっと、進んでも、いいですか」

「なに・・・」

「・・・部屋に、入れてくれます?」


ここまで読んでくださってありがとうございます。

今回は、かなり情報量の多い回でした。

カナリアの懐妊。メフィストの冷たさ。

そして一方で、夜のラゴウとアレクのややこしすぎる距離感。

アレクは理性的な顔をしながら、だいぶ嫉妬しています。

ラゴウは気づいているようで、まだ受け止めきれていません。

シキはいつも通り巻き込まれています。


そしてカナリアは、ついに大きな選択へ追い込まれていきます。

この嘘が、誰を守り、誰を傷つけるのか。

次回、祝宴の場で均衡が崩れ始めます。

静かに積み上がっていた感情が、表へ出る回になるかもしれません。

引き続き読んでいただけると嬉しいです。

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