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第103話 迎えに行く

 

 アレクシスが収監されている独房は、監獄の最下層にあった。

 湿った石壁。

 鉄格子。

 昼も夜も分からない薄闇。

 黒衣の戦士は、壁にもたれて腕を組んでいる。

「で」

 ユイが腰に手を当てた。

「脱獄の算段はできたんですか?」

 アレクは顔を上げた。

 痩せていた。

 頬はこけ、髭も伸びている。

 それでも青灰の目は挑むような光を秘めている。

「そっちが勝手にわたしを回収しに来たんだろう。まさか無計画なのか」

「お迎えにきたのに、陛下ってば可愛げの欠片もありませんね」

「頼んでないぞ」

「嫌味を言う体力は残っているようだな」

 隣でシキが言った。

「無事そうで何よりだ」

「・・・」

 アレクはわずかに口元を緩める。

「おまえが、わたしを、助けに来たのか」

 シキの不機嫌さを面白がるように、アレクシスは言う。

「監獄のほうを助けにきたのだ」

 ふ、と王は笑った。

 そして、聞いた。

「・・・ラゴウは」

 久しぶりに声に出した名だった。

 いつも。

 いつも。

 いつも。

 心の中では呼んでいた。

 祈るように。

 縋るように。

 だが声にしたのは久しぶりだった。

 ユイは即答する。

「お元気です」

 アレクの肩からわずかに力が抜けた。

「ほんとは姫様もすぐにでも監獄まで飛び出して来たかったんでしょうけど」

「とめた」

 シキが言う。

 アレクは眉をひそめる。

「雨季明けだ」

 意味が分からない。

「どういうことだ」

 シキは少しだけ黙った。

 話すべきか迷うように。

 だがやがて口を開く。

「ラゴウは毎年この時期に体調を崩す」

「・・・なぜ」

「体内の火気が暴れる」

「火気?」

「五年前の火事の傷が原因だ」

 アレクの目が細くなる。

 五年前。

 十九だった。

 初めて草原を訪れた年だ。

 まだ父王は健在だったが、継母から疎んじられ、王位継承争いが露骨だった頃。

 あの夜。

 炎が上がった。

 天幕が燃えた。

 逃げ惑う人々。

 煙。

 熱。

 焼け落ちる柱。

 そして――。

『歩けるか!?』

 少年の声だった。

 雨季の頃に、雨宿りしていた天幕で偶然出会った。

 少年はそれからたびたび会いに来た。

 雨に降りこめられて、ふたりで乳茶を呑みながら、少年から草原の話を聞いた。

 最初は、ちょうどいい退屈しのぎの話し相手だと思っていた。

 そのうち、会いに来ない日をなんとなく物足りなく感じるようになった。

『運んでやるから、つかまれ!』

 冷静で。

 妙に落ち着いていて。

 あの状況では不釣り合いなほど静かな声。

 煤に汚れた顔。

 風に揺れる赤い短髪。

 まだ幼さの残る横顔。

 あの少年が、毒酒で朦朧としていた自分を背負って炎の中から連れ出した。

 そして目覚めたのは数日後のことで、少年の行方を聞いたが誰も知らなかった。


 あれが事故ではなく。

 レザリア王妃が放った刺客による放火だったことを後になって知った。


 継母は自らの息子を王にしたかった。

 だから皇太子だった自分を殺そうとした。

 遠く離れた草原で。

 誰にも気付かれないように。

 だが失敗した。

 あの少年がいたから。

「ラゴウは天幕で倒れていた男を助けた」

 シキが言う。

「そのとき背中を焼いた」

 アレクの心臓が跳ねる。

「・・・やけどを?」

「傷は残らなかった」

「だが火気だけが体内に残った」

 シキは続ける。

「ラゴウは凶星の重なりのもとに生まれたことにされていたが、実際の予言は違う」

 シキは遠い昔を思い出すように言った。

「草原の天文官は、ラゴウの星を『業火の宿命』と読んだ」

「ジョカの王女はダッキの業火に焼かれて死ぬ――そう予言された」

「業火?」

「草原で火は特別なものだ」

 シキは続ける。

「火は命を育て、闇を払い、導く」

「だが同時に、すべてを焼き尽くす」

「火の象意は情だ」

「人を愛し」

「人を守り」

「人のために己を焼く」

「ラゴウはそういう女だ」

 静かな声だった。だがその言葉は妙に重い。

「火事のあと、ラゴウは高熱を出した」

「生死をさまよったが、生き残った」

「それ以来だ」

「季節が巡るたび、体内の火気が暴れて、体調を崩す」


 アレクシスは沈黙する。

 思い出していた。

 五年前。

 火事のあと。

 側近たちに運ばれる自分の視界に映ったものを。

 少年の背中。

 衣の裂け目。

 赤く爛れた皮膚。

 あのとき、一瞬だけ、目が合ったような気がする。

 それまで気にも止めなかった。

 少年がどんな色の瞳をしているかなど。

 明るく澄んだ、金色の、瞳。

 あれは――。

「・・・まさか」

 小さく呟く。

 シキは何も言わない。

 否定もしない。

 ただ黙っている。

 アレクは顔を上げた。

「シキ」

「何だ」

「あのときの少年は――」

 最後まで言えなかった。

 シキは答えない。

 ――教えてやるのも、癪だ。

 沈黙。

 だが。

 それで十分だった。

 胸の奥で。

 長いあいだ探し続けていた答えが、静かに形を結ぶ。

 ユイが怪訝そうに二人を見る。

「何の話です?」

「いや」

 アレクは首を振った。

 今はいい。

 今はそれより。

 ただ、会いたい、と思った。

 確かめたかった。

 この手で。

 この目で。

 ラゴウに。

 会いたかった。



 牢の隅で黙っていた鸞が口を開いた。

「感動の再会は終わったか」

 アレクシスは少年を一瞥し、シキとユイに向き直った。

「ラン、だ」

「監獄で借りを作った」

 シキが眉をひそめる。

「借り?」

「飯を運んでくれた」

「情報を集めてもらった」

 アレクシスは淡々と言う。

「だから友人だ」

 鸞が顔をしかめた。

「勝手に決めるな」

 だが。

 否定はしなかった。

 アレクは苦笑する。

「・・・で、出口はあるのか」

 鸞は頷いた。

「地下水路だ」

「監獄の真下を流れている」

「雨季には増水する」

「街の外まで繋がっている」

 ユイが眉をひそめた。

「それだけで出られるなら苦労しないでしょ」

「その通りだ」

 アレクシスが言った。

 三人が視線を向ける。

 アレクは石壁に描いた簡単な見取り図を指差した。

 いつの間にか、監獄の構造が書き込まれている。

「見回りは四刻ごとじゃない」

「三刻半だ」

「夜番の交代は南棟から始まる」

「だから北棟が一番手薄になる」

 ユイが目を細める。

「調べたんですか、それ、ぜんぶ?」

「暇だったからな」

「食事の時間」

「足音」

「鍵の音」

「全部数えた」

 シキが鼻を鳴らした。

「ずいぶんと泥臭く頭が回る」

 皮肉めいた声音で。

「盗賊の頭目のほうが向いているんじゃないか」

「悪いか」

 即答。

 ばちり。

 見えない火花が散る。

 ユイは頭を抱えた。

(なんでこの二人、会うたびに喧嘩ごしなのかなぁ・・・)

 アレクは構わず続ける。

「地下水路に出る鉄格子は普段は開かない」

「だが今夜は違う」

 鸞が顔を上げた。

「どうして分かる」

「雨だ」

 短く答える。

「湿度が上がっている」

「風向きも変わった」

「気圧も落ちている」

 青灰の瞳が細まる。

「今頃、山は降っているはずだ」

 鸞が笑った。

「正解だ」

 フェルンの人間だ。

 山の天気には詳しい。

 アレクシスは立ち上がる。

 自由になった手首を一度だけ握り。

 言った。

「今夜しかない」

 静かな声だった。

 だが迷いはない。

「行くぞ」

 沈黙。

 シキとユイが顔を見合わせる。

 そしてユイが肩をすくめた。

「あー。これですこれ」

「・・・なんだ」

 嫌そうな声でシキが聞く。

「こういう時の陛下が一番面倒なんですよ」

「絶対止まらないんで」


第103話でした。

今回は、「五年前の火事」と「あの日の少年」の答え合わせ回です。

一方でシキは相変わらずです。

知っていても教えない。

教えてやるのも癪だから。

大人げないですね。

そして脱獄編もいよいよ終盤。

監獄を出たアレクが向かう先はひとつです。

次回もお付き合いいただければ嬉しいです。

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