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第44話 揺れる夜に護衛と酒を交わす

 

 静蘭の茶芸館は、夜になると空気が変わる。

 昼間の茶葉の匂いは薄れ、代わりに、甘い酒と香の匂いがゆるやかに満ちていた。


 奥の席。

 灯りは低く、影が揺れている。

 卓を挟んで、向かい合う。

 琥珀色の酒が、いくつも並ぶ。

 ラゴウは、肘をついていた。

 赤い髪が無造作に流れ、顔の半分を隠す。

 隙間からのぞく眼だけが、やけに鋭い。

 指先が、グラスの縁をなぞる。

 カラン、と。

 小さな音。

 気だるくて。

 どこか、苛立っている。

 対して――シキ。

 椅子に深く座り、ほとんど動かない。

 黒衣が全身を覆う。

 布は光を吸い、輪郭だけがかろうじて浮かぶ。

 目元には、巻かれた布。

 視界を完全に閉ざす眼帯。

 それでも。

 顔立ちは分かる。

 線の細さ。

 鼻筋。

 口元のかすかな硬さ。

 整っている、と思わせるに足る造形。

 そして何より。

 気配が、揺れない。

 ラゴウの荒れた空気とは対照的に、ただそこに在る。

 静かに。

 動かずに。

「何杯飲む気だ」

 シキが言う。

 短く。

 ラゴウは、わずかに笑った。

「まだほんの数杯だろ」

 嘘だ。

 並んだグラスの数で分かる。

 だが、シキは追及しない。

 琥珀色の液体が喉を落ちる。

 灯籠祭りの夜と、同じ酒だ。

 あいつも、かつて、よく飲んでいたという酒。

 甘くて強い。舌にしびれが残る。

 何を忘れたくて、紛らわせたくて、こんな強い酒を飲んでいたんだか。

 ラゴウは、グラスを軽く回す。

「・・・おまえは減ってないな?」

「無理やり酒につきあわされて、どうでもいい愚痴を聞かされる身にもなってみろ」

 シキの前の酒は、ほとんど手つかずだ。

「美味いと思うけどな」

「好みじゃない」

 即答。

「これはレザリア王の好きな酒だろう」

 一拍。

 ラゴウの手が、ほんのわずかに止まる。

「・・・そうだな」

 何でもないふうに言う。

 もう一口、飲む。

(・・・だから、なんだって話だ)

「じゃ、作ってやろうか」

 気分を変えるように言う。

 シキが、わずかに眉を動かす。

「おまえが?」

「学生の頃、バーでバイトしてた」

 軽く言う。

「バーテンダーにならないかって誘われたこともあるくらいだ」

 シキは、何も言わない。

 意味が分からない単語は、いつものことだ。

「静蘭、地下の薬房、少し借りるぞ」

 カウンターの奥。

 女主人が、目だけで笑う。

 ――どうぞ。

 ラゴウは、席を立った。


 静蘭が、いつの間にか卓のそばに立っていた。

 音もなく、盆を置く。

 白磁の器。

 薄く、軽い。

 縁に、淡い青で草花が描かれている。

 小さな皿が、いくつか並ぶ。

 透けるほど薄く切られた白身魚。

 上に、柑橘の皮がひとつまみ。

 琥珀色の煮凝り。

 中の具材が、灯りを受けて揺れる。

 黒い器には、なめらかな豆腐。

 ほんの少しの薬味。

 細長い皿には、軽く炙った肉。

 香ばしい匂いが、静かに立つ。

 静蘭は、器の位置をわずかに整えた。

「・・・お酒に合うものを」

 それだけ言う。

 シキが肉をひと口。

「・・・悪くない」

 短く言う。

 静蘭は、わずかに目を細めた。

「あなたは、不思議な方ですね」

 一拍。

 言葉を選ぶように。

「人倫の輪廻から、外れている」

 視線が、シキを捉える。

「それでいて、ここに“いる”」

 一拍。

「珍しい方です」

 シキは、何も答えない。

 ただ、視線を返す。

 静蘭は、ふ、と笑う。

「王妃様が懐かれるのも、分かります」

 柔らかく。

 だが、どこか核心を突く声。

「まるで――」

 ほんのわずかに、間を置く。

「昔から知っている相手のように」

 シキの指が、わずかに止まる。

 静蘭は、それ以上は言わなかった。


「シキ」

 ラゴウの声。

 軽い足音。

 戻ってくる。

 静蘭は、すでに背を向けていた。

 来たときと同じように。

 音もなく、離れる。


 戻ってきたラゴウの手には、小さな包みがいくつかあった。

 乾いた葉。

 細く刻まれた根。

 琥珀色の小瓶。

 卓に、並べる。

 無造作に。

 だが、配置に無駄がない。

「・・・何の真似だ」

 シキが言う。

 ラゴウは答えない。

 グラスをひとつ引き寄せる。

  指先で、軽く弾く。

 澄んだ音。

 そのまま、酒を注ぐ。

  細く。

  揺らさず。

 葉をひとつ、潰す。

 青い匂いが立つ。

 そのまま、落とす。

 琥珀色の液体を、数滴。

 混ぜる。

 ゆっくり。

 一定のリズムで。

(……手慣れてるな)

 ただ、それだけの動きなのに。

 目が、離れない。

 指が長い。

  節が、わずかに浮く。

 ふと。

 重なる。

 ――別の姿。


 明るい灯りの下。

  整えられた髪。

  細く笑う口元。

 ――これ、好きでしょ?」

 差し出されるグラス。

 軽い声。

  だが、手元は正確。


 ラゴウの動きが、止まる。

 一瞬。

 現実に戻る。

 赤い髪。

  荒い仕草。

 だが――手だけは、同じだ。

 グラスを差し出す。

「飲め」

 シキは受け取る。

  香りを嗅ぐ。

「……変な匂いだな」

「うるさい」

 ひと口。

 沈黙。

「……悪くない」

 ラゴウが、鼻で笑う。

「だろ」

 一拍。

 グラスの中で、液体が揺れる。

 ラゴウは、ぼそりと呟いた。

「……昔、やってた」

 シキは何も言わない。

 ラゴウは、グラスを回す。

「夜だけな」

 ほんの一瞬。

 別の顔が、覗く。

 軽くて。

  余裕があって。

  人を食ったような笑い。

 ――ジンナイ。

 すぐに消える。

 ラゴウは、顔を伏せた。

 指先だけが、少し丁寧になる。

「もう少し、おまえ好みに調整してやるよ」


第44話「揺れる夜に護衛と酒を交わす」をお読みいただき、ありがとうございます。

少しだけ、静かな夜の回でした。

揺れているラゴウと、揺れないシキ。

その対比が出ていれば嬉しいです。

そして、ラゴウの中にある“別の顔”も、少しだけ。

次話から、また流れが動いていきます。

引き続き、よろしくお願いします。


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