第26話 仕返しの抱擁で形勢逆転する
第26話 仕返しの抱擁で形勢逆転する
(来た)
ラゴウは視線を逸らす。
「別に逃げる必要なんかない」
「では」
低く。
「なぜ目を逸らすんです」
(うるさい)
「診察は終わったぞ」
「別件で」
一拍。
アレクの声が落ちる。
「確認したいことが」
ラゴウは舌打ちした。
「何だ」
沈黙。
それから。 ゆっくりと。
「昨日のことですが」
ラゴウは顔を背けた。
「覚えてない」
「わたしは、覚えてますよ」
「全部」
沈黙。
ラゴウは視線を逸らした。
「……忘れたことにしたほうが、お互い都合がよくないか」
アレクの瞳が、わずかに揺れる。
「まあ、酒も入ってたし」
ラゴウは言い切る。
「全部」
一拍。
「なかったことにしよう」
王の目は、笑っていない。
沈黙。
廊下に、衛兵の足音が遠く響く。
アレクシスはしばらく何も言わなかった。
それから。 ゆっくりと口を開く。
「・・・そうきますか」
声は静かだ。
だが。
ラゴウの手首をつかむ指に、わずかに力が入る。
逃がさない。
「なら」
顔が近い。
「思い出させてあげましょう」
ラゴウが顔を上げる。
「え?」
沈黙。
女の手首をつかんだまま、ふいに、王は立ち上がった。
アレクの瞳が細くなる。
ほんのわずかに、笑う。
「どこまで覚えていないのか」
低い声。
「ひとつずつ、確認しましょう」
近づく。
思わず、ラゴウは後ずさる。
「ちょ・・・待て・・・」
(なんだ、その圧は)
後ずさるラゴウの背が、壁に当たった。
逃げ場がない。
(・・・こいつ)
鼓動が、わずかに跳ねる。
アレクの手は、まだ離れない。
手首を掴んだまま。
一歩、さらに距離を詰める。
(近い)
アレクの瞳。
青灰の光が、まっすぐにこちらを捉えている。
「・・・ほんとうに、覚えていない?」
さらに近づく。 息が触れる。
ラゴウの目が、わずかに揺れた。
「なぜ、視線を逸らすんです」
・・・なんだこれは?仕返し?仕返しなのか?
何かけしかけられてるのか?なんなんだ?
煽られてるのか?
からかわれてるのか?
頭が混乱する。
「ごちゃごちゃ考えてると、退屈になるって、言いましたよね」
「え?」
可笑しそうに、王の目がラゴウの視線を捉える。
「したいようにするほうがいいと」
「・・・そ、んなこと、言った・・・」
言った、気がする。
思わず、声を上げる。
「あんた、こういうことする相手、間違ってないか!?」
「残念ながら、間違っていません」
(・・・くそ)
アレクの指が、動く。
手首から、ゆっくりと上へ。
腕。
そして。
ラゴウの顎に触れる。
指で、持ち上げる。
逃がさない。
「・・・おい」
声が少し低くなる。
アレクは止めない。
「これは?」
指先が、唇のすぐ下に触れる。
わずかに距離を詰める。
「覚えてますか」
ラゴウの呼吸が、一瞬止まる。
「・・・知るか」
アレクの瞳が細くなる。
「そうですか」
一拍。
「では」
一瞬。
呼吸が止まる。
ラゴウの腰に、手が回る。
引き寄せる。
完全に、逃げ場が消える。
密着する。 壁と、腕と、体。
閉じ込められる。
ラゴウが息を呑む。
「まだ、思い出さない?」
アレクの声が落ちる。
「・・・どうします?」
――なあ・・・どうする?
「このまま、続けてもいいですか?」
――続ける?
(・・・うわ)
ふ、とアレクシスが笑う。
耳元で囁く。
「思い出すまで、やめませんよ?」
顔が近づく。
「ストップ!!」
記憶のピースが、部分的につながった。
「分かった、悪かった!」
唇が、ほんのわずか触れる寸前で止まる。
ラゴウの指が、アレクの衣を掴んで押し返した。
「謝罪と釈明をする!離れろ!!」
アレクが、低く言う。
「……なんだ。意外と、あっけなく、降参ですね」
それから。
手を離す。
腰から。 顎から。 すべて。
ラゴウの身体から、完全に離れる。
距離が戻る。
一歩。 また一歩。
何事もなかったかのように。
王は悠々と椅子に座って、脚を組む。
わずかに口元を歪めたように、微笑む。
「・・・さて」
「では、謝罪と釈明、とやらを、聞きましょうか」
ラゴウは顔を背けた。
「悪かった」
「ちゃんとわたしの目を見て」
(くそ)
仕方なく、目を合わせる。
「飲み過ぎた。度を越してた」
沈黙。
(なんとか言えよ)
「一方的に、不本意なことを強いたのは、申し訳なかったと思ってる」
「不本意なこととは?」
目が、笑っている。
・・・なんでこの男は、楽しそうなんだ。
「いや、まあ・・・いろいろ」
「いろいろ」
「だから悪かったって。……実は、あまりよく覚えてない部分もあるんだが」
「だから、思い出すの、手伝いますよ?」
「いや、それはいい!」
即座に言い切る。
「その、キス以外にも、なにか不始末を……?」
「不始末」
(なんで反芻する!)
気まずい。
「・・・不愉快な思いをさせて、悪かった」
アレクは少しだけ首を傾げた。
「・・・不愉快、では、なかったですよ」
ラゴウが顔を上げる。
なんだって?
「ただ」
わずかに声が低くなる。
「ちょっと、危なかった」
沈黙。
――あのまま続けていたら。
きっと、止まらなくなっていた。
そして、独り言のように、つぶやく。
「合意・・・が、なかったわけでも、ないんですが」
ふ、と笑う。 からかうような目。
「なんでしたっけ?」
「なにが・・・」
「・・・集中?」
ラゴウの肩がびくりと揺れる。
「もっと」
アレクの声が低くなる。
「あなたに集中しろ、と」
「……!」
ラゴウが固まる。
王は少しだけ笑った。
「今夜は」
「そうしましょうか?」
静かに言う。
「・・・言われた通り」
「あなたに、集中、する」
ゆっくりと。
ラゴウが固まる。
距離があるのに、王の視線に、がんじがらめにされる。
逃げ場がない。
「はじめたのは、あなたですよ」
ラゴウの喉が鳴る。
アレクは少しだけ笑った。
(だめだ。このままだと、捕まる)
この場に居続けられる空気じゃない。
「ちょっと、このあと用事がある。今日は、戻る」
「今さら、逃げるんですか」
おもむろに、立ち上がる。近づく。
距離が詰まる。
(また、近い)
「あんな、中途半端な状態で、勝手に泥酔してほおっておかれたわたしとしては」
アレクシスの指が、今度はラゴウの頬にかすかに触れる。
「納得が、いかない気がするんですが」
(なんで触る)
「王妃・・・続きを、教えてもらえますか」
それから、王はラゴウの耳元に顔を寄せ、低く囁いた。
「キスって――どうやるんでしたっけ?」
心臓が、どくん、と強く鳴った。
ほんの一瞬。 動けなかった。
「――っ」
唇が触れる、その直前。
ラゴウは反射的に身を引いた。
同時に、掴まれていた手首を強くひねる。
「だからもう降参だって!!」
勢いよく腕を振り抜く。
王の手を払い落とす。
そのまま一歩、二歩と後ずさる。
距離を、無理やり引き剥がすように。
「こういう嫌がらせはやめろ!!」
声がうわずる。
自分でも分かるくらいに。
(落ち着け)
喉が乾く。
視線が、合わない。
一瞬だけ、アレクの顔を見て―― すぐに逸らす。
「……もう戻る!」
吐き捨てるように言って、踵を返す。
外套の裾が翻る。
ほとんど逃げるように。
扉へ向かって、足早に歩く。
(――やばい)
背中に、まだ視線を感じる。
開ける。
閉める。
扉が、重く音を立てた。
その瞬間。
ようやく息を吐いた。
◇ ◇ ◇
王は、くっくっと喉の奥で笑う。
こらえきれないように。
「陛下?なにかいいことでもありましたか?」
いつも仕事上穏やかな表情を崩さない王だが、今日はあきらかに上機嫌だ。
「・・・いや」
新しいおもちゃを見つけた子どもの気分だ。
ふ、と視線を落とす。
思い出すのは、さっきの顔。 逃げるように背を向けた、あの一瞬。
――あのひとは、なぜあんなにも。
「・・・かわいいな、と思って」
ぽつりと漏れる。
「は?」
大柄の騎士は素で聞き返す。
「いや、こちらの話だ」
軽く流す。
だが。 視線はどこか遠い。
見ていて、飽きない。
次は、なにをしでかすのか。 どこまで逃げるのか。
「・・・かわいいって、王妃がですか?」
ルシアン声は完全に半信半疑だ。
朝から走り込み。
兵士たちを相手に次から次に叩きのめし。
怒号を飛ばし。
誰にも遠慮しない。
ルシアンに言わせれば、<無害だが政治上必要な女>から、<暴力的で無礼な女>に変わっただけだ。
その姿と、「かわいい」が、まるで結びつかない。
「・・・陛下の目には、あの王妃が、可愛らしく見えるんですか」
一応、確認する。
アレクは、少しだけ肩をすくめた。
「いや、だから・・・気にするな」
それ以上は語らない。
だが。
わずかに、目を細める。
容赦なく踏み込んでくるくせに。 捕まえようとすれば、逃げる。
――まるで、獣だ。
しかも。 それを、無意識でやっている。
(……たちが悪い)
く、とまた喉の奥で笑う。
(目が離せなくなりそうだ)
ぽつりと。 心の奥で、そう呟いた。
第26話までお読みいただき、ありがとうございます。
ついに、ラゴウの「なかったことにする」が通用しない相手が出てきました。
今回は、アレクの仕返し回でしたね。
いつもは余裕でかわしていたラゴウが、じわじわ追い詰められていく感じ、楽しんでいただけたでしょうか。
そして何より――アレクが、ちょっと楽しそうです。
この先、関係がどう転がっていくのか、引き続き見守っていただけたら嬉しいです。




