第36話 避けなかった理由
一瞬、耳を疑った。
――今、ラゴウ、と。
アレクシスの声だった。
――はじめて、ラゴウ、と呼んだ。
次の瞬間。
王は、もう、動いている。
誰よりも速く。
距離を詰める。
倒れかえたラゴウの身体を、王の手が支える。
兵が駆け寄る。
「触るな!」
アレクは一喝する。
「離れろ」
低い。
だが、逆らえない声で、アレクは言う。
周囲の兵が、一歩退く。
アレクの手が、ラゴウの腕を掴む。
矢は肩を貫き、ぽたぽたと血が滴る。
視線が、一瞬で状況を読み取る。
状況を測る。
出血量。
呼吸。
(貫通している――)
迷いは、ない。
「動くな」
低く言い切る。
ラゴウの肩に手をかけ、
矢の軸を掴む。
「……折る」
ためらいなく。
――バキッ
乾いた音。
矢を短くする。
ラゴウの息が詰まる。
「っ……!」
「抜くぞ」
一拍。
「――耐えろ」
一気に押し出す。
肉を裂く感触。
血が、噴く。
ラゴウの身体が跳ねる。
アレクはそのまま、
傷口を押さえ込んだ。
「止血!」
周囲へ命じる声は、冷静だった。
だが。
その手だけが。
わずかに、震えていた。
「軍医を呼べ」
「聖女は下がれ」
アレクシスは、矢継ぎ早に、次々と指示をする。
そして、ラゴウを抱き上げる。
「自分で歩ける」
「歩かせません」
迷いがない声音で言い切り、王はラゴウを天幕へ運んだ。
◇ ◇ ◇
「……何をしているんです、あなたは」
低く。
押し殺した声。
ラゴウは、うっすら笑う。
「見ての通りだろ」
「避けられたはずです」
知っている。
この女は。
避けられた。
確実に。
「……骨も、神経も、無事だ。急所ははずれてる」
軽く言う。
「なぜ避けなかったんです」
ラゴウが、視線を逸らす。
「ここは戦場です。気を抜けば、生死に関わる」
王の声に、静かな怒りがにじむ。
「説明してください。あなたの行動の意図は?」
・・・言いたくない。
ほんの一瞬。
頭をよぎったものを。
言えるはずがない。
後ろに聖女がいたからなんて。
(……聖女が傷ついたら、アンタが、悲しむ気がして、なんて)
そんな顔を、見たくなかった、なんて。
「集中を欠いてた・・・次からは肝に銘じる」
アレクシスの瞳が、鋭く光る。
「嘘です」
この女が、戦場で集中を欠くなど。
ありえない。
「なぜ、自分から矢に当たりにいくような真似を?」
言いたくない。
言えば。
何かが壊れる。
沈黙。
アレクシスの怒りを感じて、ラゴウは目を伏せた。
「……そっちこそ、なんで来た」
ラゴウが言う。
「前線はどうした」
アレクは答えない。
ただ、視線が動く。
ラゴウの肩。
血の滲んだ包帯。
矢傷の位置。
「こちらの救護天幕の位置が敵に漏れているとの情報が入ったんです。・・・狙われる聖女のかわりに、あなたが聖女を装って敵の標的になっていると」
「・・・大丈夫だ」
短く。
「なにが」
「聖女は無傷だ。外に出ないように今後は天幕の中で仕事をしてもらう。神殿に帰してもいい。負傷兵の対応はわたしと軍医だけでもなんとかなるから」
それだけ。
ラゴウは鼻で笑う。
「・・・彼女が心配で来たんだろ」
沈黙。
否定しない。
だが。
肯定もしない。
「聖女も怯えているだろうから、様子をみてくるといい」
行けよ、と続けた。
が、アレクシスは、動かない。
ただ、ラゴウの傷に、静かに手を伸ばした。
まるで。
――大切なものに触れるように。
(・・・なんだよ)
ラゴウは眉をひそめる。
(そんな顔するなよ)
「なんでアンタが痛そうな顔をするんだ」
アレクシスは、何も言わない。
軍医が駆けつけた。
傷口を確認する。
「命に別条はありません。ただ――」
言い淀む。
「・・・思いのほか、深い。・・・傷が残るかもしれません」
沈黙。
――やはり、矢に射られたのが、自分で良かった。
・・・聖女の肌に矢傷などが残れば、この男は自分自身を激しく責めただろうから。
(あー、こういうの、重いよな)
いろいろな女とつきあった。
が、相手が本気になりそうだと感じたら、すぐに逃げた。
重いのは、苦手だ。
自分を犠牲にしてでも相手のために動くなんて。
しかもたいして好きでもない女にそういうことをされるとなると。
・・・重い。
重荷だとは、思われたくない。
負担に感じさせたくない。
同情されるのも、まっぴらだ。
(自己犠牲とか、献身とか・・・)
そんなもの、くだらないと思っていた。
「傷が残る?」
底冷えするような声だった。
そんな声を、はじめて聞くような気がする。
「全力を尽くしますが・・・」
言い淀む軍医に向かって、ラゴウは、あっさり言う。
「別に、かまわない」
本気で。
何の執着もない声。
その瞬間。
アレクの視線が、止まる。
一拍。
それから。
静かに、口を開く。
「・・・あなたは、自分のからだをなんだと思っているんです」
(怒ってるのか、この男は?)
戦略上の駒だから?
なにも死んだわけじゃないんだから、草原との同盟には影響しないだろうに。
(なにに対して、怒ってるんだ)
「陛下。傷に障ります。この者には数日安静が必要です」
軍医の言葉に、アレクシスははっとしたように顔を上げた。
「たいした傷じゃない。少し休んだら負傷兵の対応に戻る」
「だめです」
きっぱりと、王は言った。
「数日、安静です。これは命令です。破れば近衛隊を破門しますから、そのつもりで」
吐き捨てるような勢いで告げて、王は天幕を出ていく。
(だから、なんでそんなに怒る・・・)
◇ ◇ ◇
(……なぜ、避けなかった)
疑問を、反芻する。
(避けられたはずだ)
確信がある。
あの距離。
あの速度。
彼女の身体能力なら。
(戦局に集中していなかった?)
ありえない。
ラゴウは――戦場を読む。
流れ。
間合い。
呼吸。
どれも、誰よりも鋭い。
(……なら、なぜ)
一瞬。
思考が止まる。
そのとき。
「後ろにいた」
低い声。
シキだ。
いつの間にか、すぐ隣に立っている。
「聖女が」
一拍。
「ラゴウが避ければ、聖女に当たる位置だった」
沈黙。
アレクの瞳が、わずかに揺れる。
「カナリアを、庇ったのか」
「物理的には、そういうことになるんだろうが」
黒衣の護衛は、低く、問う。
「ラゴウは、だれのために、聖女をかばったと?」
アレクシスの視線が、ぎり、と護衛を射抜いた。
「分からないのか」
一拍。
「それとも、分からないふりなのか」
空気が、冷える。
シキは肩をすくめる。
「中途半端に弄ぶくらいなら、いっそ捨てろ」
淡々と。
「おれが拾って、草原に連れ帰る」
「・・・護衛ごときが、口をはさむな」
静かな声だった。
だが、その奥にあるものは、冷たく鋭い。
視線だけで、押し潰す。
シキは、ふ、と笑う。
背を向ける。
「それにしても」
去り際に、言う。
「まさか、自分から当たりに行くとはな」
吐き捨てるように。
「……愚かなやつだ」
一拍。
「面倒が見きれん」
第36話を読んでくださってありがとうございます。
今回は「避けなかった理由」。
そして、それを問う側と、答えない側のズレを描きました。
ラゴウは理由を言わない。
アレクは、それを見抜けない。
だからこそ、この回は「言葉」ではなく、
行動と視線で関係が動いています。
そしてもうひとつ。
アレクが、はじめて明確に“怒る側”に回りました。
理ではなく、感情で。
それが何を意味するのかは、次で。
引き続き、お付き合いいただけたら嬉しいです。




