第35話 はじめて呼ばれた名前
北嶺とレザリアの国境付近。
臨時の医療天幕が張られる。
布の下。
血の匂い。
土。
汗。
そして。
物資不足。
何もかもが足りない。
薬。
器具。
人手。
「次」
ラゴウの声は短い。
迷いがない。
担ぎ込まれた兵の腕。
不自然な角度。
骨折。
「固定する」
即断。
布を裂く。
木片を当てる。
巻く。
締める。
――簡易副木。
「動かすな」
兵が息を飲む。
痛みはある。
だが。
理解できる。
この処置は、正しい。
次。
足首。
腫れ。
靭帯。
ラゴウは一瞬だけ触れる。
圧。
反応。
(……損傷は軽い)
「テープ」
誰も動かない。
「布でいい」
自分で取る。
細く裂く。
巻く。
固定する。
交差。
締める。
――関節の可動域を制限する。
「これで歩ける」
兵が目を見開く。
「本当に?」
「無理はするな。だが動ける」
次。
肩。
脱臼。
ラゴウは、息を整える。
「押さえろ」
兵が二人、腕を固定する。
「力を抜け」
一拍。
引く。
回す。
――はめる。
鈍い音。
「っ……!」
兵の身体が跳ねる。
次の瞬間。
止まる。
動く。
「……上がる」
「当たり前だ」
ラゴウは、次へ行く。
止まらない。
迷わない。
その動きは。
魔法ではない。
奇跡でもない。
ただ。
正確で。
速くて。
無駄がない。
◇ ◇ ◇
少し離れた場所。
聖女カナリアが、手を当てる。
光。
淡く。
優しい。
傷が塞がる。
呼吸が戻る。
兵が、涙を流す。
「……ありがとうございます」
聖女は、微笑む。
いつものように。
だが。
視線が、揺れる。
ふと。
ラゴウを見る。
違う。
あれは。
“癒していない”。
切る。縫う。固定する。骨を繋いでいる。
痛みを消していない。
奇跡ではない。
それでも。
兵は、動ける。
戦場に戻れる。
(……なに、あれ)
カナリアの指が、わずかに止まる。
回復魔法は、完全だ。
痛みを消し、傷を塞ぎ、元に戻す。
それが、価値だった。
絶対だった。
なのに。
王妃は。
“完全ではない方法”で、聖女と同じ場所に立っている。
いや。
違う。
もっと、現実的で。
もっと、容赦がない。
「次、お願いします」
兵の声。
カナリアは、はっとする。
「……ええ」
微笑む。
だが。
もう一度。
視線が、向く。
ラゴウへ。
(あれは)
一瞬。
胸の奥が、ざわつく。
(……危険だ)
もし。
あれが広まれば。
もし。
あれが“当たり前”になれば。
回復魔法の価値は、絶対ではなくなる。
(そんなこと)
ありえない。
はずなのに。
視線が、外せない。
ラゴウは、振り返らない。
ただ。
次の兵へ向かう。
迷いなく。
止まらずに。
◇ ◇ ◇
翌日も、負傷兵のへ対応は続いた。
戦場。
冷たい風。
土の匂い。
血の気配。
その中で。
聖女は、動いていた。
迷いなく。
次々と。
倒れた兵へ近づき、膝をついて、手を当てる。
光が、淡く広がる。
呼吸が戻る。
血が止まる。
「次」
声は、落ち着いている。
震えない。
誰よりも前にいる。
誰よりも危険な場所で、奇跡を体現する。
それが聖女の価値だと、信じて疑わない。
ラゴウは、その後ろに立つ。
視線を走らせる。
周囲。
気配。
敵影。
「……前に出すぎだ」
低く呟く。
だが。
聖女は止まらない。
その先。
少し離れた場所。
アレクシスが立っている。
指示を飛ばす。
冷静に。
正確に。
その横に、聖女が近づく。
何かを話す。
距離が近い。
自然に。
まるで。
――当たり前のように。
兵のひとりが、小声で言った。
「……元恋人同士らしい」
「お似合いだな」
「草原の王女が、無理やり割り込んだって話だろ」
「陛下も大変だな」
くすくすと、笑いが漏れる。
「そのうち、聖女を側妃に迎えるかもな」
「いや」
別の声。
「あの様子じゃ、側妃どころじゃない」
一拍。
「王妃が長くないって噂もある。めったに表に出ないだろ」
「ずいぶんと虚弱な女らしい」
「じゃあ、次の正妃は……」
「カナリア様だろ」
沈黙。
小さな同意の空気。
ラゴウの目が、細くなる。
「……好き勝手言いやがって」
だれが、虚弱な女だ。
低く、吐き捨てる。
「一方的に、悪者にするなっての」
しかし。
・・・半分は、事実かもしれない。
――相思相愛のふたりの間に、割って入った邪魔者。
だから、余計に。
腹が立つ。
(……どうでもいい)
そう思う。
思う、はずなのに。
視線が、向く。
アレクシスと。
聖女。
並んで立つ。
自然に。
迷いなく。
(……似合ってるよな)
自分と並ぶより、よほど、恋人らしく見える。
美しい妻を気遣う、優しい夫の構図に見える。
舌打ちする。
・・・求婚を拒絶されたからって、簡単に本命の女を諦めるんじゃねえよ。
自分の感情を抑えつけて、それでも耐えきれずに聖女を追っていた、あいつの視線。
そういうところが、結果的に、ラゴウを追い詰めたんだよ。
(なら、さっさと――)
譲ればいい。
全部。
あんなやつ。
くれてやる。
そして、戻る。
草原へ。
(そのはずだろ)
なのに。
胸の奥が、ざわつく。
「……面倒くさい」
小さく呟く。
カナリアを側妃に。
それも、ありだ。
理にかなっている。
何もかも、丸く収まる。
(・・・でも)
視線が、また向く。
あの距離。
あの空気。
当たり前のように寄り添うふたり。
――耐えられるか?
今でさえ、こんなに苦しいのに。
(……近くで見るのは、無理だ)
きっぱりと。
思う。
遠くなら、あるいは。
離れていれば。
あの二人の幸せを、祝えるかもしれない。
だが。
近くでは。
――とうてい、無理だ。
だったら、アレクシスから離れる。
目に入らないところまで。声も聞こえないところまで。
二度と会わなくていい距離まで、離れる。
ラゴウは、顔を上げる。
ラゴウなのか、ジンナイなのか、もうその境界はあやふやだ。
視線を切る。
戦場へ。
戻す。
「……仕事しろ」
自分に言い聞かせるように。
◇ ◇ ◇
――救護天幕の位置が、敵に漏れている。
その情報を受けて、ラゴウは聖女の外套をまとっていた。
標的を、自分に引き寄せるためだ。
そのときだった。
風が、鳴る。
気配が走る。
ラゴウの目が、鋭くなる。
(――来る)
矢。
速い。
一直線。
軌道を読む。
自分へ。
――違う。
その先。
聖女。
(……当たる)
一瞬。
身体は、理解している。
避けられる。
確実に。
余裕で。
だが。
その先に。
金色の髪が見えた。
聖女の、細い、白い手が、負傷兵の傷を癒している。
矢の軌道が、カナリアに向かっている。
聖女が、傷つけば。
あいつが。
ふいに、よぎる。
青灰の瞳。
(あいつはどれほど)
自分を責め、悲しむだろうか。
次の瞬間。
ラゴウは動いた。
避けない。
踏み込む。
腕を上げる。
――肩で、矢を、受ける。
衝撃。
肉を裂く音。
焼けるような痛み。
「……っ」
血が散る。
後ろで兵士の手当をしていた聖女が、驚いたように目を見張る。
ラゴウは、歯を食いしばる。
それでも。
笑う。
聖女をふりむいて、その安否を確認する。
「無事か?」
血が落ちる。
砂に、赤が広がる。
「――ラゴウ!!」
一瞬。
時間が止まる。
第35話を読んでくださってありがとうございます。
今回は、戦場での「治療」を通して、ラゴウと聖女カナリアの違いを描きました。
奇跡で癒すか、現実で繋ぐか。
どちらが正しいという話ではなく、価値が揺らぎはじめる場面です。
そしてラゴウ自身も、少しずつ変わっています。
これまでなら切り捨てていた感情に、引っかかってしまうようになった。
それでも認めないまま――避けられる一撃を、あえて受ける、という選択をします。
引き続き、よろしくお願いします。




