第47話 痕をつける
ラゴウが顔をしかめる。
「・・・面倒くさい」
「分かっています」
「だったら別の手を考えろよ」
「考えた上で、これが最も効果的だと判断したので、あなたにお願いしています」
間髪入れずに返されて、ラゴウは言葉を失う。
(・・・お願い?)
――よく言う。断る余地なんかみじんも残す気がないくせに。
アレクは、声を落とした。
「あなたを守るためです」
ラゴウが、じろりと睨む。
「それ、便利な言葉だな」
アレクシスはまったく動じない。
静かに、少しも揺らがずに言う。
「これは、あなたを王妃の座に縛りつけるためではない」
「あなたが、他人の思惑で切り売りされないようにするためです」
一拍。
「少なくとも、今は」
ラゴウの視線が、ほんのわずかに揺れる。
アレクは、とどめのように言った。
「あなたが本当に自由になりたいのなら」
「今、ここで、政略価値のない王妃と判断されるのは、逆効果ですよ」
沈黙。
長い、長い沈黙。
やがて、ラゴウは顔を背けた。
「・・・帰れると思ったのに」
ぼそりと呟く。
「だから言ったでしょう」
「あなたは、鋭いようで鈍い」
ラゴウが、ぎろりと睨む。
「殴るぞ」
「どうぞ」
ほんのわずかに、アレクが口元を緩める。
「ただ、見えないところを殴ってくださいね。妻から殴られた痕だと思われるのは困ります」
アレクシスは、ふ、とわずかに首をかしげた。
「そのかわり」
一拍。
「わたしも」
低く、ささやく。
「・・・痕をつけて、いいですか」
――なに?
ラゴウが、固まる。
「疑う余地を残さないほど良好な夫婦関係を見せつける必要があるって、言いましたよね」
「いや・・・それは、聞いたけど」
「協力しますよね?」
「するけど、演技だろ」
アレクは、静かに頷いた。
「ええ」
そして、少しだけ間を置いて。
「では、どこまで“本物”に見せるか、相談しましょうか」
ラゴウの眉が、ぴくりと引きつった。
「……やっぱりやめる」
「却下します」
ほんのわずかに、間を置いて。
淡々と。
「疑いの余地を残せば、この演出の意味がない」
一歩、距離が詰まる。
「距離感」
「自然な接触」
「視線」
指先が、ラゴウの髪に触れる。
するり、と。
軽く整えるだけの仕草。
だが。
その距離が、近い。
(・・・なんなんだ、いったい)
動悸が、速い。
(この程度で、うろたえてどうする)
自分に、言い聞かせる。
「それと」
一拍。
「決定的な証拠」
視線が、さらに下がる。
首筋。
鎖骨。
ラゴウの背筋に、ぞくりとしたものが走る。
「……おい」
警戒するように、低く言う。
アレクは、目を逸らさない。
「痕をつけても、いいですか」
がたん、とラゴウは思わず椅子から立ち上がった。
沈黙。
ラゴウの思考が、一瞬、止まる。
「・・・この間、触らないって、アンタ言ったよな」
――触りません。あなたが望まない限り。
「やむを得ない状況が発生したので、その約束は、一時保留に」
「だからって、キスマークつけなくてもいいだろ!」
「視覚的に分かる形で、関係性を示す必要があると思うんですが」
「そんな屁理屈・・・!」
王は、椅子から立ち上がる。
ラゴウに近づく。
「なぜ逃げるんです」
「逃げてるわけじゃ」
王の手が伸びる。
おもわず振り払おうとしたラゴウの手首を難なく捉えて、軽く自分の側に引き寄せた。
「身体に相手の痕を残すのが、一番手っ取り早いでしょう?」
ラゴウは、数秒、何も言わなかった。
やっと、絞り出すような小さな声で、つぶやく。
「・・・なら、せめて、目立たないように・・・」
低く。
投げるように言う。
アレクの目が、わずかに細くなる。
「なにを言っているんです」
一拍。
声が、さらに低く落ちる。
「目立たなければ、意味がないでしょう?」
ラゴウの顔が、かっと熱を帯びる。
「アンタな……っ」
言葉が、出ない。
声が詰まる。
アレクは、淡々と続けた。
「露骨すぎず」
「礼装でも隠しきれない場所に」
一歩、さらに近づく。
距離が、完全に消える。
「・・・ちょっ・・・まて」
思わず、後ずさる。
一瞬。
段差に足をとられた。
よろめいたラゴウの背に王の手が回る。
そのまま、寝台に倒れこんだ。
ラゴウの背が、寝台に沈んだ。
不意に崩れた体勢のまま、息が乱れる。
逃げ場を失ったまま、見上げる形になる。
その上に――アレクシスがいた。
覆いかぶさるように、両手を寝台につき、ラゴウを囲い込む。
影が落ちる。
視界の大半を、男が占める。
近い。
近すぎる。
(……なんで)
呼吸が、浅くなる。
視線を逸らそうとする。
だが、逸らせない。
青灰の瞳が、まっすぐにこちらを捉えている。
逃げられない。
「・・・動かないで」
低い声。
命令のようでいて、どこか掠れている。
ラゴウの指が、寝台の布を握る。
(・・・ただの演技だ)
そう思う。
思うのに。
身体が、言うことをきかない。
距離が、さらに詰まる。
息が、かかる。
わずかに揺れた男の銀髪が、頬に触れる。
アレクシスの視線が、落ちる。
首筋へ。
鎖骨へ。
そして、また、目に戻る。
「・・・」
何も言わない。
言えないのか。
それとも――言えば壊れると、分かっているのか。
ラゴウの喉が、わずかに鳴る。
(・・・なんで、こんな)
ただの演技だ。
分かっているのに。
身体が、うまく言うことを聞かない。
「・・・一度だけです」
ぽつりと。
アレクシスが言う。
「すぐに、終わりますから」
嘘だ、と一瞬思う。
なにが。
どれが。
分からない。
「少しだけ、我慢して」
そのまま。
アレクの手が、ラゴウの顎に触れた。
軽く。
上を向かせる。
逃がさない。
「・・・見るな」
ラゴウが、かすれた声で言う。
「無理です」
即答。
視線が、外れない。
一拍。
そして。
唇ではなく。
首筋に、触れる。
鎖骨のすぐ上。
柔らかな肌に、男の唇が、触れた。
「――っ」
短い息が、漏れる。
ほんのわずかに。
歯が当たる。
痛みよりも。
熱が、残る。
じわりと。
逃げない。
離れない。
一瞬。
ほんの一瞬だけ、のはずなのに。
長い。
(・・・ためだ。もう、心臓が・・・)
そう感じたとき。
アレクは、ようやく離れた。
何事もなかったかのように。
距離を戻す。
視線だけが、残る。
「・・・これで十分でしょう」
淡々と。
声は、いつも通り。
静かで。
整っている。
それなのに。
なにか、どこかが、違う。
ラゴウは、動けなかった。
(・・・なんだ、これ)
鎖骨に、痕が残る。
触れられた場所だけが、妙に熱を持っている。
「・・・おい」
ようやく、起き上がる。
アレクシスは、ラゴウに背を向けて扉に向かう。
振り返らない。
「明日の準備を」
それだけ言う。
「・・・入念に」
扉が閉まる。
どさ、とラゴウは、寝台に倒れこんだ。
一気に、脱力する。
(・・・なんで、あいつはいつも混乱させるようなことをやるんだ)
胸の奥が、ざわつく。
ただの演技だ。
もしくは、からかって遊んでいる。
分かっている。
分かっているのに。
(・・・なんで)
あの男の指先の感触が。
消えない。
◇ ◇ ◇
額に手を当てる。
我ながら。
――愚かなことをしている。
自覚がある。
(・・・いい加減、気づいてほしい)
単に彼女に触れたくて、こんな策を弄している。
「陛下?ご気分でもお悪いのですか」
ルシアンが心配そうな口ぶりで言う。
「・・・いや、なんでもない」
短く返す。
視線を落とす。
指先に、残る感触。
(・・・)
消えない。
わずかに、息を吐く。
・・・草原になど、帰すものか。
カヨウになど、渡すものか。
言葉にはしない。
ただ、内側で固める。
――自制が、きかない。
はじめてだった。
ここまで。
自分を制御できないのは。
――どうすればいい。
何をすれば。
あの女は、こちらを見る。
足掻いている。
必死に。
答えは出ない。
それでも。
考えるのをやめない。
(・・・滑稽だな)
自嘲のように、思う。
王でありながら。
欲しいと思うたったひとりの女が、手に入らない。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
今回は、距離を詰めたい王と、全力で逃げたい王妃の攻防回でした。
「演技だから」と言いながら、どちらも全然演技で済んでいないのが、この二人らしいところです。
ラゴウは振り回され、アレクは平静を装いながら内心かなり限界です。
そして最後に見えた、王の本音。
欲しいものほど手に入らない。
完璧に見える男ほど、不器用だったりします。
次回は、祝宴の夜。
美しく整えた盤面が、大きく崩れ始めます。
引き続き、お楽しみいただけると嬉しいです。




