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第123話 発覚

 

 月が、赤く、深くなる。

 月蝕が近い。

 夜空に浮かぶ月は赤銅色に染まり、草原を血のような光で照らしている。

 その赤月の夜にのみ執り行われる祭祀があった。

 ――星還祭。

 建国の祖・ジョカへ、王権を還し、ジョカの加護を受けるための祭祀である。

 草原王は月蝕の前夜、神の前へ膝をつき、自らの王権を返納する。

 人が王を選ぶのではない。

 最後に王を認めるのは、ジョカだけだった。

 草原の中央。

 石柱が円を描く聖域。

 その中心には、一振りの長杖が夜空へ向かって立っている。

 ジョカの星杖。

 幾千年、風雪に晒されながらも朽ちることなく、草原の歴史を見守ってきた神杖だった。

 杖の頂には幾重もの黄金の環。

 風では鳴らない。

 人が揺らしても鳴らない。

 神意ある時のみ、その環は音を響かせると伝えられていた。

 祭壇の最奥。

 石で築かれた玉座へ、草原王カヨウが静かに腰を下ろしている。

 その右には、祭祀のための白い式服をまとったラゴウ。

 左には妲己族の王女シュイ。

 少し離れた賓客席には、静かに微笑むメフィストの姿があった。

 祭壇を囲むように、三氏族の長が並ぶ。

 女媧。

 妲己。

 そして――伏羲。

 シキは深い藍の祭服を身にまとっている。

 銀糸で星宿を織り込んだ古き装束。

 黒髪を緩く束ねたシキが、一歩、星杖の前へ進み出る。

 シキは静かに両膝をつく。

 赤月に照らされた星杖へ、額を伏せる。

 香が焚かれる。

 青柏香。

 白檀。

 乾いた草原では決して嗅ぐことのない、濃密な甘い香が聖域を満たしていく。

 煙は白く立ち昇り、赤月へ溶けていった。

 シキは星杖の前へ跪き、祝詞を紡ぐ。

「El Na Joka.」

「Nair Luu.」

「Fegi Luu.」

「Na Luu.」

「Sar Hal Joka.」

 歌とも。

 祈りとも。

 風そのものが言葉になったような響きだった。

 草原の古語。

 遠く、懐かしい抑揚と不思議な韻律。

 ラゴウは静かに耳を澄ませる。

 その時だった。

 胸の奥が、不意に熱くなる。

 胃が揺れる。

(……っ)

 思わず口元を押さえた。

 香だ。

 濃すぎる。

 立ちくらみがする。

 足元がわずかに揺れた。

「ラゴウ」

 低い声。

 シキだった。

 立ち上がり、ラゴウの肩を支える。

「外へ」

 短く囁く。

 ラゴウは小さく首を振る。

「・・・大丈夫だ」

「とてもそうは見えんな」

 返事を待たず、シキは静かにラゴウを抱き上げた。

 周囲がどよめく。

 婚礼前夜。

 神前。

 草原の女王になる女に、草原王以外の男が触れるなど、本来なら許されない。

 それでもシキは迷わなかった。

 まるで。

 何千年も前から、それが当たり前であったかのように。

 黒い祭服が翻る。

 祭祀衣の清浄な白が、その腕の中で揺れる。

 赤月の光が二人を照らした。

 その後ろ姿を見た者たちは、誰も声を出せなかった。

 神話だった。

 建国の祖。

 伏羲が女媧を迎え、星の海を歩いたという古き伝承。

 その一場面が、そのまま目の前へ現れたようだった。

 祭壇の最上段。

 玉座へ座るカヨウは、その光景を見つめていた。

 胸の奥を。

 ざらり、と何かが這う。

 嫉妬なのか。

 羨望なのか。

 あるいは。

 何千年も前、自分が決して手に入れられなかった何かへの渇望だったのか。

 分からない。

 ただ。

 目を逸らせなかった。

 シキの腕の中で、ラゴウは苦しそうに眉を寄せる。

 その姿を目にした、ほんの一瞬。

 カヨウの胸に、わずかな違和感が生まれた。


 ◇ ◇ ◇


 祭壇から少し離れた巨石の陰。

 夜露に濡れた草へ身を潜める二つの影があった。

 ユイと青天である。

 数日前。

 シキから密かに託された書簡が、バテレノア監獄へ届けられた。

 そこに記されていたのは、ただ一文。

『鸞を救え。そして、赤月の夜、星還祭を見届けよ』

 バテレノア監獄。

 草原最大の監獄であり、反逆者から王族までを収監する、草原司法の中枢。

 その総監こそ、青天だった。

 シキは知っていた。

 この夜、青天自身が神意を目にしなければ、法を曲げることは決してないと。

 だからこそ、祭祀へ呼んだ。

 神が誰を王と選ぶのか。

 その瞬間を。

 その目で見届けさせるために。

 ユイは息を殺しながら、星杖を見つめる。

「あれが・・・ジョカの星杖」

 青天は何も答えない。

 ただ、微動だにせず祭壇を見据えていた。

 フギの長であるシキの、古代草原語の詠唱が聞こえてくる。

 巨石の陰へ身を潜めたユイが、小さく息を呑む。

 隣で、青天が眉をひそめた。

「・・・どういう意味だ」

 低く問う。

 ユイは困ったように首を傾げる。

「古代草原語よ」

「もう、古参の伏羲しか話せないって聞いた」

「・・・あたしも、片言しか分かんないけど」

 耳を澄ませる。

 遠い昔、一族の古老たちから教わった言葉を、必死に思い出す。

「たぶん・・・」

「『星は巡る』」

「『河は巡る』」

「『草は巡る』」

「『命は巡る』」

 少し黙る。

 最後の一節だけは、自信がない。

「・・・それから」

「『王もまた、巡る』」

 青天の表情が変わる。

「王も、巡る?」

「うん」

 ユイは小さく頷いた。

 その瞬間だった。

 カァァァン――。

 星杖の金環が、夜空を震わせた。

 ユイの顔から血の気が引く。

「・・・うそ」

 青天も息を呑む。

「ジョカの啓示か・・・」

 誰にも続きを言えなかった。

 神は、沈黙を破った。


ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

今回は、草原編でも特に書きたかった「星還祭」の回でした。

「王とは誰が決めるのか。」

人か。

血筋か。

力か。

それとも神か。

その答えを、この祭祀に込めています。

シキの祝詞や祭服、ジョカの星杖など、今回は世界観をかなり掘り下げてみました。

そして、静かに物語の歯車が動き始めました。

次回からは、この一夜がもたらした"神意"が、それぞれの運命を大きく変えていきます。

少しでも面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります。


それでは、また次回。

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