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第101話 回収という任務

 

 草原監獄の夜は長い。

 アレクシスは水牢の石壁にもたれていた。

 眠っているように見える。

 だが。

 頭は休んでいない。

 通気孔。

 看守交代。

 巡回経路。

 足音の重さ。

 鍵束の位置。

 監獄長の性格。

 副監の癖。

 すべて記憶していた。

 牢に入れられた瞬間から。

 どう出るかを考えていた。

(東棟の看守は六人)

(夜明け前に三人)

(武器は槍)

(馬は南門)

(問題は鎖か)

 青灰の瞳が静かに開く。

 両手首。

 足首。

 草原特有の拘束具。

 重い。

 だが絶対ではない。

 あと七日。

 順調なら五日。

 その頃には出る。

 そう計算していた。


 その時だった。

 遠くで怒鳴り声が響く。

「どきなさい!!」

 監獄が静まった。

 看守たちが凍る。

 アレクシスは目を閉じた。

 聞き覚えがある。

 嫌な予感がする。

「どこの馬鹿どもが、姫様の男を牢につないだわけ?」

 悲鳴。

 何かが倒れる音。

「ち、違いますユイ様!!」

「あたしの階級を言ってごらん!」

 さらに大きな怒声。

「第一獄吏のバテレノア監獄の副監です!!」

 アレクシスは額を押さえた。

(来たか)

 数分後。

 鉄扉が勢いよく開く。

 ばんっ!

 そこに立っていたのは、童顔で小柄な少女だった。

 赤い外套。

 栗色の髪。

 そして。

 監獄中の看守たちが恐れる女。

 ユイ。

 元・バテレノア監獄の第一獄吏。

 かつて監獄の治安維持を一手に担っていた女である。

 強いから怖いのではない。

 人格に問題があるから怖い。

 看守たちは皆知っていた。

 殺される方がまだましだ。

 ユイに尋問される方が怖い。

「なつかしーい」

 声だけは妙に明るい。

 だが。

 空気が凍る。

「水牢って過酷な刑なんだよねぇ」

 数人の看守が後ずさった。

「あのさあ」

 目が合った若い看守の顔を、おもしろがるようにのぞき込む。

「だれの許可を得て、レザリア王を水に浸けてんの?あ?」

「い、いえ・・・その、も、もうしわけ・・・」

 怯えて声がうわずっている。

 気に入らないことがあった時のかつての女獄吏の苛烈極まる横暴さは聞いている。

 もはや伝説と化している。

 命が惜しければ、彼女の逆鱗には絶対に触れてはならない。

 それはバテレノア監獄の看守たちの暗黙の了解だ。

 ユイは、鎖につながれたアレクシスを見た。

 数秒。

 沈黙。

 それから。

 にっこり笑った。

「うわぁ」

 嫌な笑顔だった。

「思ったより元気そうですね」

 アレクシスはため息を吐く。

「帰れ」

「ひどい」

「何しに来た」

「お迎えです」

「断る」

 即答だった。

 ユイは頭を抱えた。

「もおぉ、なんでですか!」

「あと七日で終わる」

「何がです」

「監獄だ」

 看守たちの顔色が変わる。

 アレクシスは平然としていた。

「もう盤面は整っている」

「整えないでください!」

「監獄長はあと三日」

「副監は五日」

「看守長は――」

「だからやめろって言ってるんですよ!」

 ユイが叫ぶ。

 アレクシスは肩をすくめた。

「おまえは邪魔だな」

「光栄です」

「久しぶりに本気で邪魔だ」

「ありがとうございます」

 全然褒めていない。

 うふふ、と笑って、ユイは鉄格子にもたれた。

「おまえの最大の問題点は、その人格だな」

「陛下」

「なんだ」

「お言葉ですけど」

 にっこり。

「そのお言葉、そのままそっくり陛下にお返しします」

 沈黙。

 ユイは振り返る。

 看守たちが震える。

「鍵は?」

 誰も動かない。

 ユイの笑顔が深くなる。

「あれぇ?」

「まさか」

「あたしに二度言わせる気?」

 看守長の顔から血の気が引いた。

 かつて。

 彼らは知っている。

 この女が笑いながら何をするか。

 知っている。

「すぐにお持ちします!」

 数秒後。

 じゃらり。

 鎖が落ちる。

 アレクシスは自由になった手首を見つめる。

「脱出計画が無駄になったな」

 ぽつりと呟く。


 その時だった。

 廊下の奥から足音が響いた。

 静かで。

 規則正しく。

 無駄がない。

 ユイが振り返る。

「あ」

 アレクシスも気づいた。

 聞き覚えのある足音だった。

 やがて。

 黒衣の男が姿を現す。

 黒髪。

 眼帯。

 長身。

 鉄格子の前で立ち止まる。

 沈黙。

 数秒。

 先に口を開いたのはシキだった。

「思ったより元気そうだな」

 アレクシスが笑う。

「監獄の方を先に潰す予定だったが」

「そうだろうな」

 シキは深いため息をついた。

 心底面倒そうに。

「だから迎えに来た」

 そして。

 感情を殺した声で続ける。

「おまえを回収する」

「レザリアまで送り届けてやる」

 アレクシスが、ふ、と笑う。

「不本意そうだな」

「そう見えるなら結構だ」

 その瞬間。

 ふと。

 草原の王庭を出発した朝のことを思い出した。


 ◇ ◇ ◇


 ――バテレノア監獄へ向かう、とシキが告げた。

 目的は自明だった。

 一緒に行く、という言葉が、喉元まで出かかった。

「だめだ」

 先を制するように、シキは断言した。

 そして。

 少しだけ声音を低くする。

「おまえは来るな」

「なぜ」

「雨季の後は毎年体調を崩していただろう」

 ラゴウが顔をしかめる。

 図星だった。

「それに今年は違う」

 シキは王庭の外を見る。

 遠くの草原。

「洪水の爪痕はまだ残っている」

「北の放牧地で羊が倒れ始めている。疫病が流行する兆した」

「雨季で地盤が緩んで崩落がある。集落や放牧地の被害報告があがっている」

 ラゴウの表情が変わる。

 それは放置できない。

「おまえにはおまえの役割がある」

 風が吹く。

 冬の始まる匂いがした。

「だから」

 シキは荷を馬の蔵に乗せた。

「面倒な男の回収は、こちらでやる」


第101話でした。

監獄編に入ってからずっと不穏な空気が続いていましたが、今回は久しぶりに少しコメディ寄りです。

ユイはもともと草原最大の監獄「バテレノア監獄」の元・第一獄吏(副監)です。

看守たちがあそこまで怯えているのは、強いからではありません。

人格に問題があるからです。

一方のアレクシス。

水牢に放り込まれて一か月。

普通なら衰弱するか絶望するかですが、この男は監獄を内部から崩壊させる計画を立てていました。

そして最後に登場したシキ。

ラゴウを愛する男たちの中で、たぶん一番アレクシスを高く評価していて、一番嫌っています。

だからこそ、自分で回収に来ました。

草原最強の戦士とレザリア王。

相性は最悪です。

次回もお楽しみください。

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