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第116話 選ばれる者

  

 翌朝。

 ラゴウが天幕を出ると、商隊の荷馬車が並んでいた。

 その中心に、一人の男が立っている。

 黒く染めた髪。

 粗い麻布の外套。

 旅で日に焼けたように見せるためか、肌にも薄く土色の化粧が施されていた。

 腰には商人用の短剣。

 肩には荷を担ぐ革帯。

 どこから見ても、ごく普通の旅商人。

 ……のはずだった。

 背が高い。

 姿勢がいい。

 何より、立っているだけで目を引く。

 無駄のない身体。

 柔らかな笑み。

 王冠も宝石も身につけていない。

 それなのに。

 どんな貴族よりも品があった。

(・・・ずるいな)

 ラゴウは思う。

 商人の格好ですら様になる。

 その視線に気付いて、男が振り返った。

 ラゴウ、と言いいかけて、止まる。

 レザリアでは、騎士服ばかり着ていた王妃。

 夫たる自分が贈った衣装はすべて捨て去り、身軽なほうがいいと男物の服ばかり身にまとっていた妻。

 今日は草原の民族衣装を身に着けている。

 幾重にも重ねた鮮やかな布。

 金糸の刺繍。

 耳元で揺れる飾り。

 腰まで流れる赤い髪。

 昨日は再会の衝動が先に立って、それどころではなかった。

 ようやく、お互いをちゃんと見ている。

 アレクシスは少しだけ困ったように笑った。

「そういう格好は」

「他の男には見せたくありませんね」

 アレクシスがラゴウに近づく。

 その時だった。

「離れろ」

 荷馬車の陰から、長身の男が現れる。

 シキだった。

「商団の男が王女を誘惑しているという噂が立つと面倒だ」

 ラゴウの表情がぱっと明るくなった。

「シキ!」

 思わず駆け寄る。

「無事だったか!」

 抱きつこうと腕を伸ばした。

 その瞬間。

 後ろからぐい、と身体を抱き寄せられる。

「え?」

 振り返る。

 アレクシスだった。

 そのまま羽交い締めにされる。

「わたし以外の男に抱きつくのは禁止です」

 真顔だった。

「え、なんで」

「禁止です」

「いや、シキなのに」

「シキだから、ですよ」

 背後に控えていたルシアンが肩をすくめる。

「安心しました。ラゴウ様は、全然お変わりない様子でお元気ですね」

 鸞は少し離れたところから呟く。

「また始まった」

 草原の朝に、小さな笑い声が広がった。


 ◇ ◇ ◇


 ルシアンが地図を広げた。

 草原全土。

 各部族の天幕。

 橋。

 井戸。

 放牧地。

 洪水で被害を受けた土地には赤い印がついている。

「ラゴウ様」

「なんだ」

「ご自分が、今草原でどのように見られているか、お分かりですか」

「被災地を走り回る変わり者だろ」

 即答だった。

 ルシアンは苦笑する。

「違います」

「あなたは今、草原王と並び立つ存在になりつつあります」

 ラゴウは眉をひそめた。

「草原王はひとりだけだ」

 それに並ぶ権威を持つ人間など、草原には存在しない。

 そこへシキが口を開く。

「草原王とは、草原に選ばれた者のことだ。本来は、カヨウではない」

 ラゴウは黙る。

 シキは地図へ視線を落とした。

「草原には、ジョカ・ダッキ・フギの3大部族以外に、いくつもの小さな部族集落がある。草原王は支配者ではない。部族の信頼を得る者であり、最後まで民の前に立つ者だ」

 ルシアンが静かに続ける。

「雨季の洪水のあと、最初に動いたのは誰でしたか」

「・・・」

「井戸を掘り、橋を修復し、羊を分け、食糧を配り、病人を診て、孤児を保護した」

「しかも部族の区別なく」

「すべて、ラゴウ様でしょう」

 ラゴウは首を振る。

「困っている者がいたから助けただけだ」

 シキが笑った。

「だから選ばれる」

 沈黙。

「民は、草原王カヨウではなく、草原の王女ラゴウを選びつつある」

 ルシアンは地図上のダッキ領を指さした。

「カヨウも、それを理解しています」

「だから婚礼を急いでいるのです」

「欲しいのは、草原を体現する者です」

 空気が変わる。

「婚礼が終われば、あなたが積み上げた信頼は、そのままカヨウの権威になります」

 アレクシスは静かにラゴウを見た。

「あなたは、誰かの権威になるために利用される人ではありません」

 きっぱりと、断言する。

「カヨウのものになど、させない」

 一拍。

「あなたは、あなたのものであるべきだ」

 それから、地図へ視線を落とす。

「ルシアン。」

「はい。」

「今日中に各部族長と接触を。ジョカ族の生き残りは少ない。ラゴウの側に立てる者が足りない。フギ族も、中立部族、洪水で恩を受けた集落も。すべて回れ」

 ルシアンは一礼する。

「承知いたしました。」


「シキ」

「・・・おれにまで指図を?」

「おまえがラゴウ以外の命を受け入れないのは知っている。だがこれは、ラゴウを守るための指示だ」

 そして、続ける。

「カヨウには手を出すな」

 シキの眉がぴくりと動く。

「殺すなと?」

「そうだ」

「それは、時と場合によるな」

「今ここで草原王が死ねば、草原全土が割れる」

 静かな声だった。

「メフィストに逆賊討伐の名目を与えてしまう」

 それに。

「カヨウは、生きたまま裁かなければ意味がない」

 ナイルート協定違反。約束反故。

 しばらく沈黙が流れる。

 やがてシキが肩を竦めた。

「・・・難題ばかり押しつける」


「鸞」

「なんだ」

「おまえは王庭に残れ。ラゴウの補佐を」

「補佐?」

「体調管理だ」

 鸞が首をかしげる。

 アレクシスは真顔だった。

「雨季が過ぎてしばらく経つのに、不調が抜けないようだ」

「熱もある」

「食欲、睡眠時間、疲労・・・変化があれば全部知らせろ」


 最後に。

 アレクシスはラゴウを見る。

 先ほどまでの王の顔が、少しだけ柔らかくなる。

「ラゴウ」

「なんだ」

「あなたは今まで通りでいてください。」

「・・・それだけか。」

「はい」

 ラゴウは苦笑する。

「わたしだけずいぶん大雑把だ」

 アレクシスは小さく笑った。

「いいえ」

「一番難しい作戦です。」

「あなたがあなたであり続けること」


ここまで読んでくださってありがとうございます。

ようやくアレクシスらしい場面を書けました。

剣が強いだけではなく、人を動かし、国を動かす「王」としての姿です。

そして、ラゴウが草原で積み重ねてきたものが、少しずつ大きな意味を持ち始めます。

物語はいよいよ終盤へ。

次回もよろしくお願いします。

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