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第27話 俺とラゴウが混ざりはじめる

 三か月目。


 朝の訓練場。

 ラゴウは地面を蹴った。

 軽い。

 接地が短い。

 呼吸が、途切れない。

 弓を取る。

 弦を引く。

 放つ。

 矢が、一直線に飛ぶ。

 ――中心。

 わずかに、息を吐く。


 弓を下ろしたとき。

 風が吹いた。

 草の匂いがした。

 ラゴウはふと立ち止まる。

(……)

 青い匂い。

 湿った土。

 若い葉の匂い。

 三ヶ月前には感じなかったものだ。


 匂いは、記憶を呼び起こす。

 草の匂い。

 風の匂い。

  遠い記憶。

 草原。

 走る馬。

(……ああ)

 ラゴウは小さく息を吐いた。

 世界が戻ってくる。

 身体が戻ると、世界も戻る。


 ◇ ◇ ◇


 同じ時。

 レザリア王アレクシスは、その様子を遠目に眺めていた。

 訓練場の外に立ち、静かに見つめている。

 ラゴウが立ち止まり、風の方を向く。

 一瞬、目を閉じる。

 王は眉を寄せた。

 何をしているのか分からない。

 だが。

 次の瞬間。

 風がこちらにも届く。

 草の匂い。

 若葉。

 初夏の湿り気。


 王はふと気づく。


(……そうか)


 三ヶ月前。

 この匂いはなかった。

 王は訓練場を見る。

 ラゴウが再び走り出す。

 砂が跳ねる。

 髪が風に揺れる。

 兵士たちが笑っている。

 王は小さく目を細めた。

 三年前。

 王宮に来たばかりの王妃とは、見違えている。


 王は目を逸らす。

 だが。

 視線はまた戻る。

 ラゴウが弓を引く。

 矢が飛ぶ。

 中心。

 兵士たちがどよめく。

 王は小さく息を吐いた。


(何をしている)


 政務がある。

 戻るべきだ。

 それなのに。

 足は動かない。

 風が、もう一度吹いた。

 変わったのは。

 世界ではなく――彼女か。

 それとも、自分か。


 ◇ ◇ ◇


 夜。

 訓練場に灯りが残る。

「さて、やるか」

 シキの声。

「やるって、なにを」

 護衛から唐突に夜更けに呼び出された。

 もはやどちらが主従かよくわからない。

 そしてそれに逆らえない自分にもなんとはなしに腹が立つ。

「おまえの仕上がりを確認してやる」

「え?」

 次の瞬間。

 剣が振り下ろされた。

 速い。

 重い。

 ラゴウは身体をひねる。

「ちょっと待て!」

「待たない」

 かすめる。

 二撃。

 三撃。

 四撃。

 止まらない。

 全部、本気だ。

「聞いてないぞ!」

「襲撃を予告するようなバカはいない」

 呼吸が上がる。

 だが、足は止まらない。

 身体が覚えている。

 重心。

 距離。

 刃の軌道。

 だが。

 ――足りない。

 受ける。

 衝撃。

 腕がしびれる。

「遅い」

 次の瞬間。

 視界から刃が消えた。

 気づいたときには。

 喉元に、剣があった。

 沈黙。

 夜風。

「おまえな!!殺す気か!」

「死なない程度には仕上がってるな」

 淡々とシキは言う。

 ラゴウはようやく息を吐いた。

「槍を取れ」

「まだやるのか!?」

 ラゴウは眉をひそめる。

(……これが一番、苦手だな)

 槍は、遠さを保つ武器だ。

 だがラゴウは、遠さを信用していない。

 触れられる距離でなければ、戦った気がしない。

 間合いを保つ、という感覚が身体にない。

 気づけば、踏み込みすぎている。

「来い」

 ラゴウは槍を構えた。

 間合いが、遠い。

 踏み込む。

 突き。

 ――外れる。

 シキは、わずかに軸をずらしただけだった。

「浅い」

 ラゴウは舌打ちする。

 戻す。

 遅い。

(止めるな)

 そのまま流す。

 横へ。

 もう一度、線を引く。

 シキが、半歩動く。

 外される。

「止まるな」

 声。

 ラゴウは踏み込む。

 突き。

 流す。

 止めない。

 連続。

 線が、繋がる。

(……いい)

 だが。

 次の瞬間。

 思考が入る。

 止まる。

「遅い」

 距離を潰される。

 懐。

 刃が喉元で止まった。

「お前は近すぎる。だから槍が死ぬ」

 沈黙。

「距離を取れ。それが、この武器の本質だ」

「……面倒だな」

 ラゴウは息を吐く。

 シキがわずかに肩をすくめる。

「槍は、遠さで殺す」

 一拍。

「止まれば終わりだ。通せ」

 ラゴウは槍を握り直した。

 ふいに、その手に――シキの手が、重なった。

 ラゴウの白い指を、長く骨ばったシキの指が覆う。

「違う」

 低い声。

「そこは握るな。支えろ」

 指をずらされる。

 柄の重心。

 前と後ろ。

 間合いのための持ち方。

「力を抜け」

 一拍。

「導いてやる」

 引かれる。

 軽く。

 だが、逆らえない。

 背後。

 距離が消える。

 長身のラゴウの、さらに頭二つ分ほど背の高い男が背中から覆いかぶさる。

 広い影に包まれるような感覚。

 昏く、深い気配が、背を伝う。

 息が、触れる。

「呼吸を合わせろ」

 低く。

 耳元で。

「動きじゃない」

 さらに近づく。

「――おれの呼吸を読め」

 吸う。

 吐く。

 同じ間隔。

 同じ深さ。

(・・・こんなに、呼吸が深いのか)

 水の底に沈んで浮上できなくなるような感覚に、ぞくりと背筋が泡立つ。

「余計なことを考えるな」

 指が動く。

 ラゴウの指も、同時に動く。

「堕ちても、ちゃんと引き戻してやる」

 槍が、走る。

「全部、委ねろ」

 引かれる。

 返る。

 流れる。

 まるで。

 自分で動かしていない。

(……なんだ、これ)

 自由だ。

 だが、完全に制御されている。

 シキの声が、さらに落ちる。

「俺の腕の延長に、お前の指がある」

 肩にかかる圧が、ずれる。

「俺の肩の延長に、お前の肩甲骨がある」

 境界が、溶ける。

 距離が、消える。

 肩。

 背中。

 腰。

 触れる。

 位置が、揃う。

(……分かる)

 身体の位置が、初めて明確になる。

「動け」

 同時に。

 踏み込む。

 突き。

 流れ。

 ズレない。

(……あ)

 だが。

 一瞬で外れる。

「止めるな」

 さらに近づく。

 完全に重なる。

 腕が動く。

 同時に動く。

 呼吸が揃う。

 吸う。

 吐く。

 完全に。

「感じろ」

 低い声。

 耳元。

「考えるな」

 その瞬間。

 ズレが消えた。

 時間が、伸びる。

 すべてが、明確になる。

 自分なのに。

 自分じゃない。

 シキと。

 完全に、一致する。

「考えるな」

 耳元で。

「流せ」

 踏み込む。

 突き。

 そのまま流す。

 止まらない。

 外す。

 返す。

 また、重なる。

 どちらが先か分からない。

 呼吸が揃う。

 吸う。

 吐く。

 同時に。

 槍が、線を描く。

 切れるように鋭く。

 舞うように正確に。

 美しい演舞のように。

 狂いなく。

(……これだ)

 距離が消える。

 呼吸が、揃う。

 境界が、溶ける。


 だが。

 次の瞬間。

「……ここまでだ」

 唐突に、切れた。

 シキがラゴウの身体から離れる。

 距離が戻る。

 一歩。

 それだけで。

 すべてがほどける。

 指の重なりが外れる。

 呼吸がずれる。

 共鳴が、止んだ。


 ――そのとき。

 回廊の影。

 王の足が、止まる。

 視線の先。

 灯りの下。

 訓練場の端。

 二つの影が、重なる。

 動きが、揃う。

 呼吸が、同じリズムで上下する。

(……何をしている)

 分からない。

 だが。

 目が離れない。

 一瞬。

 完全に重なった。

 どちらが動いているのか、判別できない。

 ――不快だ。

 理由は分からない。

 ただ。

 胸の奥に、わずかな違和感が残る。

 次の瞬間。

 影が離れた。

 アレクシスは、視線を切る。

 それ以上、見なかった。


 そして、同じ頃。

 ラゴウと、シキ。

 槍が走る。

 呼吸が重なる。

 距離が消える。

 ひとつになる。

 ――同調。

 その気配を。

 遠くから、もうひとり見ている者がいた。

 柱の影。

 灯りの届かない位置。

 白銀の髪が、わずかに揺れる。

 ただ、見ている。

(……そこまで、深く、入るのか)

 視線は、ラゴウに向いている。

 外さない。

 離さない。

 わずかに、指が動き、拳をにぎりしめる。。

 何かを抑えるように。

 あるいは。

 掴み取ろうとするように。

 その瞳の奥で、何かが揺れる。

 嫉妬か。

 執着か。

 それとも――

(・・・姉上)

 声にはならない。

 だが。

 その場の誰よりも深く。

 ラゴウを見ていた。


 ◇ ◇ ◇


 半ば呆然として、ラゴウは、息を吐いた。

「・・・なんだ、今の」

「同調した」

 ふ、とシキは顔をそむけた。


 ――一瞬。吞まれそうになった。

 気を付けていたのに。

 これ以上ラゴウに触れているのは、危険だった。


「同調?」

 シンクロしたってことか?

「まれにある。あれ以上進むと」

 何かが変わる。どこかが壊れる。

「・・・危険だ」

 それだけ。

 ラゴウは黙る。

 だが、身体の奥に、まだ、響きのように、さきほどの感覚の余波が残っている。

 ひどく悪酔いした後のようだ。妙に後を引いて、芯に残る。

 ・・・気持ち悪いのに、クセになりそうな、危うい感覚だ。

「……気味が悪い」

 正直に言う。

 シキが、わずかに笑う。

「そうか」

 一拍。

「おまえとひとつになったような感覚で、変な気分だ……」

 シキがわずかに息を吐く。

「……嫌悪と快感は、紙一重だぞ」

 ラゴウは顔をしかめる。

 意味深に、シキは口元を歪めた。

「おれは、悪くなかったがな」

「・・・そういう言い方、やめろ」

「おまえは、おれの前では完全にジンナイだな」

 ――だが、さっきは、違った。

 ラゴウでも、ジンナイでもない「何か」に、なりつつあった。

「・・・最近、分からないんだ」

 低く、つぶやくように。

「俺は、どっちなんだ」

 シキは答えない。

 ただ、見ている。

「あんたには、どう見える」

「・・・」

 答えない。

 見ている。

 歪んでいるのではない。

 欠けているのでもない。

 ――揃っていく。

 骨の軋み。

 呼吸の深さ。

 流れの連なり。

 すべてが、ひとつに噛み合っていく。

 男でも、女でもない。

 そのどちらも、通り過ぎた“何か”。

 強く。

 静かに。

 引き寄せる。

(……完成する)

 シキは、わずかに目を細めた。

 そのとき。

 ふいに、ラゴウが手を伸ばした。

 黒い眼帯に、指が触れる。

「・・・なんだ」

「これ、はずさないのか」

「視覚を閉じる封呪布だ」

「不便じゃないか?」

「別に」

 わずかな間。

「あらゆるモノは、見えている」

「・・・ふうん。はずしたら、もっと強いんだろ」

「興味があるのか」

「まあ、多少は?」

 一拍。

「・・・どんな眼をしてるのかな、と」

 沈黙。

 いらずらをする子どものような目で、に、とラゴウが笑う。

「取っていい?」

 空気が、わずかに沈む。

 シキが、静かに言った。

「……やめておけ」

 ほんの一瞬。

 視線が、深くなる。

「後悔する」


今回は「同調」の回でした。

ラゴウとシキが一瞬だけ“重なった”あの感覚。

身体の動きだけでなく、呼吸や感覚まで一致していくことで、

ラゴウの中で「ラゴウ」と「ジンナイ」の境界が、少しずつ曖昧になりはじめています。

この“同調”が、この先どういう意味を持つのか。

少しずつ回収していきます。

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