第25話 逃げられない朝
翌朝。
(やってしまった)
まぶたが重い。
頭の奥が、じんじんと鈍く痛む。
喉が渇いているのに、起き上がる気力がない。
寝台の上で、ラゴウはうつ伏せのまま、顔を枕に埋めた。
熱がこもる。
身体がだるい。
思考が、まとまらない。
――キスって、こうやるんだよ。
(……最悪だ)
思い出したくもないのに、やけに鮮明に蘇る。
指先の感触。
近すぎた距離。
触れた、唇の温度。
(やめろ)
思考を振り払うように、顔を枕に押しつける。
だが。 消えない。
むしろ、妙に生々しく残っている。
酒を飲み過ぎた。
限界を越えていた。
ラゴウの身体には強すぎる量だった。
そのあと。 吐いて。 吐いて。
それでも意識は途切れず、最後は泥のように眠りに落ちた。
・・・いや、あれでよかった。
あやうく暴走するところだった。
が。
(キスは・・・した気がする)
しかも、かなり、濃厚なやつを。
しかも、はっきりと一方的に。
(うわああああああ!!)
ベットの上をのたうち回る勢いで、頭を抱える。
ユイがひそひそと護衛に囁く。
「なんか、姫様、今日は朝から壊れてますよね・・・大丈夫でしょうか・・・」
「ほおっておけ」
シキが平然と答える。
「いや、あれは酒の勢いで・・・前後不覚に・・・」
ラゴウは寝台の上でうつ伏せになったまま、ぶつぶつと呟く。
頭の中が、どうにも収集がつかない事態になっている。
それなのに、妙に鮮明な感触だけが、残っている。
そして、黒衣の護衛は、とんでもないことをさらりと言ってのけた。
「明らかに、おまえが王を押し倒しているように見えたぞ」
ラゴウの動きがぴたりととまる。
「・・・どこから見てた」
「最初からだ」
「止めろよ!!」
ラゴウが顔を上げる。
その勢いで、ずきりと頭が痛んた。
「・・・っ」
顔をしかめる。
「おまえ自身に危険がない限り、おまえが誰とどこでどんな痴態を繰り広げようが、おれには関係 ない」
(・・・痴態って言うな、痴態って!!)
第一、とシキは淡々と付け加える。
「あそこまではっきりと自分から王を挑発しておいて、止めるもなにもなかろう」
沈黙。
ラゴウはゆっくりと顔を伏せた。
「・・・分かった・・・もうそれ以上言うな・・・」
耳の奥が熱い。
思い出したくない。
のに。
勝手に蘇る。
距離。
呼吸。
触れた、唇。
(……助けてくれ)
「欲しいモノは力づくで手に入れる!その気にならない男は押し倒してでも口説き倒すという行動 力!それでこそ姫様!!」
ユイがきらきらした目で言う。
「聖女と王をくっつけるって言ってたのに、姫様ったら・・・やっぱり陛下のことが好きなんです ね!」
ユイの語尾にハートマークが飛んでいる。
「今後の展開がドキドキします!!」
(するかよ!!)
ラゴウは枕に顔を押しつけた。
「取って食う勢いでおまえに迫られたのでは、逃げ場もなかったろう・・・レザリア王も気の毒に」
ちがう。
昨夜のアレは、ちがう。
おれの意志じゃない。
――ラゴウの念が、俺を無意識に動かしただけだ。
ただ。 最近、ラゴウなのか、俺なのか、よく分からなくなることがある。
おれの意志じゃない。・・・じゃない、はずだ。
たぶん。
(たぶん、て何だ)
頭を抱える。
なぜ俺はこんなに見苦しく混乱している。
指が、無意識に唇に触れる。
まだ、熱が残っている気がする。
(……なんでだ)
説明がつかない。
あんなことをする理由も。
こんなふうに、引きずっている理由も。
胸の奥が、妙に落ち着かない。
(・・・くそ)
とどめを刺すように、シキが言った。
「おまえ、アレは、ある意味犯罪だぞ」
「・・・犯罪!?」
声が裏返る。
「無抵抗の人間押し倒して組み敷いて口づけを強いたら、それはもう王に対する不敬の極みだろ う」
沈黙。
無抵抗の、人間を。
押し倒して、組み敷いて、キスを強要したと。
「・・・そんなことを」
喉がひくりと動く。
(・・・・やらかしたのか、俺)
頭の奥がぐらりと揺れる。
「それ以上のところまで進みそうな勢いだったぞ」
「・・・進んでないよな!?」
思わず身を起こす。
ずきり、と頭が痛む。
顔をしかめながら、記憶をたぐる。
断片的に。 曖昧に。
だが―― 覚えはない。
身体も、覚えていない。
……たぶん。
たぶん、大丈夫だ。
(なにが大丈夫なんだ)
「お前、自分で夜伽を拒絶して離縁を要求しておいて、王を誘惑しそこねてこの体たらくとは・・・ 意味がわからんやつだな」
「シキ様、それ以上言ったら姫様が死んじゃいます・・・」
ラゴウは再び寝台に崩れ落ちた。
頭痛。
吐き気。
身体が重い。
動きたくない。
というか、動けない。
(……いや、ないな)
首を振る。
(あれは酒のせいだ)
そういうことにする。
あれは。 事故だ。 不可抗力だ。
――そうでなければ、説明がつかない。
「ひーめーさーまー、訓練、いいんですかー」
ユイの声。
「今日は、さぼる」
即答。
とてもじゃないが、無理だ。
いろんな意味で。
復活できない。
(……あのまま続いてたら)
喉の奥が、ひくりと震える。
ぞくり、と背筋をなぞる感覚。
思い出しかける。
体温。
感触。
(……だから、やめてくれ!)
二日酔いのせいか。
それとも。
ラゴウは目を閉じたまま、腕で顔を覆った。
(忘れろ)
強く、思う。
全部。
なかったことにする。
――するしかない。
(会わなければいい)
それで済む話だ。
簡単だ。
――そのはずだった。
◇ ◇ ◇
アレクシスから酔い覚ましが届けられたのは、それからしばらくして。
二日酔いにやさしい粥と、薄く仕立てたスープ。
器からは、ほのかに清涼感のある香りが立ちのぼる。
薄荷だろうか。
鼻に抜けるその香りが、鈍く重い頭をわずかに軽くした。
(……気が利く)
思わず、そう思ってしまうのが、腹立たしい。
「お礼に伺ったほうがいいのでは?」
ユイが、いかにも楽しそうに言った。
「姫様、昨夜も、陛下とセキエンに相乗りして王宮に戻られたんですよ?」
(やめろ)
「陛下が泥酔した姫様を抱えて、お部屋まで運んでくださったんです」
(やめろって言ってるだろ)
「シキ様が引き取ろうとしたんですが、陛下ったら、構うな、とおっしゃって」
きゃー、とひとりで盛り上がっている。
(最悪だ)
「謝意を示すべきですよ!」
「・・・まあ、そのうちな」
(そのうち、とか、ない)
まともに顔を見られる気がしない。
あの距離で。
あの空気で。
(無理だ)
「それに、姫様」
侍女の追撃は容赦がない。
「昨晩、お部屋に連れてこられたとき、姫様、陛下の外套を羽織ってらしたんです」
ラゴウの動きが止まる。
「・・・置いていったのか?」
(わざとじゃないのか、それ)
脳裏に浮かぶ、あの男の顔。
穏やかな微笑。
あの、余裕のある目。
(……やりかねない)
まるで新手の嫌がらせだ。
「王家の紋章の入った外套ですよ。高級品です!」
ユイがきらきらした目で続ける。
「ちゃんとお返ししないと!」
「・・・頭痛がする・・・代わりに返してきてくれ」
「ええっ!だめですよ!」
きっぱりと、侍女は言う。
「そこはちゃんとご自分でなさってください!」
(なんで逃げ道を塞ぐ・・・)
ラゴウは寝台に沈み込む。
粥の香りが、やけにやさしい。
(……くそ)
妙に気を回してくる。
そつがない。
抜け目がない。
距離は詰めてこないくせに。
逃げ場だけ、きっちり潰してくる。
(性格が悪い)
ぐだぐだと時間を潰していると―― 午後。 正式な呼び出しが来た。
「陛下のご体調に関わる件です」
厳めしい顔つきをした中年の侍女長がやってきて、頭を下げる。
断れる内容ではない。
(・・・面倒だ)
ラゴウは顔をしかめた。
だが。
「執務室へおいでくださいとのこと」
(……来させる気か)
小さく舌打ちする。
逃げ場は、もうない。
◇ ◇ ◇
執務室。
扉の前で、ラゴウは一瞬だけ足を止めた。
(・・・帰るか)
いや、無理だ。
ノック。
返事。
扉を開ける。
中は静かだった。
書類。 地図。 窓から差す光。
そして。 アレクシス。
机の横に立って、こちらを見ている。
沈黙。
そのまま数秒。
それから。 アレクが、わずかに笑った。
「・・・やっと、来ましたね」
(最悪だ)
ラゴウは眉をひそめた。
「用件は」
そっけなく言う。
距離を取ったまま。
「体調の確認と聞いたが」
「ええ」
アレクは頷く。
「あいにく、今日は主治医が不在なんです。肩の経過を診てもらえますか」
(本題はそれじゃないだろ)
分かっている。
だが乗らない。
「座れ」
ラゴウが顎で示す。
アレクは素直に従う。
「腕を上げろ」
アレクがゆっくりと動かす。
途中で、わずかに止まる。
ラゴウは肩に触れた。
鎖骨の下。 関節の位置を確かめる。
筋肉の硬さ。
炎症の残り。
触診に集中する。
腕を支える。
誘導する。
前方。 外旋。 内旋。
「終わり。問題ない」
そっけなく言い切って、ラゴウは手を引こうとした。
――が、その瞬間、手首を掴まれた。
力は軽い。
「まだ何かあるのか」
アレクシスは答えない。
ただ。 見ている。 まっすぐに。
「……つかまえておかないと、逃げますよね」
ここまで読んでくださってありがとうございます。
昨夜の勢いからの、この朝。
ラゴウ、見事に自爆していますね……。
本人は必死に「なかったこと」にしようとしていますが、
周囲(特にシキとユイ)はまったく許してくれません。
そして何より――
逃げれば逃げるほど、逃げ場を塞いでくる王。
距離は詰めないのに、
確実に追い詰めてくる感じ、ちょっと性格が悪いですね。
ここから二人の関係は、
少しずつですが確実に変わっていきます。
ただし。
甘くなるかどうかは、まだ分かりません。
むしろ――もっと面倒なことになります。
もしこの先も気になっていただけたら、
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