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第43話 均衡がくずれる

 沈黙が、落ちる。

 ラゴウの言葉は、軽かった。

 突き放すようで、どこまでも平坦で。

 なのに。

 アレクシスの中で、何かが音を立てて崩れた。

「・・・終わりにしたい?」

 ようやく、絞り出す。

 ラゴウは目を合わせない。

「・・・償いをする気なら、草原に帰してくれ」

 ――離婚を。

 そうすれば、永遠に別れて、二度と会わずにすむ。

「カナリアを娶れ」

 大切に大切に想い続けた女を。

「わたしは、もう、アンタのそばにはいたくない」

 アレクシスの喉が、わずかに動く。


 本来なら。

 ここで、引くべきだ。

 王として。

 立場として。

 関係として。

 ――だが。

 足が、動かない。

「・・・わたしは」

 声が、掠れる。

 自分でも驚くほど、低く、不安定な声だった。

「あなたを、手放すつもりはありません」

 ラゴウの肩が、ぴくりと揺れる。

「・・・なに」

 視線が合う。

(この男は何を言ってる)

 アレクシスは、立ち上がる。

 一歩、踏み出す。

 距離が、詰まる。

「あなたが、どう思おうと――関係ない」

 わずかに、言葉が揺れる。

 それでも。

「わたしは、あなたを手放さない」

 ラゴウの目が、見開かれる。

「……何言ってんだ、アンタ」

 怒りのはずだった。

 だが。

 ほんのわずかに、声が揺れた。


 アレクシスは、止まらない。

 一歩。

 さらに踏み込む。

 ラゴウは、反射的に後ずさる。

 だが。

 すぐに、壁に背が当たった。

 逃げ場がない。

「来るな」

 低く、言う。

「それ以上、来たら――」

 言葉が、続かない。


 アレクシスは、止まる。

 その距離。

 手を伸ばせば、届く位置。

 だが。

「……触れません」

 静かに、言う。

「あなたが望まない限り」

 一拍。

「ですが」

 視線が、逸れない。

「離しません」


 ラゴウの喉が、鳴る。

(・・・なんだ、それ)

 意味が、分からない。

「ふざけるな」

 吐き捨てる。

「アンタに、そんな権利――」

「・・・あります」


 わずかに、間を置いて。

 それでも、言い切る。

 ラゴウの目が、見開かれる。

「あなたは、わたしの王妃だ」

 低く。

 はっきりと。

 逃げ場を与えない声。

 ラゴウの呼吸が、乱れる。

(……やめろ)

 それ以上、言うな。

 アレクシスの声が、落ちる。

「――わたしは」

 一瞬。

 言葉が、詰まる。

 ――はじめてだった。

 何を言えばいいのか、分からない。

 それでも。

「あなたを」

 低く。

 掠れた声で。

「失いたくない」


 沈黙。

 ラゴウの思考が、止まる。

(……は?)

 今、なんて言った。

 胸の奥で。

 何かが、強く跳ねる。

 ラゴウは、顔を上げない。

 視線を、逸らしたまま。

「・・・そんなのを」

 ラゴウは、続ける。

「今さら、そんなことを言われても」

 一拍。

「どうすればいいか、分からない」

 本音だった。

 怒りでも。

 拒絶でもない。

 ただ。

 どう反応すればいいのかわからない。

 困る。


 沈黙。


 アレクシスの手が、わずかに動く。

 だが。

 止まる。

 触れない。

「目を、逸らさないでください」

 まるで懇願するような声音に、ラゴウのほうが落ち着かない。

「わたしを見て」

(・・・この状況で、それは、無理なんだよ!)

 逃げ出したい。できれば。

「・・・分かっています」

 低く。

 絞り出す。

「遅かったことも」

「取り返しがつかないことも」

 一拍。

「それでも」

 低い声が落ちる。

「諦めません」

 ラゴウの肩が、震える。

(・・・こいつ)

(なんで、こんなに、面倒くさいんだ)


 ――最悪だ。


 二人の距離は、そのまま。

 触れないまま。

 離れないまま。

 均衡だけが、変わっていた。


 ◇ ◇ ◇


 その一部始終を。

 カナリアは、見ていた。

 だが。

 その内側で。

 何かが、静かに、ひび割れる。

(……違う)

 こんなはずじゃない。

 王は。

 あの人は。

 もっと。

 穏やかで。

 揺るがなくて。

 誰にも左右されない存在だったはずだ。

 それなのに。

 いま。

 あの人は。

 ラゴウを見ている。

 明らかに。

 以前とは、違う目で。

(どうして)

 問いが、胸の奥に沈む。

 ――彼は、わたしだけを見ていたはずなのに。

 あの女は。

 荒くて。

 無礼で。

 危うくて。

 聖性とは、対極にある存在。

 それなのに。

 なぜ。

(……許せない)

 初めて。

 はっきりとした形で、感情が浮かぶ。

 嫉妬。

 そして。

 危機感。

 ラゴウの腕の傷に、視線が落ちる。

 血。

 包帯。

 それでも、あの女は立っている。

 そして。

 治している。

 兵を。

 命を。

 魔法ではなく。

 手で。

 知識で。

 判断で。

(……あれは)

 胸の奥が、ざわつく。

 もし。

 あの方法が広まれば。

 回復魔法に頼らない世界が、成立する。

 聖女である意味が。

 揺らぐ。

(そんなこと、あってはならない)

 静かに。

 決意する。

 排除するのか。

 利用するのか。

 まだ、決めない。

 だが。

 あの女を、放置してはいけない。

 それだけは、確定していた。

 ――静かに、殺意が形を持つ。


 ◇ ◇ ◇


 広間に戻る。

 カナリアは、ゆっくりと視線を伏せた。

 次に顔を上げたとき。

 そこにあるのは、いつもの聖女の微笑だった。

 完璧に。

 何も変わらないように。

「……近衛隊長」

 柔らかな声で、呼ぶ。

 ルシアンが振り返る。

「はい、聖女様」

「ひとつ、お願いがあるのです」

 穏やかに。

 あくまで、善意の延長のように。

「今回の戦で負傷された兵の記録を、少し詳しく拝見したくて」

 一拍。

「治療内容も、含めて」

 ルシアンの目が、わずかに細くなる。

「……王妃の、治療記録、ですか」

 カナリアは、微笑む。

「ええ。とても興味深い方法でしたから」

 嘘ではない。

 ただし。

 すべてでもない。

「今後の医療体制の参考になるかもしれません」

 理屈としては、完璧だ。

 否定できない。

 ルシアンは、数秒だけ考える。

 やがて。

「……分かりました」

 短く答えた。

 カナリアは、深く頭を下げる。

「ありがとうございます」

 その声は、どこまでも澄んでいる。


(まずは、知る)

 どんな技術か。

 どこまで可能か。

 誰に教えられたのか。

 ――どこまで、広がりうるのか。


(そのうえで)

 排除か。

 封印か。

 あるいは。

 ――取り込むか。


 静かに。

 聖女は、次の一手を選び始めていた。


第43話「均衡がくずれる」をお読みいただき、ありがとうございます。

離れようとするラゴウと、手放さないと言い切るアレク。

そして初めての「失いたくない」。

けれど、その言葉はあまりにも遅くて、

ラゴウには受け止めきれない。

一方で、カナリアの中でも何かが動き始めます。

ここから、それぞれの選択が加速していきます。

次話もよろしくお願いします。


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