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第106話 見逃した男

 

 やがて地下水路へ辿り着く。

 巨大な鉄格子。

 シキが押す。

 びくともしない。

 鸞がしゃがみ込んだ。

 石壁を撫でる。

 流れる水の音を聞く。

「右だ」

「水圧が掛かっている」

「逆から押せ」

 シキが力を込める。

 鉄が軋む。

 アレクも肩を当てる。

 ユイも。

 鸞も。

 四人で押す。

 そして。

 轟音とともに鉄格子が外れた。

 冷たい風が吹き込む。

 外へ続く闇。

 その時だった。

「――ユイ」

 低い声が響いた。

 全員が振り返る。

 階段の上。

 青い外套を纏った男が立っていた。

 整った顔立ちだが、目の下にはうっすらと隈があった。

 切れ長の青緑の瞳は理知的で、どこか疲れている。

 強者の気配はある。

 だがそれは剥き出しの武ではない。

 戦うより、止めることに慣れた男の目だった。

 ユイが露骨に嫌そうな顔をする。

「げ」

「その反応は傷つく」

「勝手に傷つきなさいよ」

 即答だった。

 ――監獄総監、天青テンセイ

 長い青黒の髪を後ろで束ねた長身の男だった。

 ユイはつらつらと思い返す。

 昔から顔だけは良かった。

 部下には慕われるし、女にもそれなりにモテる。

 そのくせ面倒見が良く、損な役回りばかり引き受ける。

 ――だから出世したのだろう。

 もっとも。

 目の下の隈だけは昔より増えた気がする。

(・・・たぶんあたしのせいで)


「ユイ。そいつはおまえがなんとかしろ」

 シキが言う。

「ええ?なんで?」

「おまえが口説き損ねた男だろう」

 アレクシスが一瞬ぎょっとする。

「そうだけどぉ、でも、結婚してって100回くらい言ってるのに、やだって言うんですもん。石頭すぎです」


 天青は四人を見る。

 アレク。

 シキ。

 ユイ。

 鸞。

 そして深く息を吐いた。

「勘弁してくれ」

 バテレノア監獄の総監は露骨に嫌そうな顔をする。

「こんな大物の脱獄を見逃したとあっては僕はクビだ」

「クビになればいいじゃない」

 また即答だった。

 鸞が吹き出しそうになる。

 天青は本気で困った顔をして、言う。

「レザリア王の隣にいるのは、フギ長のシキ様とお見受けしますが」

「あたりだ」

「アレクシス王の脱獄の手助けを?」

「おまえたち監獄の人間を、おれは助けてやっているのだ。この男をこのまま置いておけば監獄が崩壊するぞ」

 天青は黙った。

 否定できなかった。

「草原王の怒りを買うのを承知で、ここに来られたのですか」

「カヨウは草原を捨てる」

 シキは短く断言した。

「草原を捨てる者を、もはや王とは認めぬ」

「なるほど。・・・一理あります」

 次に、天青の視線がアレクシスへ向く。

 青灰の瞳。

 水牢に長く捕らえられていたせいか、傷が癒えていない。

 だが目だけは死んでいない。

 むしろ以前より鋭い。

「・・・レザリア王」

 天青が言う。

「ひと月で監獄の構造を把握なさったんですか」

 アレクは肩をすくめた。

「暇だった」

「看守の癖も覚えた」

「覚えた」

「外へ伝言も出した」

「最低限な」

 天青が目を閉じる。

「化け物ですね」

 鸞が思わず頷いた。

 ――本当にそう思う。

 天青は小さく笑った。

「僕が見逃した脱獄囚は二人だけです」

 追ってきた看守たちがざわつく。

「総監?」

「一人目は縫天婆」

 草原の命運を予言した老婆。

 監獄で埋もれさせるには惜しい占者だったし、飄々と人を食ったような老婆にたぶらかされて、脱獄を試みる者が後を絶たなかった。草原のラゴウ王女の乳母だということも知っていた。

「そして二人目があなたです」

 アレクは何も言わない。

 天青は続ける。

「縫天婆を解放したのは」

「草原が滅ぶのをとめるためです」

「そして」

「あなたを牢に入れておけば」

「今度は世界のほうが壊れる」

 沈黙。

 シキが小さく鼻を鳴らす。


 天青は横へ退く。

「追撃は僕が指揮する」

 兵士たちが息を呑む。

「総監!」

「責任は僕が取る」


「ユイ」

「なによ」

「監獄に戻ってくれ」

 静かな声だった。

 ユイが目を瞬く。

「ならあたしと結婚してくれる?」

「しない」

 鸞がげんなりと肩を落とす。

(ほんとなんなんだこいつら・・・ここまで来て痴話喧嘩かよ)

「理由によっては獄吏にもどってあげてもいいわよ」

 軽い口調でユイはさらに言う。

「あたしと結婚して」

「いやだ」

「なんで?」

「君はフギで、たぶん百年後も今と変わらぬ姿で生きている」

「?」

「僕はちがう」

 沈黙。

「僕は先に老いるし、先に死ぬ」

 ユイが一瞬黙る。

「だから駄目だ」

「意味わかんない」

「給金を上げる」

「いらない」

「副監の席も空ける」

「いらない」

「待遇は保証する」

「興味ない」


 天青が深く息を吐く。

「なぜ?」

 ユイは少しだけ考えた。

 そして。

 当たり前のように答える。

「姫様のそばの方が楽しいから」

 沈黙。

「あたしと結婚してしてくれるんならちょっとは考えてあげようかと思ったけど、そうじゃないんなら、姫様のところに戻る」 

 鸞が思わず吹き出した。

 シキが小さくため息をつく。

 アレクシスは少し笑った。

「姫様は放っておくと自分を犠牲にしようとするし」

「陛下は監獄を攻略しちゃうし」

「シキ様は面倒くさいし」

「毎日事件ばっかりだし」

 うふふ、と童顔の侍女は満面の笑みを浮かべる。

「全然退屈しない」

 天青がぼそりと言う。

「それは、楽しそう、というより、胃が痛そうだな」

「まあね」

 ユイは笑った。

「総監」

 天青がアレクシスに視線を向ける。

「借りは忘れない」

 天青は笑った。

「せいぜい生き延びてください」


 ユイは一度だけ呼ぶ。

「天青」

 男の肩が揺れた。

「あんたも、死なない程度には生き残ってなさいよ」

 しばらくして。

 天青は笑った。

 ユイはもう振り返らなかった。

 四人は地下水路へ飛び込む。

 冷たい水音。

 遠く。

 出口の先に夜明けの光が見えた。


ここまで読んでいただきありがとうございます。

バテレノア監獄編、ひとまず決着です。

今回初登場の天青は、真面目で理性的で胃痛持ちの苦労人でした。

そして、

「僕が見逃した脱獄囚は二人だけです」

一人目は縫天婆。

二人目はアレクシス。

どちらも閉じ込めておくには危険すぎる人物だった、ということですね。

ユイと天青の関係も少しだけ描けました。

本人たちは相変わらずですが、たぶん一番面倒なのは周囲です。

さて、監獄を抜けた四人が向かう先はひとつ。

ラゴウのもとへ。

月蝕まで、あとわずかです。

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