表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/79

第48話 痕の余韻

 あの女は。

 ――王妃だ。

 その認識が、広間に落ちた瞬間。

 別の視線が、静かにそれを貫いていた。

 柱の影。

 気配を溶かすように、立っている。

 カヨウは、笑っていた。

 口元だけ。

(……ずいぶんと)

 視線は動かない。

 王と。

 その隣の女。

 絡む距離。

 触れる手。

 逃げない視線。

(……飾り立てられたものだ)

 黒の礼装。

 金糸。

 編み込まれた髪。

 すべてが整っている。

 完璧に。

 王の隣に立つための女として。

(・・・誰の女だ)

 思う。

 いや。

 分かっている。

 あの男のだ。

 王の。

 視線が、落ちる。

 鎖骨。

 白い肌。

 そこに残る、赤い痕。

 激しい口づけの。

 もしくは、獣のように絡み合った情事の、噛み痕の。

 喉の奥で、何かが軋む。

 静かに。

 だが、確実に。

 指先が、わずかに動く。

 止める。

 外には出さない。

 笑みも崩さない。

(・・・姉上)

 呼ばない。

 呼べない。

 彼女は、もう、かつての場所にはいない。

 草原でも。

 あの頃でもない。

(・・・別のものになった)

 王の隣で。

 王の手の中で。

 王に抱かれながら。

 王の女として。

(・・・ふざけるな)

 内側で、言葉が落ちる。

 三年。

 離れていた。

 それでも。

 ひとつも、消えなかった。

 笑う顔も。

 怒る顔も。

 泣く顔も。

 全部、知っている。

(・・・なのに)

 自分の知らない顔で、笑っている。

 自分ではない男に、触れられている。

(・・・奪われた)

 はっきりと。

 認識する。

(全部)

 息が、わずかに荒くなる。

 だが。

 表には出ない。

 目だけが、冷える。

(・・・いい)

 ゆっくりと、息を吐く。

 笑う。

 静かに。

 柔らかく。

「・・・なるほど」

 小さく、呟く。

 誰にも届かない声で。

(・・・そういうことか)

 理解する。

 この場の意味。

 あの距離の意味。

 あの痕の意味。

(見せつけている)

 自分のものだと。

 誰にも渡さないと。

(・・・なら)

 目が、細くなる。

(・・・壊せばいい)

 その関係も。

 その距離も。

 その意味も。

 全部。

(姉上)

 もう一度、心の中で呼ぶ。

 今度は。

(・・・取り戻す)

 そのためなら。

 何でもする。

 笑みが、深くなる。

 光の届かない場所で。

 静かに。

 確実に。

 ――歪んでいく。


 ◇ ◇ ◇


 その光景を。

 カナリアは、離れた位置から見ていた。

 笑みは崩さない。

 だが。

 視線だけが、動かない。

 王と。

 その隣の女へ。

(・・・あれは、なに)

 理解が、遅れる。

 いや。

 理解したくないだけだ。

 アレクシスは、ああいう距離で誰かに触れる男ではない。

(・・・わたしには、触れなかったのに)

 常に、適切な距離で。

 礼儀正しく、敬意をもってわたしに接した。

 そういう人だった。

 なのに。

 今。

 その手は、赤い髪の女の腰にある。

 髪に触れる。

 距離を詰める。

(・・・違う)

 胸の奥が、ざわつく。

 ――見せている。

 そう思う。

 草原の使者が来る。

 だから。

 王妃を王妃として扱っていると示す必要がある。

(・・・あんなの、演技に決まっている)

 つまり、政治だ。

 そう、結論づける。

 視線が、落ちる。

 鎖骨。

 赤い痕。

 呼吸が、わずかに止まる。

(・・・あれも?)

 一瞬、迷う。

 すぐに否定する。

(違う)

 あの人が。

 無意味に触れるはずがない。

 衝動や情欲で流されるひとではない。

 きっと計算づくの。

 なのに。

 もう一度、見る。

 視線。

 距離。

 触れ方。

(・・・全部ではない)

 胸の奥で、何かが崩れる。

 静かに。

 確実に。

(・・・このままでは)

 自分の位置が、揺らぐ。

 聖女。

 選ばれるべき存在。

 その意味が。

 あの女によって、崩れる。

(危険だ)

 王妃は、危険だ。

 魔法ではない。

 だが。

 人を救う。

(・・・もし)

 あれが広まれば。

 聖女は、必要なくなる。

(それは、だめ)

 ゆっくり、息を整える。

 笑みは、そのまま。

 誰にも気づかれないように。

 ただ、内側で決める。

(守る)

 この位置を。

 この意味を。

 そして。

 あの人にとって、必要な存在になる。

 そのまま。

 笑みを崩さないまま。

 一歩、踏み出す。

 足元は、確かだ。

 ――はずだった。

 ふいに。

 視界が、揺れる。

(……え)

 息が、浅くなる。

 喉の奥が、ひくりと引きつる。

 込み上げる。

 抑えようとする。

 だが。

 遅い。

「……っ」

 口元を押さえる。

 香の匂い。

 酒の匂い。

 人の気配。

 すべてが、一度に押し寄せる。

(・・・やめて)

 もう一歩。

 踏み出そうとして。

 止まる。

 吐き気が、波のようにせり上がる。

 こらえきれない。

 身体が、前に折れる。

「――聖女様?」

 誰かの声。

 遠い。

(……来ないで)

 必死に、こらえる。

 だが。

 次の瞬間。

「……っ、」

 吐いた。

 誰かが駆け寄る。

 手が、伸びる。

(……触らないで)

 思う。

 だが、言葉にならない。

 足元が、崩れる。

 力が、抜ける。

 世界が、遠のく。

 最後に見えたのは。

 光。

 そして――

(・・・ちがう)

 かすかな、否定。

 そのまま。

 意識が、落ちた。


ここまで読んでくださってありがとうございます。

今回は、痕ひとつが広げる波紋の回でした。

王と王妃の距離を見せつけられ、静かに歪んでいくカヨウ。

理性で否定しながらも、現実を突きつけられるカナリア。

同じ光景を見ているのに、受け取り方も傷つき方もまるで違う二人です。

そして、ラゴウとアレクはまだ何も知らないまま。

たった一つの痕が、ここまで周囲を揺らしていきます。

次回、祝宴の裏でそれぞれの思惑が動き始めます。

静かに崩れた均衡が、次は表へ出てくるかもしれません。

ブックマーク、とても励みになります。ありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ