第114話 手遅れ
鍋の湯気がゆっくり立ち上る。
しばらく無言で食べていたあと。
ラゴウがふと尋ねた。
「以前はどこにいた」
鸞の手が止まる。
少しだけ迷う。
だが。
いずればれることだ。
「バテレノア監獄です」
沈黙。
ラゴウの金色の瞳がわずかに揺れた。
「配給係でした」
「そうか」
それ以上は聞かない。
だが。
しかし、聞きたいことは山ほどあるのだろう。
匙を持つ女の指が、わずかに震えているのを、鸞は見逃さなかった。
それで、少しだけ意地悪したくなった。
「変な囚人が多かったですよ」
ラゴウは乳茶を飲む。
「例えば」
「女からもらった結紐ひとつで喧嘩してる男どもとか」
ぴたり。
ラゴウの手が止まった。
「・・・監獄でか?」
「監獄で」
鸞は真顔で頷く。
「暇だったんでしょうね」
「いい年した男が大騒ぎしてました」
ラゴウは無言だった。
そして、思い当たるように、額を押さえる。
「そいつら、馬鹿なのか」
「俺もそう思いました」
鸞は懐に手を入れた。
そして。
小さな包みを取り出す。
赤い結紐だった。
ラゴウの呼吸が止まる。
シキの髪を結った時のものだ。
「あいつが」
鸞は肩を竦めた。
「王女に渡せって」
沈黙。
ラゴウは結紐を受け取る。
指先がわずかに震えた。
どっちの「あいつ」なのか分からない。
でも。
どちらも、無事なのはたしかだ。
「他には」
思わず口をついて出る。
鸞は笑った。
「監獄は重罪人ばっかりなんですけど、その中にきわめつけに凶悪な性悪男がいて」
ラゴウは黙る。
「字を教える代わりに飯を要求するし」
「看守の癖は全部覚えてるし」
「牢にいるくせに外のことばっか考えてるし」
「・・・」
「変な男ですよね。銀髪の美形で、顔だけはいいんですけど」
鸞は少しだけ笑った。
「ラゴウ様の話ばっかりしてました」
沈黙。
ラゴウは俯く。
結紐を握りしめる。
その顔を見て。
鸞は確信した。
ああ。
やっぱり。
終わっていない。
◇ ◇ ◇
その夜。
ラゴウの作った夜食をたらふく食べて、鸞は自分の天幕に戻った。
その時。
偶然、見えた。
被災孤児の天幕。
毛布を掛けるラゴウ。
熱を測るラゴウ。
水を置くラゴウ。
一日中被災した地域をかけずり回って。
たかだか雑役の小僧の面倒まで見て。
疲れているに違いないのに。
(なるほどな)
妙に、納得する。
(これが、あいつらが、惚れてる女)
ラゴウが空を見る。
白い月。
無意識だった。
本当に無意識だった。
「・・・アレク」
そこで止まる。
続かなかった。
だが。
鸞は聞いていた。
「無事だぞ」
思わず、その背に声を投げた。
・・・別に、交流しろとは、言われてないけど。
なんだかほおっておけなかった。
あなたの最愛の男は無事だと、ちゃんと伝えてやりたかった。
ラゴウが固まる。
「・・・え?」
「それなりに負傷はしてるけど、元気だ」
風が吹く。
ラゴウは何も言わない。
だが。
結紐を握る手だけが強くなる。
(重症だな)
あの化け物王も。
この王女も。
思った以上に。
手遅れだった。
◇ ◇ ◇
それから、数日後。
北部へ向かう荷車にラゴウは乗っていた。
目的は橋だ。
雨季の大洪水で流された大橋。
草原東西を結ぶ重要な街道だった。
復旧が遅れれば冬を越せない。
なぜか鸞も付き従っている。
同じ年の頃の雑役の少年たちの間で、「王女の無茶な要求にこたえられるのはこいつしかない」と思われたらしく、結果的に、面倒な王女の相手を一手に引き受けることになったのである。
「あの」
「なんだ」
「王女って、普通は、おとなしく王庭にいるものじゃないんですか」
「退屈で死ぬ」
即答だった。
鸞はため息をつく。
本当に休まない。
本当に言うことを聞かない。
橋へ到着すると、現場は悲惨だった。
橋脚は半分崩れ、川はまだ濁流を残している。
職人たちが頭を抱えていた。
「資材が足りません」
「足りないなら集めろ」
「集まらないんです」
「なら別の方法を考えろ」
無茶だった。
だがラゴウは本気だった。
橋が必要なのだ。
人のために。
生活のために。
冬のために。
橋の修復現場は騒然としていた。
雨季の濁流に削られた橋脚。
冬が来る前に直さなければならない。
草原の物流を支える重要な橋だった。
「王女様!」
職人が叫ぶ。
「危険です!」
「見れば分かる」
ラゴウは橋の端へ歩いていく。
「おい!」
鸞はあわてて後を追う。
風が強い。
川面が唸る。
「ここだな」
橋脚を見下ろす。
「この部分を補強しないと春までもたない」
「だから危険だって!」
「落ちなければ問題ない」
「そういう話じゃ――」
(頼むから落ちるなよ!)
その時だった。
ふらり、と視界が揺れた。
あれ。
と思った。
足元が遠い。
身体が重い。
妙な眠気。
最近ずっと続いている不調だった。
疲れているだけだと思っていた。
だが。
今日はひどい。
一歩踏み出した瞬間。
視界が白くなる。
身体が傾いた。
耳鳴り。
足元が消える。
あ。
と思った。
「――ラゴウ!!」
誰かが叫んだ。
強い力で腕を掴まれる。
ぐい、と引き寄せられた。
硬い胸。
懐かしい体温。
そして。
聞き慣れた声。
「あなたというひとは」
低い声だった。
本気で怒っている声だった。
「しばらく目を離した隙に」
ラゴウはゆっくり顔を上げる。
銀色の髪。
青い瞳。
少し痩せた顔。
だが。
間違えようがない。
「また、こんな無茶をしている」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
結紐ひとつで喧嘩する男たちの話でした。
本人たちは大真面目ですが、傍から見るとだいぶ馬鹿です。
そして鸞もようやく理解しました。
アレクもラゴウも、思った以上に手遅れだったようです。
次回、再会。
ようやく銀髪の王が草原へやってきます。




