第120話 王の利き腕
「火を!」
草原王の一言で、兵士が一斉に松明を掲げた。
油を吸わせた薪へ、赤い炎が近づく。
ぱちり。
乾いた音。
次の瞬間。
轟、と炎が燃え上がった。
熱風が丘を吹き抜ける。
磔にされた鸞の頬が赤く染まる。
「・・・王女」
少年は笑った。
震える唇で。
「悪ぃ」
「おれ」
「失敗した」
ラゴウは馬腹を蹴る。
「赤焔!!」
愛馬が咆哮する。
丘を駆け上がる。
火に囲まれた磔刑のの柱の前で、兵士が壁になる。
槍が突き出される。
ラゴウは剣を抜いた。
「退け!」
一閃。
二人。
三人。
兵が吹き飛ぶ。
だが。
遠い。
まだ届かない。
炎はすでに柱を舐め始めていた。
その時だった。
轟ッ!!
兵列が爆ぜた。
一頭の黒馬。
黒衣の騎手。
「な——!」
兵が振り返る。
黒馬は止まらない。
槍ごと兵士を跳ね飛ばす。
そのまま柱へ一直線。
馬上から。
男が飛んだ。
高く。
炎の中へ。
黒衣が炎をまとい、銀髪が陽炎のように揺れる。
剣が閃いた。
一太刀。
縄が切れる。
二太刀。
柱へ巻かれた鎖が断ち切られる。
三太刀。
燃え上がる薪が左右へ吹き飛んだ。
崩れ落ちる鸞を、男は左腕だけで抱き止めた。
「・・・アレクシス」
鸞の目が見開く。
アレクシスは微笑んだ。
「すまなかった」
「・・・なんで謝る」
「フェルンに帰すべきだった」
「おれが手伝わせろって言っただろ・・・生きて戻れたら、給金はずめよな」
「生きて戻す」
そのやり取りを、ラゴウは丘の下から見ていた。
胸をなでおろす。
(間に合った)
が。
次の瞬間。
カヨウが笑う。
「射よ」
弦が鳴る。
無数の矢が空を覆う。
黒い雨。
「シキ!」
ラゴウが叫ぶ。
次の瞬間。
黒衣が一つ。
音もなくアレクシスの前へ躍り出る。
銀の刃が舞う。
甲高い音が連続した。
一本。
二本。
五本。
十本。
矢が真っ二つになって落ちる。
「・・・やはり、ぼくに逆らうんだねえ、シキ?」
カヨウが呟く。
だが。
その右手は。
すでに一枚の弓を引き絞っていた。
静かに。
ゆっくりと。
一本だけ。
漆黒の矢。
鏃には濃紫の毒が光る。
「盟約により」
「草原王が射る矢は」
「おまえには止められない」
放つ。
音すらない。
速い。
シキが反応する。
間に合わない。
アレクシスも気づいた。
避けられる。
避ければ助かる。
だが。
左腕には。
鸞がいる。
一瞬だった。
アレクシスは身体を捻る。
少年を抱え込む。
右肩を前へ出した。
ずぶり。
鈍い音。
「――アレク!!」
悲鳴のようなラゴウの声。
「チッ!」
シキが忌々し気に舌打ちした。
――致命傷。
毒矢が右肩を深々と貫いていた。
肉を裂き、骨を砕き、背中まで突き抜ける。
鮮血が噴き上がった。
右手から剣が滑り落ちる。
金属音。
ごとり。
地面へ転がる。
アレクシスが膝をつく。
静寂。
誰も動かなかった。
カヨウだけが笑う。
「鏃の毒は」
ゆっくり。
一歩。
また一歩。
炎を背に歩く。
「骨を侵し肉を腐らせる」
ラゴウの顔は蒼白になる。
「残念だねえ?見事な剣術なのに」
「その利き腕は使い物にならなくなる」
ぎ、と青灰の瞳がカヨウを睨んだ。
「腕1本失うことなど、些事だ」
「姉上にとっては違う」
ねえ、ラゴウ?
蕩けるような瞳で、カヨウはラゴウに視線を送る。
ラゴウは飛び出した。
だが兵が槍を交差させる。
「どけ!!」
剣を振るう。
弾かれる。
届かない。
届かない。
届かない。
「治療を!!」
このままほおっておけば。
手遅れになる。
腕を切断するしかなくなる。
そんなこと。
――そんなことは!!
カヨウは楽しそうに言う。
「最終的には」
「毒は半刻ほどで全身にまわり、絶命する」
その瞬間。
ラゴウの中で。
何かが、音を立てて切れた。
「カヨウ」
底冷えするような静かな声で、ラゴウはかつて弟としてともに育った男の名を呼ぶ。
「姉上」
くすり、と笑って、カヨウは首をかしげる。
「どうする?」
「――どうすれば、治療させてくれる?」
アレクシスが視線をあげる。
「ラゴウ!!取引するな!!」
ぐ、と口から血が滴った。
「ぼく花嫁になってくれる?」
ふ、とラゴウが笑った。
「形なんて、いくらでもくれてやる」
「――ラゴウ!!」
意識が遠のく。
倒れこむ銀髪の王を見下ろして、カヨウが愉悦に満ちた声で言う。
「婚礼は、7日後だ」
◇ ◇ ◇
天幕。
薬草の香りよりも先に。
血の匂いが充満していた。
「寝かせろ!」
ラゴウの声が飛ぶ。
兵たちが思わず肩を震わせた。
「湯!」
「清潔な布!」
「シキ、ばば様を呼べ!」
「毒を吸い出す道具は!」
矢継ぎ早に飛ぶ指示。
誰一人返事ができない。
「聞こえなかったか!!」
怒号。
天幕中の空気が震えた。
兵たちは我に返るように一斉に走り出す。
ラゴウは、血にぬれた衣を一気に引き裂く。
右肩。
毒矢は鎖骨のやや下。
鏃は完全に貫通している。
「・・・最悪だ」
ラゴウは低く呟いた。
「毒が骨まで入ってる」
迷っている時間はない。
布で傷口を押さえる。
出血点を確認。
指先で肩を固定する。
ラゴウは息を止める。
(折れてない)
(いや……砕けてる)
(でも腕は残せる)
(まだ間に合う)
思考だけが異様な速さで回る。
痛み。
恐怖。
涙。
そんなものは後回しだった。
ラゴウは矢柄を握る。
深く。
一度だけ呼吸した。
「アレク。耐えて」
返事を待たない。
一気に引き抜いた。
ずぶり。
鈍い音。
鮮血が噴き上がる。
アレクシスの身体が大きく跳ねた。
「ッ・・・!」
それでも悲鳴は上げない。
「押さえろ!」
血が溢れる。
止まらない。
「まだ!」
「まだ!」
「くそっ!」
布が真っ赤になる。
一枚。
二枚。
三枚。
それでも止まらない。
ラゴウの頬へ血が飛ぶ。
黒衣も。
腕も。
顔も。
赤く染まっていく。
(止まれ)
(お願いだから)
(止まれ)
ラゴウは唇を噛む。
血の味がした。
◇ ◇ ◇
どれほど時間が過ぎたのか。
誰にも分からなかった。
天幕の中では、ただラゴウの声だけが響いていた。
「縫合糸」
「針」
「もう一本」
「血を拭いて」
「そこ、押さえて」
誰も逆らわない。
いや、逆らえなかった。
まるで別人だった。
その細い身体のどこに、これほどの気迫が宿っているのか。
誰も理解できない。
「……終わった。」
ぽつり、と。
ラゴウが呟いた。
その声は、かすれていた。
右肩は何重にも縫合され、薬草と解毒薬で覆われている。
毒は完全には抜けない。
だが。
命だけは繋いだ。
「・・・アレク」
呼びかける。
返事はない。
深い眠りへ落ちている。
熱は高い。
呼吸も荒い。
それでも。
胸は上下していた。
生きている。
ラゴウは大きく息を吐いた。
今度は隣へ視線を向ける。
鸞だった。
火傷した腕。
裂けた唇。
痩せた胸が、小さく上下している。
少年もまた、眠っていた。
「・・・よかった。」
それだけ呟く。
その瞬間だった。
張り詰めていた糸が、ぷつりと切れた。
身体が傾いた。
ふらり。
シキが腕を伸ばす。
そのまま、シキの胸へ崩れ落ちる。
「ラゴウ」
呼んでも返事はない。
額へ触れる。
熱い。
汗で濡れていた。
腕の中のラゴウを見下ろす。
眠っている。
いや。
気を失っていた。
何日も休まず。
戦い。
走り。
泣き。
命を救い。
張り詰め続けた糸が、ようやく切れたのだ。
シキは静かにラゴウを抱き上げた。
第120話「王の利き腕」をお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、アレクシスとラゴウ、それぞれの「守る覚悟」を書いた回でした。
そして、ラストのラゴウの決断。
ここから物語は、いよいよ終盤へ向かって大きく動き始めます。
次回もお付き合いいただけたら嬉しいです。




