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第119話 鳴らぬ星杖

 その頃。

 王庭では。

 鸞が木箱を抱えて歩いていた。

 橋の修復に使う釘。

 工具。

 縄。

 朝から雑役に追われている。

「おい」

 突然、背後から声がした。

 振り返る。

 兵士だった。

「王女がお呼びだ」

「今?」

「急ぎだ」

 不審に思う暇もなかった。

 路地へ入った瞬間。

 布が口を塞ぐ。

「――!」

 衝撃。

 視界が回る。

 数人が一斉に飛びかかる。

 抵抗する。

 蹴る。

 肘を入れる。

 だが。

 数が多すぎた。

「こいつか」

「間違いない」

 縄が腕へ巻き付く。

 鸞は歯を食いしばった。

(しまった)


 ◇ ◇ ◇


 天幕の奥。

 薬草の匂いが立ち込める。

 縫天婆は黙って薬をすり潰していた。

 石鉢へ薬草を入れ、木の棒でゆっくりと練る。

 その向かいに、シキが胡坐をかいて座っている。

 黒衣の肩口。

 盟約違反の代償。

 胸から肩へ走る傷は、何度治療しても塞がらない。

 皮膚は焼け、まるで呪いのように赤黒く爛れている。

 縫天婆が薬を塗る。

「・・・沁みるか。」

「慣れた」

 短く答える。

 老婆は鼻で笑った。

「慣れるような傷ではない」

「草原王との宿命の盟約を破った傷じゃ」

「死ぬまで癒えぬ」

 シキは黙った。

 薬が傷へ染み込む。

 痛みはない。

 もう、とっくに。

 痛みなど通り越していた。

 しばらくして。

 縫天婆がぽつりと呟く。

「ラゴウは」

「孕んでおる」

 天幕の空気が止まる。

「先日、あやつに薬を煎じたときに、脈を見た。・・・間違いなかろう」

「・・・そうか。」

 それだけだった。

 縫天婆が横目で見る。

「驚かんのか」

「フェルンで、何度も、アレクシスと身体を重ねていた」

「腹の子の父親は、レザリア王か」

 老婆は少しだけ口元を緩めた。

「おぬしではなかったか」

 静かな問いだった。

 シキは笑わない。

「ラゴウが望まぬのに」

「奪えぬ」

 一言。

 それだけだった。

 縫天婆は続きを待つ。

 やがて、長く胸の奥へ沈めていた想いを吐き出すように、シキは静かに言った。

「最初から」

「星も」

「運命も」

「命も」

「魂も」

「なにもかも繋がっている」

 それが、フギとジョカとして生まれた者の運命なのだ。

 だからこそ。

「身体まで繋げてしまえば」

 低く。

 誰にも聞こえないほど小さく。

「おれは正気を保っていられぬ」

「おそらく、ラゴウも」

 ――今のラゴウのままでは、いられなくなるだろう。

 同調が深く、変容が極まれば、魂の核そのものが融合して、シキではないモノ、ラゴウではないモノに変わってしまう。

「今、この瞬間に、目の前で笑い泣き怒りわめくラゴウに惹かれたのだ」

 ジョカではなく。

 ラゴウでもありジンナイでもあるモノ。

 縫天婆は何も言わなかった。


 その時だった。

 天幕の外が騒がしくなる。

 馬がいななく。

 誰かが走る音。

 ラゴウが天幕へ駆け込んできた。

「シキ!」

「鸞を見なかったか!」

 シキは立ち上がる。

 嫌な予感がした。

 風向きが変わる。

 草がざわめく。

 その時。

 遠くから銅鑼が鳴った。

 どん――

 どん――

 草原中へ響く重い音。

 続いて、役人の声が風に乗る。

「王命!」

「王命!」

「捕虜脱獄幇助の罪人を、本日正午、裁きの丘にて公開火刑に処す!」

 ラゴウの顔色が変わる。

「・・・まさか」

 次の瞬間には走っていた。

 赤焔が嘶く。

 ラゴウは飛び乗る。

「赤焔!」

 愛馬は主の焦りを理解したように、

 大地を蹴った。

 紅い鬣が風を裂く。

 土煙を巻き上げながら、

 一直線に裁きの丘を目指して駆け出した。

 その背を見送りながら、

 シキはゆっくりと刀へ手を掛けた。

「・・・始まるな」

 誰にも聞こえないほど静かな声だった。



 ◇ ◇ ◇


 草原の中央。

 そこには、古くから「裁きの丘」と呼ばれる場所があった。

 始祖神ジョカが草原の掟を定めたと伝わる聖地である。

 部族同士の争いを裁き、新たな草原王が天へ誓いを立て、罪人へ神罰を宣告する場所。

 中央には、黒い岩盤が露出している。

 その岩盤へ打ち込まれた一本の柱。

 そこへ。

 一人の少年が磔にされていた。

「・・・鸞!」

 ラゴウの叫びが風を裂く。

 赤焔が土煙を上げて丘を駆け上がる。

 柱へ縛り付けられた鸞は、すでに全身が血に染まっていた。

 頬は腫れ、口元は裂け、細い腕には縄が食い込んでいる。

 衣服は鞭で何度も裂かれ、乾いた血が幾重にも張り付いていた。

 それでも。

 鸞はうっすらと目を開けた。

「・・・王女・・・」

 かすれた笑顔で、へへ、と少年は笑った。

「・・・とんだヘマを」

 おれらしくない。

 こんなところで、こんなふうに死ぬなんて。

 でも。

 あの銀髪の男が、「来るか?」と言ってくれた。

 貧しいフェルンの村で、富もなく学もなく、ただ金をためて、妹たちと平穏無事に暮らすことだけが望みだった。

 なのに。

 アレクシスにしろシキにしろ、あの拷問マニアのユイにしろ。

 そしてこの、王女らしくない王女。

 たかだか雑役の小僧ひとりのために必死になって馬を駆ってくるなんて。

 こんなやつらもいるのだと。

 それが妙におもしろくて、心ひかれた。

 だから別に後悔はしてない。

「王女・・・母親と妹たちのこと、お願い、できますか・・・」

 それだけ言うと、再び力なく頭が垂れた。

「鸞!!」

 ラゴウの拳が震える。

「・・・誰がこんなことを!!」

 その時だった。

 ざっ――

 兵たちが左右へ割れる。

 ゆっくりと、一人の青年が現れる。

 白銀の髪。

 黄金の王衣。

 そして。

 右手には一本の長杖。

 黄金にも青銅にも見える、不思議な輝きを宿した杖だった。

 杖頭には幾重もの金環。

 風を受ければ、しゃらん、と澄んだ音を響かせるはずの、始祖神ジョカの星杖。

 草原王だけに継承される王権の証。

 民を裁く資格。

 部族へ命を下す資格。

 神が王を認めた証。

 しかし。

 カヨウが握るその杖の金環は、風を受けても、ひとつとして鳴らなかった。

 死んだように、静まり返っている。

 いつのまにかラゴウの後ろに控えていたシキが、低く呟く。

「・・・鳴らぬな」

「黙れ!」

 カヨウが鋭く一渇する。

 シキはかまわず言う。

「カヨウが即位して以来、その星杖の金環は一度たりとも鳴らぬ」

 ラゴウの胸が痛む。

 本来なら。

 あの星杖は、ジョカの王女である自分が受け継ぐはずだった。

 父王が、幼い日に見せてくれた。

『いつの日か、おまえが持つ。人が、星杖を選ぶのではない。星杖が、王を選ぶのだ』

 幼い日の記憶だけが、胸の奥で静かに蘇る。

 その時。

 カヨウが星杖を掲げた。

 ごん――

 杖尻が岩盤を打つ。

 乾いた音だけが、裁きの丘へ響いた。

 金環は、最後まで鳴らない。

 それでもカヨウは気にも留めず、草原中へ響き渡る声で告げた。

「罪人、鸞」

「レザリア王アレクシスの脱獄を幇助し、草原の法を破った」

「よって」

「草原王カヨウの名において」

「火刑に処す」

 丘を吹き抜ける風だけが、静かに鳴いた。


119話を読んでいただき、ありがとうございました。

ここから物語は、いよいよ「草原編」の大きな転換点へ入っていきます。

これまで少しずつ積み重ねてきた伏線――

草原王とは何か。

ジョカの王女とは何か。

そして「星杖」がなぜ鳴らないのか。

その答えへ向かって、物語は一気に動き始めます。

次回はいよいよ処刑の執行。

アレクシス、ラゴウ、シキ、それぞれの覚悟が試されることになります。

最後まで見届けていただけたら嬉しいです。

ブックマーク、評価、感想いただけたらとても励みになります。

それでは、また次回。

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