第39話 花を贈る少年の記憶
天幕の入口に、影が落ちた。
「入るよ」
軽い声。
ラゴウは顔を上げる。
白銀の髪。
細い体躯。
光の加減で、赤にも黒にも見える不思議な色の瞳が、静かに揺れた。
ツクヨミだ。
「・・・なんだ」
「お見舞いもって、また来るって言ったでしょ」
手にしていたのは、小さな花束だった。
可憐な白い花だ。
だが、どこか、懐かしい。
ラゴウの視線が、わずかに止まる。
「・・・それ」
ツクヨミは、何でもないように差し出す。
「好きでしょ」
沈黙。
ラゴウは受け取る。
指先が、ほんのわずかに止まる。
(・・・この花)
記憶が、よぎる。
草原を出て、3年の間。
毎年、贈られてきた。
かすかに甘い花の香り。
まだ幼い少年が、はにかむように差し出してきた花。
いつもじゃれあうように一緒に過ごしていた。
レザリアへの降嫁で別れた時には、まだ背も低くて、細くて――いつも、まるで少女のような優しい面差しで、行かないで姉上、と泣きじゃくっていた、義弟。
つい先ごろ、草原王の名を継いだ、と聞いている。
「・・・カヨウ?」
ぽつりと、名がこぼれる。
――・・・錯覚?
ツクヨミの目が、細くなる。
笑う。
軽く。
だが、その視線だけが外れない。
ラゴウは花を見る。
(・・・似てる)
限られた者しか知らぬ、ラゴウの本当の誕辰(誕生日)の時期に。
決まって贈られてきた、草原の花。
あの頃の、義弟に。
――まさか。
「・・・なぜ、この花が好きだと?」
何気ない声を装う。
ツクヨミは肩をすくめる。
「なんとなく」
嘘だ。
わかる。
だが、追及しない。
「・・・そうか」
短く言う。
ツクヨミは一歩、近づく。
「大事にしてよ」
低く。
「眺めたあとは、乾燥して、煎じて飲めば鎮痛剤になる」
一瞬。
空気が、変わる。
「・・・飲みすぎなければ、ね」
ラゴウの目が、わずかに細くなる。
「・・・へえ」
そんな効能の花の名前を、どこかで聞いた覚えがある。
だが、深くは踏み込まない。
「まだ、痛む?」
「少しな」
「大丈夫。そんな痛み、僕が消してあげる」
――レザリア王のために負った傷を肌に残すなんて、許さない。
「僕の故郷には良い薬草がたくさんあるんだ。取り寄せておくね」
「・・・恩に着る。でも、本当にたいした傷じゃないから」
ツクヨミは、くすりと笑う。
「じゃあね」
踵を返す。
そのまま、音もなく外へ消える。
残ったのは、花と――わずかな、違和感。
(……なんだ)
胸の奥が、ざわつく。
懐かしい。
だが。
それだけじゃない。
何かが、違う。
◇ ◇ ◇
招かれざる訪問者は、その日の午後にやってきた。
「――あなたの天幕は、ずいぶん、賑やかなようですね」
低い声。
ラゴウは顔を上げる。
「・・・ヒマじゃないんだろ。なんでまた来る」
(・・・まったく、どいつもこいつも)
アレクシスの視線が、ゆっくりと室内をなぞる。
果物。
包み。
そして。
――花。
一瞬。
その視線が、止まる。
ラゴウはさりげない口調を装う。
「見舞いだよ。ありがたいことにな」
「そうですか」
短い。
だが。
空気が、わずかに沈む。
アレクが歩み寄る。
寝台のそば。
手が伸びる。
花に触れる。
「・・・これは?」
何気ない声。
だが、低い。
ラゴウは肩をすくめる。
「もらった」
「誰から」
間髪入れずに。
ラゴウが眉をひそめる。
「別に、誰でもいいだろ」
沈黙。
アレクの指が、花をなぞる。
ゆっくりと。
「よくありません」
低く。
「近衛隊の騎士が、出所不明の贈り物を受け取るのも」
理屈だ。
正しい。
「男が贈る花を、女が受け取る、ということの意味を認識していないのも」
だが。
それだけではない。
「どちらも問題だと思いますが?」
ラゴウは鼻で笑う。
「別に、深い意味なんてない。ただの花だろ」
視線が、ぶつかる。
(・・・なんでそんなに見る)
逃げ場がない。
低く。
静かに。
「――誰ですか」
その圧に、一瞬、気押される。
アレクの視線が、ゆっくりと上がる。
真正面から、ラゴウを捉える。
「あなたに花を贈る男がいて」
一拍。
「あなたは、それを受け取った」
さらに一拍。
「・・・そういうことですよね?」
「それは、だって、受け取るだろう、普通」
「・・・誰ですか」
「言う必要あるのか」
「あなたに近づく人間は、すべて、把握します」
「なんの権限があって」
「あなたの傷はわたしのものだって、言いましたよね」
「勝手に所有するな」
「あなたは、わたしの王妃ですよね」
「だからなんなんだそれは。そんなに部下の動向を把握したいのか?からかってるのか?ケンカ売ってんのか?嫉妬してるのか?」
一瞬、アレクシスの表情が強張る。
「あ。いや、嫉妬、てのはナシで・・・」
「・・・口説いているんです」
ふ、と男は笑う。
――口説く?だれが、だれを?
「あなた、鋭いようで、鈍いですよね」
・・・いや。これ以上は、聞かないほうがいいような気がする。
さっさと話を終えて追い返そう。
埒が明かない。
「ツクヨミだ」
アレクシスの眉がわずかに上がる。
「ツクヨミ?」
「故郷に薬草が生育する場所があると。この花も、乾燥して煎じて飲めと言ってた」
アレクは動かない。
沈黙。
「・・・なるほど?」
花を、一瞥する。
「・・・花なら、王宮にもどってからわたしが山ほど贈ります」
「いや、そんなに大量の花なんか要るかよ。どうせくれるなら実用的なものにしてくれ」
「だから、ツクヨミが贈った花は、わたしにください」
「アンタがもらってどうするんだ」
「この花をみるたび、あなた、贈り主を思い出すでしょう」
「いや、だから、そういう関係じゃないし」
「ください」
一歩も引かない。
「・・・わかったよ、まったく・・・」
(なんなんだ、いったい)
◇ ◇ ◇
天幕を出ると、近衛隊長が控えていた。
アレクシスの片手には、可憐な白い花が花器ごと握られている。
「・・・陛下」
話かけようとすると、想定外に冷たい声音が返ってきた。
「ルシアン」
王の瞳が、鋭い。
「・・・どうなさいました」
「ツクヨミの来歴を探れ」
「ツクヨミ、ですか」
「草原の間者か・・・もしくは、もっと大物の可能性も」
――寝台の枕元のガラスに活けられているその白い花に、見覚えがあった。
毎年、ある一定の時期に、草原から花が贈られてきた。
いつも頑なな表情で、めったに笑わない王妃が、その時ばかりは、嬉しそうに笑っていた。よほど親しい者からの贈り物なのだろうと思っていた。
聞けば、2つ下の弟からだと。
よほど絆の深い姉弟なのだろうと、その時は考えていた。
しかし。
記憶を辿る。
王妃の寝室。
いつも、同じ時期に、同じ香りが、あった。
毎年、一度も欠かさず、草原から届いていた花。
この3年間。
毎月、抱いた。
王の責務だったとはいえ。欲情を抑えながらだったとはいえ。
王妃は、一度も、子を宿さなかった。
しかし。
子を宿さなかった、のではなく。
誰か、何かの意図によって、身体の機能を止められていたのではないのか。
(・・・まさか)
「もうひとつ」
「なんなりと」
「この花を、異民街の薬房へ」
「静蘭様のところですか」
「効能を調べてほしいと。・・・分かり次第、すぐに連絡を」
「・・・おかしな点が、あるのですね」
王の目が、底冷えするような光を宿す。
そしてはっきりと、告げる。
「王妃の身体に干渉する者は――」
一拍。
「例外なく、殺す」
第39話をお読みいただきありがとうございます。
今回は、「花」にまつわる記憶と違和感の回でした。
一見すると、ただの見舞い。
けれどラゴウにとっては、過去と繋がる“特別な花”。
そしてその裏には、まだ名前のつかない不穏さが潜んでいます。
そしてアレクシス。
今回はかなり分かりやすく“厄介な男”になってきました。
理屈を並べながら、やっていることはほぼ独占と排除です。
ただ――
彼が本当に見ているのは、花ではなく、その先にあるものです。
引き続き見守っていただけると嬉しいです。




