第三章 魔女の覚醒
『我等を呼ぶは誰ぞ?』
「っ!!」
遥香が言葉に詰まる。
その横で、御堂が毅然とした声音で答えた。
「私ですよ。“魔女”の紳士淑女方」
「!魔女!?」
レインが驚きの声を上げた。
「……」
遥香は静かに彼等を---“魔女”を見据えていた。
* * *
『何用だ、御堂亞雲英。我等をわざわざこちらに呼び寄せるなど…正気か?』
静かな水面を思わせる、月光の様な銀髪を一つに結んだ、滅紫色の瞳の青年--エヴェンが口を開いた。
「私は至って正気ですよ?」
御堂がにこやかに答えたが、その瞳は全く笑っていない。
その場にいる誰もが、それを痛いほど理解していた。
『何を怒っていますの?まったく。貴方はお子様なのね』
豊かにカールした金髪が印象的な、桜桃色の瞳の女性が少し馬鹿にするように言った。
「そりゃあ怒りますよ、レディ……私に何の相談もなく勝手に動かれては!」
『亞雲英、そんなに怒らないでよー。反省してるからさ!!』
どことなくレインに似た、肩にかかる金髪と蒼玉色の瞳を持つ青年――フランシスが陽気に笑う。
「全く反省の色が見られませんが。フランシス」
御堂が冷たく青年に言い放つ。
荘厳な雰囲気などどこへやら、あまりにフランクなやり取りに、大人しく聞いていた遥香とレインは幼稚な言い争いに辟易し始め、レインが遥香に言った。
「この人達、“魔女”なんだよね?」
「ああ。私の夢の“奴等”の筈だ」
遥香もレインに頷き答える。
「レイン。いい加減このくだらない争いに終止符を打ちたいんだが…うるさいのは嫌いだ」
「そうだね。そろそろ止めてくれないかな、みんな」
遥香とレインが痺れを切らして溢す。
すると。
『--だまれ』
突然、静かでありながら威厳に満ちた声が部屋に響き渡った。
その瞬間、部屋が水を打ったように静まりかえり、重い沈黙が降りる。
気圧されるように、蒼玉色の瞳の青年――フランシスがおずおずと口を開いた。
『や、ヤガミ・・・』
その呼びかけに応じるように、魔女たちが左右へと恭しく退く。
そこに姿を現したのは、“紅い目”をした長い黒髪の―--―遥香に瓜二つの青年だった。
「あれっ?遥香が二人いる!?」
『「馬鹿か、お前は」』
声を上げるレインに対し、遥香と青年――ヤガミが完璧なタイミングで同時に突っ込んだ。
『う~ん、やっぱり似てるだけあってつっこむのも同時か~』
フランシスが声を弾ませて言った。
『うるさい、フランシス。私は騒がしいのが一番嫌いなんだ』
『はは!それってさっき遥香が言ってたのと同じ台詞じゃないか』
『だまれ!』
肩を竦め、フランシスはようやく黙り込んだ。
小さく溜息を吐き、ヤガミは遥香とレインに向き直った。
『我が名はヤガミ。今よりおよそ四百年前、この世の厄災を封印した、魔女だ』
「厄災を、封印した…?」
呟く遥香に、ヤガミが静かに頷いた。
『お前達、サタンとは何か、知っているか?』
「ああ。キリスト教やカトリック教などに出てくる、悪魔を従える統率者の事だ」
遥香が答える。
『サタンとは、まさしくその通り。悪魔の中の悪魔……“魔王”とでも呼んでおこうか』
「…それを、貴方が封印したって事ですか?」
『正しくは「僕ら」で、だけどね』
レインの問いに、フランシスがひょいと答える。
遥香は顎に手を当て思案し、やがて口を開いた。
「サタンを封印するなんて事は、不可能ではないのか?」
「サタンは悪魔の中の悪魔。それに、この世の終焉まで悪魔は有り続けると教典にだって書いてある」
遥香の言葉に、ヤガミはきょとんとした後、くつくつと笑った。
『フッ、まあ確かに世に広まる教典にはそう書いてあるだろうな』
『だが』
ヤガミの瞳の色が変わる。
『私が言ったのは、その“サタン”ではない。サタンの申し子「アルフェン」の事を言っている』
「アルフェン……?」
遥香とレインが同時に尋ねる。
それに、フランシスが答えた。
『…うん。アルフェンは絶大な魔力を持つ、魔術師なんだ。』
フランシスの言葉に、遥香とレインが頷く。
『アルフェンは、当時の権力者達を操り、魔女や罪のない人間を殺させた、魔女狩りの張本人なんだ』
フランシスは続けた。
『歴史上では、当時の権力者や教会が、異教徒や自然主義者、異端の力……魔力や霊力を持つ人を大量虐殺したと語られているけれど、本当はそうじゃないんー』
『全ては悪魔の申し子、アルフェンが国王を通して人々を操り、我々魔女を絶滅に追い込んだ』
緑玉色の瞳に眼鏡をかけ、肩にかかる茶髪の青年が、フランシスの言葉を遮るように、説明した。
フランシスは頬を膨らませ、じとっとその青年を睨み、抗議した。
『なんだよエドワード…………僕が言おうとしたってのに、横取り?』
『貴方の話じゃ先が長くなりますからね。手助けしてさしあげました』
『そういうのって、ありがた迷惑って言うんだよ!』
しれっと言い放つエドワードにカチンときたフランシスが掴みかかろうとする。
遥香とレインは、冷ややかな目でその様子を見つめていた。
「ねえ、遥香。この人達って、遥香の夢に出てきたんだよね?」
「ああ、そのはずだ……こんなに騒がしくはなかった」
「って言うか、想像よりすごく……はっちゃけてる気がするんだけど」
「…確かにな」
二人がが呆れていると、
ーーゴンッ!
突然、重く鈍い音が響いた。
同時に「ヴッ!!」という短い呻き声。
フランシスとエドワードが綺麗に頭を抱えてその場に座り込んでいる。
そして、ふたりの上で拳を握ったまま、満面の笑みを浮かべる先ほどの桜桃色の瞳の女性が、優雅に口を開いた。
『二人ともお子様なんだから。喧嘩したってしょうがないでしょう?本筋に辿り着かないじゃありませんこと、お馬鹿さん達』
『『……アーシェ……』』
フランシスとエドワードは未だ頭を抱えながら仲良く、同時に呻いた。
アーシェ、と呼ばれた女性はクスっ、と笑ってヤガミへと視線を移した。
『この二人じゃ先に進みませんわ。貴方が言って』
『分かった』
ヤガミはアーシェに頷き、硬直している遥香とレインに向き直った。
『魔王・アルフェンは類い稀無き魔術を有す、英国王の第十三王子だった…』
『奴は、実の兄弟達を魔術で殺め、父国王を操り実権を得、我等魔女をこの世から消し、世界の枷を解き放ち、全てを手に入れようとした』
ヤガミが目を伏せる。
『…我等に封印され、その野望は一時的に阻止されたがな』
遥香が、訝しげに尋ねる。
「王子である奴が、何故世界など…」
『……』
暫しの沈黙後、ヤガミは続けた。
『アルフェンは我等によって一時的に封印された。だが----最近になって、何者かの手によって、奴の封印が解かれつつある。…これは一刻を争う事態だ。アルフェンが甦れば、世は再び惨劇を繰り返す……終わりの無い争いと、混沌の世が訪れるだろう』
ヤガミが遥香とレインを見据える。
『…そこで、お前達の力が必要なのだ。その血がもつ魔力を解放し……アルフェンを今度こそ、封印して欲しい』
「---断る」
間髪入れず即答した遥香に、一同の視線が集中した。
「何故私がその様な事をしなければならない?」
遥香は冷徹な声音で続ける。
「アルフェンだろうが、世界だろうが知ったことか。私には関係ないことだ」
ヤガミたちの表情が険しくなり、室内の空気が一気に重くなった。
レインが宥めるように遥香の手を掴んで言った。
「はっ、遥香!そんな事言わずにさぁ!世界の危機だよ?僕らがーー」
「簡単に言うなッ!!」
レインを遮るように、遥香が怒鳴った。レインは目を見張る。
「何が世界の危機だ…こんな世界など、いっそ滅んでしまえばいいんだ」
「遥香…!」
内側から溢れ出そうになる爆発的な感情。
抑え込もうと両腕を固く抱きしめ、遥香は悲痛に叫んだ。
「何故私が世界を守らなければならない……周囲から忌み嫌われ、虐げられ、私はここへ追われる様に流れ着いたんだぞ…!…何が魔女だ、末裔だ、satanic childrenだ……これ以上、私の人生を、狂わせないでくれっ!!」
「遥香ッ!!」
遥香が応接間を飛び出し、階段を駆け上がる。
その後を、レインが慌てて追いかけていった。
後に残された一同は、そろって嘆息した。
『…時間は無いと言っておりますのに、まったく……あのガキンチョ!!』
『アーシェ、遥香とレインは一日のうちに多くの真実を知りました。無理もなーー』
『あら、エドワード。そういう貴方こそ焦っているのではなくって?何度も眼鏡の鼻位置を調整しちゃって』
『そんな事はありません!』
『ハァ…また始まったか』
『何ですの(か)、エヴェン!』
言い争いを始めた二人と、止めに入った一人。
フランシスと御堂は苦笑した。
『あーあ、また始めちゃったよ』
「ふふ、いつもは貴方も加わっていますがね、フランシス」
フランシスがウッと短く呻き声を上げる。
そして、遥香達が出て行ったドアを見つめるヤガミに、声をかける。
『ねえ、ヤガミ。どうするの?』
「残された時間は少ない。……いかがなされますか、ヤガミ」
御堂も声をかける。
視線を二人へと戻し、ヤガミは重々しく口を開いた。
『……否も応もなく、前へ進まなければならない。』
『時が来れば嫌でも理解しなければいけないから……今のうちに悩むだけ、悩むがいい』
そして、ふたりに聞こえないように、ヤガミはポツリと呟いた。
『…世界は、ちゃんとお前の居場所を用意しているぞ。遥香』
* * *
空が、暗くなった。
冬の冷たい風とはまた別の、ぞっと身の毛もよだつような、不気味な気配。
――ドイツ南西部、シュヴァルツヴァルト。通称“黒い森”と呼ばれる、黒々とした木々がそびえる森の奥の、誰も知らない地下深く。
そこには、一つの石棺があった。
誰の物とも分からない石棺には、十字架と様々な紋章が施されている。
しかし――その十字架は無残にも二つに割られ、酷く損傷していた。
その石棺から、ぞわりと影が立ち上る。
影はだんだんと人型をなし、やがてスラリとした男の姿へと変わっていった。
眠るように瞼を閉じた、二十歳前後の端正な顔立ち。
月光を思わせる、銀色に輝く腰までの長い髪。
その男の瞼が、ゆっくりと開かれる。
突如――地上の周囲の森が、恐怖に悲鳴を上げるように、大きくざわめき揺れ動いた。
切れ長の二重瞼の下から現れた瞳……それは、血のように紅い瞳だった。
青年はうっそりと目を細めると、口元を愉悦の笑みに歪ませ、氷のような低い声を響かせた。
『…漸く封印が解かれ始めたか…………忌々しい魔女共め。今度こそ、世界を……美しき闇に染め上げてやろう』
ざわ、と森に強い風が吹いた。
風が治まると同時に、石棺の青年の姿は、跡形もなく消え失せていた。
* * *
暗い廊下を走る遥香を、レインは追いかけていた。
「ちょっと待って、遥香ッ!」
「うるさいっ、ほっといてくれ!」
遥香は階段を駆け上がり、自室へ飛び込むと、鍵を掛けて閉じこもった。
そして、扉の前で力なく座り込む。
すると、外からレインの呼ぶ声が聞こえてきた。
「遥香、開けて」
「…………」
「ねぇ、話しようよ」
「……」
「遥香ー」
「だから、うるさいって言ってるだろ!!」
ドン!
中から扉を激しく殴りつける音が響く。
レインは小さく溜息をつくと、同じように扉に背中をもたれかけさせ、その場に座り込んだ。
「…こういう時の遥香は、頭を冷まさせるに限る」
レインは苦笑して呟く。
遥香の頑固な性格を、彼は誰よりもよく理解していた。
* * *
レインが扉に背を預けて座り込んでいると、背後の扉が静かに開いた。
振り返ると、中から眉間に皺を寄せる遥香が顔だけをひょっこり覗かせていた。
「…入れ」
遥香はそれだけ言うと、部屋の中に引っ込んでしまった。
苦笑交じりに、レインが足を踏み入れる。
ちょうど遥香が、部屋の暗幕を開けているところだった。
遮るもののなくなった窓からは、夜空に浮かぶ冷たい満月が出迎える。
月光の眩しさに目を細めながら、レインは部屋の扉を閉めた。
遥香は壁際のベッドの端に腰掛け、向かい側にある椅子を顎で示した。
勧められるままに椅子に座ったレインに、遥香は静かに、気まずそうに口を開く。
「……さっきは、すまなかった」
レインが僅かに目を見開く。
遥香はボソボソと続けた。
「つい、カッとなってしまった…頭の中が一杯で、どうして良いか分からなかったんだ」
おずおずと見上げてくる遥香に、レインは小さく笑った。
「ううん、大丈夫。分かってるから」
「僕らはたった一日のうちに、たくさんの秘密を知りすぎてしまったみたいだしね」
レインは明るく、少しふざけたように続ける。
「いきなりあんな幽霊みたいな人達が現れるし、理事長も彼等と知り合いっぽくて色々知っていそうだし? ついていけなくて混乱するのは当然さ!」
レインはニッコリ微笑むと、
「ボクは何時でも、遥香の味方だよ」
と明るく答え、遥香の肩を優しく抱き寄せた。
レインの穏やかな表情を見て、遥香も目元の険しさが消え、わずかに笑い返す。
煩わしいと思いながらも、何だかんだと変わらず温かな言動を向けてくれるレイン。
遥香は、自分にとって彼が唯一無二の存在であると改めて自覚させられていた。
少年からの真っ直ぐな励ましは、高ぶった感情を鎮めるのに十分すぎるほどだった。
肩に回された手に、そっと自分の手を重ねる。
「…ありがとう」
小さく、呟いた。
* * *
――その頃。
一階の応接間では、御堂とヤガミ達が長机を囲み、深刻な顔で黙り込んでいた。
誰もが口を閉ざし、静かにヤガミを見つめる中、ヤガミは閉じていた目を開け、グルリと周りを見渡して重々しく口を開いた。
『……アルフェンが目覚めたかもしれない。奴の気配が、シュヴァルツヴァルトの森から確かに感じられた』
『ついにか……!』
ヤガミの言葉に、一同が息を呑み、緊張した空気が広がる。
これまで沈黙していたエヴェンが口を開いた。
『ヤガミ。我等の封印は強力なものだったはずだ。これを破るには相当の魔力を有する者でなければ不可能なはずだが……一体、誰の仕業だ?』
エヴェンの問いに、ヤガミは首を振る。
『全く見当がつかない』
「魔女は細々とですが、この数百年間で増えてきました。そういった者達の暴走ではありませんか?」
御堂の問いに、フランシスが首を傾げる。
『んー……どうなんだろうね』
エドワードも頷き、眼鏡を押し上げながら言った。
『とにかく、事態がこれ以上拡大する前に、遥香達には己の運命を受け入れ、立ち向かってもらう必要がある』
エドワードはヤガミを見た。
『そうでしょう? ヤガミ』
『ああ……』
全員の視線が集まる中、ヤガミは頷いた。
しかし、突如としてその顔をさらに険しく歪める。
ヤガミの変化に、その場に再び緊迫感が走った。
御堂が、堅い声音で尋ねる。
「ヤガミ、一体何が・・」
『…来る!』
ヤガミが椅子を蹴飛ばすようにして立ち上がり、全員に叫んだ。
『……アルフェンが来る!感じる。奴の気配がすぐ近くに…!』
ヤガミの言葉に、部屋全体が戦慄した。
口を開いたのは、御堂だ。
「ヤガミ、私は聖堂の生徒達の避難へ向かいます!」
「貴方がたは、遥香とレインをよろしくお願いします!」
『待て御堂!一人では危険だ!』
『私も行きますわ!』
『僕も!!』
『私も行く!』
部屋を飛び出して行った御堂を、エヴェンが追いかけ、それに連れ立って、アーシェとフランシス、エドワードも出て行った。
すれ違いざま、エドワードがヤガミに言い残す。
『ヤガミ!貴方は遥香とレインを!!』
『ああ、わかった!』
御堂たちの足音が遠ざかるのを確認すると、ヤガミは二階へと駆け上がっていった。
* * *
二階の遥香の部屋では、レインがなおも遥香に語りかけていた。
「ね、遥香。もう一度ヤガミの所へ行こう?」
「…でも」
「遥香、君の気持ちは僕もわかるよ。」
遥香の手を優しく握り、レインは続ける
「僕も君と同じように、身に覚えのない迫害を受けて、理事長に出会ってここに来た。正直、辛かった…けどね、今は違うんだ」
レインの目がスッ、と細められる。
「今はね、世界が憎いとかそれ以前に……大切なものが出来たんだ」
「……大切な、もの?」
遥香がレインを見る。
「うん、僕にとっては唯一無二の、大切な……」
そう言って遥香を見つめ、一度口を噤む。
そして、レインはまっすぐに続けた。
「…だから、その大切なものを守りたいから、僕はヤガミ達の言葉を信じてみようと思うんだ」
大切な、存在。
守りたいもの。
遥香は心の中で、レインの言葉を繰り返した。
大切な存在…守りたいもの。
レインはそれがあるから、理事長やあのヤガミとか言う奴等の言葉を信じると言った。
けど、自分はどうなんだろうか。
レインのように、守りたいものはあるか?
ーーー分からない。
そんなこと、考えたこともなかった。
自分には何も無かったから。
向けられる嫌悪と憎悪を前に、考える余裕などなかったから。自分は人とは違うからと、心を閉ざすしかなかった。
ドクン、と心臓が脈打つ。
「わたしはーーー」
「うん」
「私は、お前の様に大切なものがない…」
レインがきょとん、と遥香を見る。
「私には、最初から何も無いんだ」
「ハァ…」
レインがあからさまにため息を吐いた。
遥香が顔を上げ、レインを見る。
「Oh…そんなの、当たり前じゃないか」
「え…?」
「始めから何か大事なものを持ってる人なんて、いないよ。言ったでしょ?僕もここに来てから、守りたいものができたんだって」
「…………」
「遥香、君にだって本当はある筈さ」
「私に、も…?」
僅かに目を見開くと、レインはニッコリと微笑んだ。
「遥香、その顔カワイイ」
「な……可愛いと言うな、私は男だ!!」
「えへへ、けど、遥香は可愛いヨ」
「レイン!!」
遥香が仕返しとばかりに手を振り上げると、その手首はすんなりレインに掴まれてしまった。
遥香が目を見張る間もなく、レインは遥香を引き寄せ、そのままギュッと抱きしめた。
「放せ、レイン!ふざけるのもいい加減に--」
「僕は、遥香とこうしてふざけたりする時間、すごく好きなんだ」
「え?」
突如として真面目な声を出すレインに、遥香が思わず見上げる。
そこには優しく微笑む彼の顔があった。
「だって、何も考えなくていいでしょ?その時だけは、何もかも忘れて心から楽しいって思えるから」
そう言って、レインは遥香の頭をそっと撫でた。
「…………」
「だから、些細なことで構わないんだ」
「…些細な、こと?」
「…こういう、些細でも楽しいと思えるこの時間、この場所を守りたい」
レインが柔らかく微笑みかける。
「それで、いいんじゃないかな?」
「レイン…」
この時間、この場所ーー。
考えもつかなかった。あまりに単純なことなのに、レインはそれを当たり前のように口にする。
彼にとって、この一時の時間がどれほど価値あるものなのかが伝わってくる。
少し気恥ずかしかったが、同時に、自分との時間を大切に思ってくれる友の気持ちがたまらなく嬉しかった。
レインはいつだって、自分を支えてくれる。かけがえのない、唯一無二の友だ。
「……わかった」
「え?」
立ち上がった遥香に、レインが首をかしげる。
遥香は彼に向き直り、はっきりとした口調で言葉を紡いだ。
「私も…この、一時でも安らぎを得られるこの時間と場所は好きだ」
レインが目を見開く。
「それを、アルフェンだか知らないが……横暴な輩に奪われてたまるか」
「それじゃ、ヤガミ達の話…」
瞳を輝かせるレインに、遥香は思わず目を逸らしながらぼそぼそと付け足した。
「…それに…お前のヴァイオリン……まだ、聴いている途中だったからな。続きが……聴きたい」
「はる、か……っ」
レインは顔を真っ赤に染め上げ、ブルブルと震えたかと思うと、勢いよく遥香にしがみついた。
「うわ…っレイン!」
「遥香の口から、そんな言葉を貰えるなんて、僕……感極まって卒倒しそう!」
嬉しそうに遥香に頬擦りする。
「そうだよ!僕だって、遥香に毎日だってヴァイオリンを聴かせてあげたいんだからね!」
「く、苦しいっ、放せ!」
遥香が苦しそうに顔をしかめる。
「遥香だーい好きッ!!」
「このっ、私を解放しろ!」
力強い抱擁に息苦しさを覚えながらも、遥香は胸の奥でふと自然な笑みをこぼしていた。
未だに離れないレインの頭にそっと触れ、遥香はゆっくりと口を開く。
「レイン。私も、ヤガミの言葉を信じてみようと思う」
「遥香…」
「… 世界なんて、どうでもいいものだと思っていたけれど……何もかもがどうでもよくは、ないんだな」
此処には、自分の居場所がある。
「だから、私も守りたいと思う」
「Exactly…遥香、僕達ならきっと大丈夫さ」
「それに」
レインがニッコリ笑う。
「それにもし、遥香が危険な目に遭ったら、僕が命に代えても……君を守るよ」
「レイン……ありがとう」
微笑むレインに、遥香は心からの感謝と共に笑みを浮べた。
その刹那。
外から轟音が轟き、凄まじい地響きと共に何かが崩れ落ちる音が響いた。
「っ!?」
「なっ、何だ……!?」
遥香とレインは窓辺へと駆け寄り、信じがたい光景に息を呑んだ。
聖堂が、燃えている。
森の向こうに見えるはずの聖堂の屋根が赤く炎上し、夜風に煽られた火の粉が校舎にまで迫る勢いで揺らめいていた。すでに炎に焼かれ、あちこちが崩れ始めている。
「せ、聖堂が……」
「学校も、今にも燃えそう……!」
唖然と見つめ、それ以上言葉が出てこない。頭の整理が追いつかないまま立ち尽くす二人の背後で、勢いよく扉が開かれた。
振り返ると、そこには険しい表情を浮かべたヤガミが立っていた。
「ヤガミ! 一体何が……」
『アルフェンが、この地に姿を現した』
「リアリィ!?」
「何だって……!?」
絶句する二人に、ヤガミは矢継ぎ早に告げた。
『時間がない、簡潔に話そう』
『アルフェンは欧州、ドイツ南西部のシュヴァルツヴァルト……通称“黒い森”と呼ばれる森林地帯の地下に封印されていた。だが先ほど、その黒い森から奴の気配が消え失せ、突如としてこの学園に出現したのだ』
遥香とレインが息を呑む。
「な、何のために……!」
レインの問いに、ヤガミはスッと目を細めた。
『奴の狙いはお前達だ。お前達二人が此処にいることを知って、奴はこの地に現れたのだ』
「ぼ、僕達だって!?」
「私達が狙いだと? 何故そう断言できる!」
二人の問いに、ヤガミは目を伏せる。
『それは……お前達が奴と共通する「力」と「印」を持っているからだ』
「力……?」
「印……だと?」
顔を見合わせる二人。
「まさか……」
二人は同時に自身の体に刻まれた痣に触れた。それを見たヤガミが深く頷く。
『そう、その痣のような印……そして、お前達の内に宿る“呪われし力”だ』
「それは一体何なんだ」
「それに、奴と何の関係が……」
ヤガミは静かに言う。
『お前達、“印”を見せてみろ』
冷静を装うその言葉の裏に、確かな焦燥の色が滲んでいる。
二人は大人しくそれに従い、シャツのボタンを外した。
レインの首筋に。
そして遥香の胸の中心に。
それぞれ、逆十字と「X」が交差する禍々しい刻印が浮かび上がった。
じっとそれを見つめ、ヤガミは口を開く。
『その印こそ、アルフェンが求める“終焉”の力の証。我等魔女が持つものとは異なる、禁忌の証だ』
「何だって……?」
理解できない二人に示すように、ヤガミは自らの外套を脱ぎ捨て、ブラウスの胸元を緩めた。
彼の胸にも印はあった。だがそこに浮かんでいたのは普通の十字架であり、遥香たちのものとは全く異なっていた。
「……印が、違う」
「逆十字じゃない……?」
『ああ。我等魔女は皆、等しく共通の印を有している。だが、お前達のその印は我等にも見られないものだ……』
ヤガミは重々しく続ける。
『そして何より……その逆十字とXの文字。それらは共通して異端・背徳を意味する。逆十字は神に背く真理、そしてXは異端にして悪魔の印とも呼ばれる』
「つまり、僕らは魔女の中でも異端中の異端ってことだね」
「そういうことだろう…」
複雑な表情を浮かべる二人に、ヤガミは近づき、その印にそっと触れた。
『けれど、お前達の力は異端故に特別なのだ。“この時”の為に我等は戦い、血を繋いできたのだから……』
特別----。
「それはどういう意味だ?」
遥香の問いに、ヤガミが答える。
『お前達は、この世界の“希望”でもあり、“災い”ともなり得る、最後の希望……』
『"終焉の魔女”だ』
* * *
「終焉の、魔女・・・?」
『そう。この世界の未来の行く末を担う、鍵。だが…力の使い様によっては、希望にも、破滅にも傾く』
遥香の呟くような問いに、ヤガミが真剣な眼差しで返す。
『さあ、話は大体話した』
ヤガミが、二人を見る。
『時間がない…これから私が言うことを、お前達にはやってもらう』
すると、ヤガミは軽く咳払いをし、そしてサラリと目を見張る事を言い放った。
『…お前達、番になれ』
「What!?」
「……つがい?」
その言葉の意味を理解し、レインは瞬時に顔を真っ赤に染め上げる。
対して遥香は、意味が分からず首をかしげた。
『そのままの意味だ。お前達、互いに口付けしろ。それで、番の完成だ』
あまりに涼しい顔でとんでもないことを言うヤガミに、レインがすかさず声を張り上げた。
「Wait!意味は十分分かってるけど!!それには遥香の心の準備だってある!それに、戦うのに、僕達がそういう関係になる意味があるのかな!?」
『…………』
「いや、ボクは嬉しいんだけど…でも!遥香の意志を尊重したいし…」
百面相しながら慌てふためくレインを横目に、遥香は首を傾げた。
「レイン、お前は意味を分かっているのか? 一体どういう意味だ、教えてくれ」
『は?』
「えっ」
ヤガミとレインから、同時に驚嘆の声が漏れる。
「?」
首を傾げる遥香に、レインは恥ずかしさのあまり真っ赤になった顔を両手で覆い隠した。
見かねて、ヤガミが淡々と説明する。
『つがい……つまりお前とレインは、魂のレベルで一つになる。それにより、各々封印されていた力が解放され、より強力な力でアルフェンに対抗できるようになる』
『その力の解放の為に、お前達は口付けする必要があるのだ』
「OMG!」
「!」
実によく噛み砕いた説明にようやく意味を理解した遥香は、目を見開いて息を呑んだ。
しかし、すぐさま別の疑問が浮かび、眉をひそめる。
「……男同士で、口付けをする行為に、何の意味がある? おかしくないか」
『………』
「~ッ!」
あまりの純粋さにヤガミとレインは言葉を失ったが、ヤガミはすぐに冷徹に言い放つ。
『力の解放の為だ。難しく考える事など、何もない。それとも、お前はレインが嫌いか?』
ヤガミの言葉に、レインはハッと顔を上げ、遥香を見つめた。
不安そうに揺れるレインの瞳を見て、遥香はわずかに目を細め、ゆっくりと首を横に振る。
「……嫌いじゃない。むしろ、大切だ、と思っている」
「遥香……っ! よ、良かった……僕達、相思相愛だね!!」
レインは嬉しそうに目を輝かせ、すかさず遥香に抱きつこうとする。
「バ、カ…っ、そういう意味じゃ、ない!」
ギュウッと力強い抱擁に、遥香は身悶えた。
ヤガミは冷めた目で二人を一瞥する。
『…時間がない。ならば、さっさと口付けしろ』
くるりと踵を返し、扉に向かう。
『私は部屋を出る……その方がお前達もやりやすいだろうからな』
そのままヤガミは部屋を出ていった。
* * *
――静寂が訪れる。
唐突に二人きりにされ、遥香は言い知れない気まずさと緊張感に襲われた。
早鐘を打つ鼓動を鎮めようと俯いたその時、頬にレインの温かな手がそっと添えられ、思わず顔を上げさせられる。
そこには、今まで見たこともないほど大人びたレインの顔があった。
細められた蒼い瞳に、自分が真っ直ぐに映し出されている。
遥香は瞬時に顔が熱くなるのを感じた。頬を撫でる指先が妙に優しい。
「……遥香……キス、していい?」
「……っ!」
反射的に逃げようとしたが、腰を引き寄せられ、完全に逃げ道を断たれる。
すぐ目の前にレインの顔があり、羞恥に耐えかねて身体がわずかに震えた。
「ダメだよ逃げちゃ……あれ? 遥香、震えてる……もしかして、怖い?」
「……!」
軽く顎を持ち上げられ、吐息が掛かるほどの距離まで顔が近づく。
遥香はもう、彼の瞳から目をそらすことができなかった。
レインの瞳に映る自分は、頬を染め、小動物のように震え、唇を小刻みにわなわなとさせている。
レインは柔和に目を細め、囁いた。
「怖がらないで。大丈夫…遥香を傷付ける様な事は、絶対しないから」
「ヤガミが言ってたでしょ?僕達の力の解放には、キスが必要だって……この行為にそれ以上も、以下もないよ」
「そう思って、僕に任せて」
「…レインは。嫌、じゃないのか?」
「何が?」
「だから…私は、男だから…」
遥香は気まずそうに目を逸らすと、レインはクスッと笑った。
「遥香みたいな、どうみても女の子みたいに可愛い子なら、全然嫌じゃないよ?」
「な…!」
禁句をサラリと言われ、睨み付けようとした瞬間、レインは鼻先をコツンと触れ合わせ、悪戯っぽく囁いた。
「これで緊張ほぐれたね? ……遥香、本当に単純で可愛いなあ」
「!」
目の前にあるレインの瞳は熱を帯びながらも、どこまでも優しく遥香を捉えている。
「全然嫌じゃないよ……寧ろずっと、僕は遥香と……こうしたかったんだ」
「……レイン?」
驚きに見開いたその唇に、レインの唇がそっと重なった。
柔らかく、温かな感触。
「!」
心臓の鼓動が早鐘を打ち、身体中の血が一気に沸騰していくのが分かる。顔に熱が集まり、潤んだ瞳が揺れる
ーーーレインと、口付けしてる。
それと同時に、身体の奥底から熱い何かが一気に沸き上がってきた。
(ーーなん、だ。コレ………っ.)
息を吐く間も与えず、レインの唇が塞ぎにかかる。
腰が引けそうになると、引き寄せられた腕にしっかりホールドされ、身動きが取れない。
その時、湿った温かな感触が口内に侵入してきた。
「!?」
レインの舌が、隙間をこじ開けて入り込んでくる。
驚いて押し返そうとするが、抵抗は虚しく許され、歯列をなぞられ、ねっとりと絡め取られていく。
ゾクリ、と全身が粟立つと同時に、体内で渦巻く熱が全身を駆け巡り、鼓動が激しく波打つ。
何かが、身体の外へ溢れ出そうとしている――。
初めて知る濃厚な接吻。
熱に浮かされ、思考がうまく働かない。
レインの執拗な口付けは止まらず、まるで獣のように貪る。息がうまくできない。意識が霞んでいきそうになる。
――だが、意識を手放しかけたその時。
濡れた音を立てて、レインがようやくゆっくりと唇を離した。
離れた唇の間から熱い息が零れ、互いを繋ぐ銀の糸が儚く消えていく。
「……遥香、ごめんね。苦しくなかった?」
「お前は……私を窒息させるつもりか、バカがっ……!」
遥香が顔を真っ赤に染め上げて怒る。
レインはすまなそうに目を伏せた。
「ごめんね、そんなつもりは全然なかったんだ! ……でも」
そう言って、悪戯っぽくペロリと舌を出し、笑う。
「驚いて瞳を潤ませたり、キスされながら百面相する遥香が愛しくて、つい調子に乗っちゃいました」
「……お前という奴は……!」
ふざけた事を言うレインに怒りを覚えるが、すぐに見上げてくるその瞳に気圧され、感情を持て余してしまう。
ふと、レインが真面目な顔になった。
怪訝な顔をする遥香の耳元に、彼はニッコリと笑いながら囁く。
「でも……これで力が戻ってくるんだよね」
「え……?」
「これで、完成だ……」
微笑むレインは、指を遥香の首筋から鎖骨へと滑らせる。
最後に胸元の「印」にピタリと指先を止めると、かがみ込んで、その印にそっと口付けた。
遥香が驚いて大きく目を見開く。
「レイン……!」
顔を上げたレインの瞳は蒼く光り、口元には笑みが浮かんでいる。
その瞬間、遥香は身体の内側から底知れない熱を感じた。
胸を押さえる。
――頭の奥で、ガチャンと重い錠前が外れる音が響いた。
すると、どこか懐かしい声が頭に反響する。
『ーー貴方は来たる“その時”まで、守らなければいけない』
『貴方の“純潔”を。貴方が貴方自身を守る“力”を、失わないために…』
『母様は、その為の“呪い”を貴方にかけて逝くわ……』
遥香は大きく目を見開いた。
爆発するように、遥香の周囲を眩い光が包み込んでいく。
レインはふっと笑い、その光に身を委ねるように両手を広げて目を閉じた。
光は夜空を突き抜ける勢いで、四方八方を眩しく照らし出した。
* * *
外で待機していたヤガミは、背後の館から放たれたまばゆい光に気付き、振り返った。
一度深く頷き、目を細める。
『……力が解放されたな、遥香』
『……すまない。だが、お前達しかいないのだ。奴を止められる者は……』
周囲を包み込んでいた光が弱まり、完全に消えていく。
静寂の中、屋敷の扉が開き、そこから新たな力を纏った遥香とレインの姿が静かに現れたのだった。
次章、第章 終焉の魔女




