第104話 月蝕までに
アレクシスは立ち上がる。
「今夜しかない」
静かな声だった。
「行くぞ」
その瞬間、鸞は固まった。
「・・・俺も?」
アレクシスが振り返る。
「来るか?」
軽い声だった。
鸞は顔をしかめた。
来るか、ではない。
普通に考えれば、行かない方がいいに決まってる。
この監獄の雑役は、危険ではあるが給金は悪くない。
食事も出る。
寝る場所もある。
数年働けば、フェルンに戻って小さな家くらいは借りられるかもしれない。
真面目に働く。
金を貯める。
普通に暮らす。
どう考えても、それが一番まっとうな人生設計だった。
それなのに。
目の前の男は、水牢に入れられながら監獄を壊しかけた王である。
ついていけば、ろくなことにならない。
絶対に。
鸞は長い沈黙のあと、低く言った。
「・・・正気かよ」
「わたしが?」
「俺がだよ」
アレクシスは少し笑った。
「それで?」
鸞は舌打ちした。
「行く」
言ってしまった。
自分でも信じられなかった。
アレクシスは当然のように頷く。
鸞は、ぽつりと言う。
「なあ」
アレクシスは視線を向ける。
「なんだ」
「おまえ、本当に出られるつもりだったのか」
沈黙。
アレクは当然のように答えた。
「出る」
鸞が顔をしかめる。
「その自信はどこから来るんだよ」
アレクは石壁へ視線を向けた。
そこには、いつの間に描いたのか、監獄の簡単な見取り図が刻まれている。
「見回りの周期」
「鍵の管理」
「看守の配置」
「全部調べた」
「それだけじゃねえよ」
鸞は言った。
「外だ」
「出た後どうする」
アレクシスは少しだけ笑った。
「その準備も終わっている」
ユイが眉をひそめる。
「終わってるって」
「どうやって?ここ、牢の中ですよ?」
アレクは肩をすくめた。
「伝言を出した」
「は?」
「三度」
鸞が思い出す。
確かに。
洗濯場へ運ばれる古い帳簿の切れ端。
食器の底。
囚人同士の伝言。
何度か妙な依頼をされた。
でも、
どれも意味不明だった。
『月が欠ける夜に北門を見る』
『白鷹は東へ飛ぶ』
『七日』
それだけだ。
ユイが首を傾げる。
「意味分かりませんけど」
「分からなくていい」
アレクは平然と言う。
「ルシアンなら分かる」
鸞はぞっとした。
牢に閉じ込められてひと月。
外部との接触はほとんどない。
それでも。
この男はもう外の盤面まで動かしている。
「おまえ」
思わず口から出た。
「本当に王なのか」
アレクは眉を上げる。
「今さら何を言っている」
「いや」
鸞は頭を抱えた。
「盗賊の親玉とかの間違いじゃないかと思って」
◇ ◇ ◇
夜半。
地下水路へ向かう準備を終えた頃だった。
鸞がふと聞いた。
「なあ」
アレクシスが顔を上げる。
「なんだ」
「おまえ、本当に七日で出るつもりだったのか」
「そうだ」
即答だった。
「なぜ七日だ」
アレクは少しだけ黙った。
そして答える。
「月蝕までに草原に忍び込むには、逆算するとあと七日で監獄を攻略する必要があると判断したからだ」
ユイが首を傾げる。
「月蝕?」
「次の月蝕の日が、ラゴウの本来の生誕日だ」
沈黙。
鸞は思わず聞き返した。
「なんでそんなことが分かる」
「調べた」
当然のような口調だった。
「草原暦とレザリア暦を照合した」
「ジョカ族の記録も読んだ」
「月蝕周期も計算した」
鸞は絶句した。
牢の中でやることじゃない。
ユイも額を押さえる。
「陛下」
「なんだ」
「監獄生活の過ごし方を根本的に間違っていると思います」
「暇だった」
反省の色はない。
シキが深いため息をついた。
「気持ち悪いな」
アレクが視線を向ける。
「何がだ」
「そこまで調べる男は普通いない」
「そうか?」
「普通は牢の出口を探す」
シキは吐き捨てた。
「おまえは牢の中で暦を計算して、女の誕生日を探っている」
「なんなんだそれ・・・」
鸞は呆れ果てた声をあげる。
アレクは少しだけ考えた。
だが答えは最初から決まっていた。
「必要だった」
「なぜ」
シキの問いに、アレクは迷わない。
「ラゴウだからだ」
沈黙が落ちた。
鸞は頭を抱えた。
ユイは遠い目をした。
シキは目を閉じる。
――やはり災害だな。
王である前に。
この男はひとりの女に狂っている。
やがてシキが聞いた。
「それで」
「月蝕までに何をするつもりだった」
アレクは立ち上がる。
自由になった手首を握りしめた。
「決まっている」
青灰の瞳が闇の先を見据える。
「ラゴウを取り戻す」
そして。
「メフィストを止める」
「カヨウを止める」
「戦を終わらせる」
沈黙。
アレクは笑った。
「全部だ」
◇ ◇ ◇
見回りの看守が独房へ近づく。
鍵穴が鳴る。
扉が開く。
次の瞬間だった。
シキの腕が伸びる。
看守の口を塞ぐ。
喉を打つ。
床へ叩き伏せる。
わずか一息。
看守は気絶していた。
「相変わらず人間技じゃないです、シキ様」
「褒め言葉か」
「化け物って意味ですよぉ」
鍵束を奪い、牢を出る。
四人は廊下を駆けた。
だが。
カン。
カン。
カン。
警鐘が鳴り響く。
「なんでこんなに早く見つかるんだよ!」
鸞が舌打ちした。
「話が違うぞ!」
「俺はなぁ!」
息を切らしながら叫ぶ。
「あと三年ここで働いて金貯めて!」
「フェルンで羊二十頭飼って!」
「小さい家建てる予定だったんだぞ!」
「知らん」
アレクが即答した。
「ちょっとは人の人生気にしろよ!来るかって誘ったのそっちだろ!?」
その直後だった。
別棟から怒号が響く。
さらに悲鳴。
金属音。
火災を知らせる鐘。
監獄中が騒然となった。
アレクシスがユイを見る。
「何をした」
「挨拶回りです」
「具体的には」
ユイは指を折った。
「まず、副監派の囚人に、『監獄長が反乱分子を皆殺しにする気らしい』って教えました」
「それから?」
「監獄長派には、『副監が脱獄騒ぎに乗じて失脚させるつもりらしい』って」
鸞が顔を引きつらせる。
「おたく、最低な女だな」
「おだまり少年」
軽く鸞を一蹴して、ユイはさらに続けた。
「あと食堂棟で、『今日の夕飯が減ったのは総監のせい』って言いました」
「それは嘘だろ」
「でもおもしろいでしょ?」
「おもしろい?」
アレクが額を押さえる。
「火事は」
「倉庫で看守と囚人が喧嘩してたので、ついでに油樽を倒しました」
沈黙。
鸞が言う。
「やっぱ最悪な女じゃねえか」
第104話でした。
監獄編、ようやく脱獄開始です。
アレクは牢の中でも相変わらずアレクでした。
普通なら脱獄経路を考えるところですが、この男は暦を計算し、ラゴウの誕生日を割り出し、外の盤面まで動かしています。
シキの評価は「災害」。
作者としてもだいたい同意です。
そして今回から本格参戦した鸞。
羊二十頭と小さな家を夢見る、ごく普通の青年です。
なぜか化け物たちに巻き込まれています。
次回、地下水路を抜けて監獄脱出へ。
果たして本当に無事に出られるのか。
引き続きお付き合いいただけたら嬉しいです。




