第121話 婚礼という戦場
意識が浮かび上がる。
薬草の匂いだった。
重い瞼を開く。
見慣れた天幕の天井。
「・・・」
身体が鉛のように重い。
ラゴウはゆっくりと身を起こした。
肩が痛む。
腕も。
指先には、まだ乾ききらない血の感触が残っている気がした。
「・・・アレク」
思わず名を呼ぶ。
返事はない。
代わりに、天幕の入口が静かに開いた。
黒衣の男が入ってくる。
シキだった。
「起きたか」
「アレクは!?」
ラゴウは間髪入れず尋ねた。
シキは短く答える。
「生きている」
その一言だけで、全身から力が抜けた。
「・・・そうか」
「傷は深い。熱も高い」
「だが、峠は越えた」
「今は牢で眠っている」
「鸞もだ」
ラゴウは目を閉じた。
長く息を吐く。
「・・・よかった」
胸の奥で固まっていた何かが、ようやく少しだけほどけた。
「二人とも、助かったんだな」
「ああ」
短い返事。
それだけで十分だった。
しばらく沈黙が落ちる。
天幕の外では風が草を揺らしている。
やがてシキが口を開いた。
「・・・おまえこそ」
ラゴウが顔を上げる。
「体調は」
「ふたりの様子を見に行く」
ラゴウは寝台から降りた。
一歩。
膝が折れる。
ぐらり、と身体が傾いた。
シキが無言で肩を支える。
「馬鹿か」
そのまま寝台へ押し戻した。
シキが言う。
「無理がきく身体の状態ではない」
「単なる雨季明けの体調不良だ」
シキはため息をついた。
「おまえは、自分のことになると驚くほど鈍い」
「どういう意味だ」
「腹の子に障る」
ラゴウは目を瞬いた。
「・・・えっ?」
「縫天婆から聞いた。どうやらおまえは、孕んでいるらしい」
「え!?」
思わず素っ頓狂な声が出た。
「身に覚えは」
ラゴウは黙った。
ある。
あるに決まっている。
フェルンで。
何度も。
身体を重ねた。
深く、溺れるように。
月白花の毒が抜けたことも。
月の巡りが戻ったことも。
自分が一番よく知っている。
シキが呆れた声で言う。
「思いきり身に覚えがあるようだな」
「いや」
「いや、待て」
ラゴウは額を押さえた。
「計算が合わない・・・いや、合ってる?」
「何の話だ」
「いや」
「月の巡りは」
「最終月経は」
「発熱は毒の影響だと思ってたし……」
「眠気は・・・」
ぶつぶつと独り言を始める。
シキは額へ手を当て、深くため息をついた。
「・・・おまえは」
「まず喜ばないのか」
「いや!」
ラゴウは勢いよく顔を上げた。
「もちろん嬉しい!」
「嬉しいが!」
「ちょっと待て!」
「まず状況整理を――」
想定外。
完全に、想定外だ。
頭が混乱する。
おもむろに、シキが言った。
「カヨウには、知られるな」
びく、とラゴウが顔を上げた。
「レザリア王の子を宿していると知れば、どんな手を使ってでも腹の子を害そうとするだろう。婚礼を避ける道を探れ」
ラゴウは唇を噛んだ。
「・・・でも、アレクと鸞が捕らわれている」
「ユイに青天への書簡を書かせた」
「鸞は監獄の管理下にあった雑役だ。監獄のことは総監に任せるのが一番早い」
少し間を置いて。
「あいつは法の番人だ。」
「だが、昔からユイの頼みだけは断ったためしがない。」
――『結婚してくれ』という頼みを除いては。
「アレクは」
「あの執念深い男が、お前とカヨウとの婚礼を、黙って見ているはずがない。今ごろ、婚礼を潰す算段を組み立てているだろう」
「利き腕の傷はもう少しで致命傷になるところだった。以前と同じように動くようになるまで、しばらく時間がかかるはず」
「心配するな」
「でも」
「おまえは知らないだろうが」
「アレは、おまえの前で品行方正で温厚な王の仮面をかぶっているだけだ。信じられないような容赦の無さで知略を弄する男だ。凶悪ですらある」
シキは小さく鼻で笑った。
「あの男は」
静かな声だった。
「自分すら、駒にする」
ラゴウは息を呑む。
「おまえが、あの場で取引に応じることも」
「右腕を犠牲にしてでも鸞を救うことも」
「全部、計算の上だったかも」
「そんな・・・」
「おまえは、アレクシスを見殺しにはできない。だから、カヨウの求婚を受け入れるしかない。それもあいつの想定内だろう。むろん最初から婚礼は潰す気に決まっているが」
「しかしのそのことで」
「七日の猶予を得た」
「わずかひと月でバテレノア監獄を崩壊寸前まで壊した男だ。すべて計算して、自分から捕まった」
ラゴウは何も言えなかった。
「そこまで性格が・・・」
「極めてタチが悪い男だ。おまえの前でだけ猫をかぶっていただけだ」
そして、短く断言する。
「あの男は、負け戦などしない」
ラゴウは困ったようにわずかに笑う。
「・・・褒めているのか貶しているのかよく分からない」
「事実を述べているだけだ」
淡々と。
「鸞を助けたかったのも本心だ」
「おまえを守りたかったのも本心だ」
「右腕を失う覚悟も、本物だ」
「その全部を背負った上で勝つ方法を選ぶ」
「そういう男だ」
シキは続ける。
「婚礼には、草原中の部族長が集まる」
「ジョカ族に伝わる星杖も、人前へ出される」
「カヨウも」
「草原の民も」
「全員が、一か所へ集まる」
少しだけ間を置く。
「戦とは」
「敵を探すものではない」
「敵を、一か所へ集めるものだ」
ラゴウはゆっくりと顔を上げた。
「じゃあ・・・」
「ああ」
シキは頷く。
「あの男は」
「婚礼を」
「戦場へ変える気だ」
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、ラゴウの妊娠発覚と、「婚礼」が決戦の舞台になることが明らかになりました。
シキから見たアレクシスは、ラゴウが知っている優しい王とは少し違います。
勝つためなら、自分さえ盤上の駒にしてしまう――そんな王としての一面も描いてみました。
いよいよ終盤です。
婚礼の日、ラゴウは、アレクは、シキは、何を選び、何を失うのか。
最後までお付き合いいただけると嬉しいです。




