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第105話 結紐をめぐって

 

 地下水路を駆ける。

 冷たい水が足元で跳ねた。

 先頭を行くシキの背を見て、ユイがふと首を傾げた。

「あれ?」

「なんだ」

「珍しいですね」

 ユイは目を細める。

「シキ様が髪を結ってる」

 黒衣の背に流れる長い黒髪。

 その中に細い朱色の紐が編み込まれていた。

 闇の中でもよく目立つ。

「黒に朱って映えますねぇ」

 ユイが感心したように言う。

「誰が結ったんです?」

 シキは平然と答えた。

「ラゴウだ」

 沈黙。

 アレクシスの眉がぴくりと動いた。

 ほんの一瞬だ。

 シキは気づいた。

 もちろん気づいている。

 だから続ける。

「旅の無事を祈るまじないらしい」

「自分の結紐を編み込んだ」

 さらに沈黙。

 アレクの視線が鮮やかな朱色の紐へ向く。

 見覚えがあった。

 ラゴウがいつも髪を束ねていたものだ。

 ユイが顔を覆う。

(あーあ)

 完全にわざとだ。

 シキはちらりとアレクを一瞥する。

「ラゴウの紐だ」

 追い打ちだった。

「むしり取ってやりたい気分だが」

 水路を駆けながら、アレクシスがシキの横に並ぶ。

「気に入らないか」

「気に入らないな」

 シキがすっぱりと言う。

「度量が小さい」

 アレクが笑う。

「心が狭いのは元々だ」

「ふん?」

「ラゴウのまわりにわたし以外の男はいらぬ」

「呆れ果てた独占欲だ」

 鸞が声をあげた。

「お前ら何やってんだよ?」

 シキはさらに追撃する。

「ラゴウは、おまえの銀髪が好みらしい」

 アレクが眉を上げる。

「月の光を集めたようで綺麗だと言っていた」

「目も」

「顔も」

「身体も好みだと」

 ユイが肩を震わせた。

 完全に煽っている。

 アレクはしばらく黙っていた。

 やがて静かに言う。

「そうか」

 そして。

 シキの髪に編み込まれた結紐を見る。

「おまえは」

 穏やかな声だった。

「ラゴウが髪を結った男だ」

 シキが目を細める。

 アレクは続けた。

「それは認めよう」

 一拍。

 そして微笑む。

「だが」

「ラゴウが寝る男は、わたしだ」

 沈黙。

 ユイが天を仰ぐ。

「あーあ」

 やった。

 完全にやった。

 シキの気配が凍る。

 その時だった。

 背後から怒号が響く。

「いたぞ!」

「逃がすな!」

 追手だった。

 松明を掲げた兵士たちが地下水路へなだれ込んでくる。

 シキが振り返る。

 刀が閃く。

 先頭の兵士が吹き飛んだ。

 二人目。

 三人目。

 四人目。

 明らかに機嫌が悪い。

 ランが呟く。

「おとなげねぇ……」

「黙れ」

 怖い。

 怖すぎる。

 アレクシスは少し笑った。

「らしくもなく不機嫌だな」

 さらに兵士が吹き飛ぶ。

「殺すぞ」

「追手をか?」

「おまえをだ」

 次の瞬間。

 今度はアレクが前へ出た。

 兵士の槍を叩き落とす。

 肘を折る。

 蹴り飛ばす。

 どぼん、と水音。

 必要以上だった。

 明らかに必要以上だった。

 鸞が顔を引きつらせる。

 シキが鼻を鳴らした。

「十三のラゴウに気づかなかったくせに」

 沈黙。

 アレクの動きが止まる。

 一瞬だけ。

 本当に一瞬だけ。

 シキは容赦しない。

「正妃候補の王女の名前も覚えていなかったらしいな」

 兵士を斬り飛ばしながら続ける。

「おまえと初めて会った日の夜」

「ラゴウはおれのところへ来て散々憤慨していたぞ」


 ――『名前も覚えてなかった!』

『失礼だろ!』

『なんなんだあいつ!』


 まだ幼さ残るラゴウの声が蘇る。

 シキは嗤う。

「怒っていたな」

「珍しく」

 アレクは黙っていた。

「それでも次の日には性懲りもなくまたおまえに会いに行った」

「その次も」

「その次もだ」

 シキの声が低くなる。

「火事の日も」

「おまえを背負った」

「死にかけていたのはラゴウの方だった」

 地下水路に水音だけが響く。

 そして。

 最後の一撃。

「それなのに」

「おまえは気づかなかった」

 沈黙。

 アレクは反論しない。

 できなかった。

 図星だった。

 ユイが怯えた声音でつぶやく。

「シキ様・・・急所をめった刺しにしてます・・・」

 次の瞬間。

 追手の兵士が飛び込んでくる。

「いたぞ!」

 槍が突き出された。

 アレクは無言だった。

 ただ。

 剣が閃く。

 兵士の槍が折れる。

 続けて腹へ蹴り。

 男が壁へ叩きつけられた。

 さらに二人目。

 三人目。

 必要以上に。

 明らかに必要以上に。

 鸞が顔を引きつらせる。

「今の絶対八つ当たりだろ」

 兵士が襲いかかる。

 アレクは無言で剣を振るった。

 男が吹き飛ぶ。

 壁へ叩きつけられる。

 やはり必要以上だった。

 ユイが小声で言う。

「陛下も機嫌悪いですねぇ」

「別に悪くない」

 五人目が沈む。

「悪いですって」

「悪くない」

 六人目。

 水路へ落下。

 鸞は思った。

(どっちもおとなげねぇ・・・)

 やがて。

 アレクは前を向いたまま言った。

「その件については」

「反論できない」

 シキが眉を上げる。

 アレクは続ける。

「だから今度は間違えない」

 青灰の瞳が闇の先を見る。

「二度と」

 沈黙。

 今度はシキも何も言わなかった。

 ただ。

 少しだけ口元を緩める。

 鸞は頭を抱えた。

「なんなんだお前ら……」

 ユイも深く頷く。

「ほんとそれ」

 地下水路には、水音と追手の悲鳴だけが響いていた。


第105話「結紐をめぐって」でした。

脱獄中なのに、なぜか結紐をめぐって張り合う二人です。

アレクは嫉妬深いし、シキは性格が悪い。

結果として地下水路で追手を倒しながら口喧嘩することになりました。

そして今回、一番の被害者はたぶん鸞です。

羊を飼って平和に暮らす人生設計だったはずが、気づけば王様の脱獄に巻き込まれています。

頑張れ、鸞。

作者は応援しています。

次回、地下水路の先へ。


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