第一章 魔女への呼び声
……今、我等ここに集まらん。
ーーー誰だ?一体何が起きいるんだ?
……戦いが始まろうと、している。
ーーーだからそれは何なんだ?
ーーー私を呼ぶ者は一体誰だ?
………時は、近い。
……心せよ。
偉大なる我等が末裔……
ーーーまつえい?何だ、それ。
ーーー待て、まだ話は終わって…。
* * *
「はっ……!」
目を覚まった時には、すでに夢は途切れていた。
少年はまだ完全には開いていない瞼を指先でこすりながら……静かにベッドから起き上がった。
年は十六、七といったところだろうか。
顔立ちにはまだ幼さが残っているものの、くっきりとした二重の大きな瞳に、長い睫毛。
そして腰まで届く艶やかな黒髪が印象的だった。
顔にかかった黒髪を邪魔そうに掻き上げ、少年は深い思考の海へ沈んでいく。
(……あの夢は一体何なんだ?この頃ずっと、あの夢ばかり見ている……)
見渡す限り濃密な暗闇の空間。
ぽつりと一人立ち尽くしていると、どこからともなく謎の声が響いてくるのだ。
その声は耳元に直接吹きかけられるように鮮明で、まるで声の主がすぐ目の前に佇んでいるかのように錯覚させられた。
しばらく顎に手を当てて考え込んでいた少年だったが、考えても埒が明かないと悟ったのか、ベッドからするりと抜け出して着替えを始めた。
黒いシャツに袖を通し、同色のパンツを履く。全身を黒で包み込んだ後、深紅のネクタイを丁寧に結んだ。
仕上げに乱れた黒髪を櫛で梳かしていた、その時――。
バンッ! と部屋の扉が勢いよく開け放たれ、中に別の少年が入ってきて、彼に容赦なく抱きついた。
「グッモ~ニンッ!遥香!!昨日はよく寝れたっ?今日も相変わらずカワイイね~」
頭を擦り寄せて頬擦りをしてくる少年の顔面に、容赦ない拳が叩き込まれた。
「ぐふっ……!?」
ハルカ、と呼ばれた少年は、顔を押さえて悶絶する少年を冷ややかに見下ろした。
「レイン…いい加減その“可愛い”と言うのやめろ。私は男だ!」
「えぇーっ!でも遥香、昔から女の子みたいに可愛いんだもん!言わずにはいられないよっ!!」
レイン、と呼ばれた少年は、赤くなった頬を膨らませて不満げに抗議した。
年は遥香と同じくらいに見えるが、その風貌は絵に描いたような西洋人だった。
ぱっちりとした蒼い瞳に、整った鼻筋と甘い口元。肩に届かない程度の美しい金髪を無造作に切り揃えている。
一見すれば童話に出てくる美少年だが、口を開けば一瞬で台無しになる、折り紙付きの天然マイペース人間だった。
「まったく懲りない奴だ…」
遥香は毒づき、隣で不満そうにしているレインをひと睨みした
「行くぞ。」
そう短く告げると、遥香は部屋の扉を静かに閉めた。
* * *
「ふぅ~、朝食も食べたし、そろそろ学校行こうか! ねぇ、遥香!」
「……」
レインの問いかけに耳も貸さず、遥香は無言で廊下を歩く。
業を煮やしたレインが、小走りで隣に並びかけた。
「ねぇ遥香ってば! まだ怒ってる? さっき僕が可愛いって言ったこと……」
「当たり前だ!」
遥香が一喝する。
「今後一切口にでもしてみろ、タダじゃおかない。そして毎回そうやって抱きつくな、煩わしい!!」
「エ~、そんな~ヒドイ~!」
わざとらしく泣く真似をするレインを横目に、遥香はフンと鼻を鳴らして足を速めた。
遥香は、己の容姿に強いコンプレックスを抱いていた。
女と見間違われるほどの幼い顔立ちと、華奢な体躯。
元々体が強くないため致し方ないとは分かっているものの、男として生まれた以上「可愛い」などと扱われるのは面白くなかった。
「まーそう怒らないで!」
懲りもせずレインが頭をポンポンと撫でる。
「ほら、学校行こう?」
遥香が怒りを爆発させる前に、レインがすっと先頭へ踊り出た。
「言われずとも分かっている……」
不発に終わった拳を収め、遥香は苦虫を噛み潰したような顔でレインの背中を追った。
* * *
青々とした木々が鬱蒼と生い茂る山中。その深い緑に隠れるように、彼らの通う校舎は佇んでいた。
『聖ルシエル教会附属学園』。
全寮制のミッションスクールであり、生徒の多くはカトリックやプロテスタントの信徒、あるいは良家の子女であった。
中世ヨーロッパの古城を思わせる荘厳な校舎は広大な森に囲まれている。立派な鉄格子の門をくぐると、中央には大きな噴水のある中庭が広がり、至る所に木製のベンチや机が配置されていた。
中庭の端には格式高い聖堂が構えられ、校舎と聖堂を繋ぐ回廊が緩やかな曲線を描いている。
静かな校内では、登校してきた生徒たちが互いに爽やかな挨拶を交わしていた。その中に、遥香とレインの姿もあった。
「夜神様、レクセイン様、おはようございます」
「グッモーニン! 今日も良い天気だね~」
レインが満面の笑みで振り返る。
レクセインとは彼の本名であり、愛称としてレインと呼ばれていた。一方の『夜神』は、遥香の苗字である。
遥香は挨拶してくる生徒たちに目もくれず、素通りしていった。
「あっ、ダメだよ遥香! 挨拶はちゃんと返さなきゃ……みんな、ごめんね!」
生徒たちに苦笑いで謝罪したレインは、急ぎ足で遥香の背中を追いかけた。
「ちょっと遥香! どこ行く気!? 教室はあっち――」
「……っ」
かなり階段を上ったところで、レインが遥香の手首を掴んだ。二人とも息が上がっている。
「……どうかしたの? まだ今朝のこと根に持ってる?」
レインが呼吸を整えながら尋ねた。遥香は肩を激しく上下させ、顔を伏せている。
「一体どうしたっていうのさ?」
「……うる……さいんだ……」
「え……?」
「うるさいんだよ……! 人の心の声が、次から次へと私の中に流れ込んでくる……!」
遥香の声が絞り出すように震える。
「取り繕った笑顔の下で、私を気味悪がり、忌み嫌っている……! なら最初から話しかけてこなければいいのに……っ!」
遥香は深く唇を噛み締め、両拳を強く握りしめた。その華奢な肩が、かすかに揺れている。
昔からそうだった。
遥香には自分でもコントロールできない、特殊な力が宿っていた。
幼い頃に母親を亡くし、当時の記憶は曖昧なまま孤児院で育てられた。幼少期から、周囲で説明のつかない奇妙な現象が度々発生した。
大人も子供もその不気味な現象を恐れ、遥香は身に覚えのない酷いいじめや迫害を受け続けてきたのだ。
そして九歳の時、この学園の理事長が遥香の前に現れ、こう告げたのだ。
『君は、夜神家の遺産の正統な相続人だ』と。
親を失い、行き場をなくしていた遥香は学園に引き取られ、この広大な土地と洋館は遥香の所有物となると同時に、唯一の『家』となったのだった。
「……ああ、そっか。ごめんね、気づいてあげられなくて……」
レインは切なさそうに目を細めると、遥香の身体をそっと抱きしめ、その頭を優しく撫でた。
「……私は子供ではない」
「分かってるよ。でも……」
レインは柔らかく微笑んだ。
「今の遥香、あまりにも今にも泣き出しそうな顔してるからさ。一人で抱え込まないで。ね?」
にっこりと笑って身体を離したレインだったが、次の瞬間、その表情から笑みが消え、真剣な眼差しで遥香を見つめた。
「ところで……洋館で聞きそびれちゃったんだけどさ。遥香の『夢』、あれから何か進展はあったの?」
その言葉に遥香がピクリと眉を跳ねさせ、口を開こうとした――その時。
カン、カン、カン……――。
校舎に重厚な始業の鐘が響き渡った。
「……ベル、鳴っちゃったね」
「……放課後、また話す。館へ戻ったら私の部屋に来い」
短い沈黙の後、遥香はそう言い残して階段を降り始めた。
* * *
二人が教室に着いた時には、すでに歴史の授業が始まっていた。
扉が開くと、一斉に生徒たちの視線が集まる。教壇に立つ歴史教師が軽く咳払いをし、顎で席につくよう促した。
「……授業を続けます」
遥香とレインは無言のまま自席へと着いた。
教師が熱心に百年戦争の歴史を語る声が教室に響く。それを背景音に聞きながら、遥香は窓の外、朝靄に包まれた薄暗い森の緑を、ただじっと見つめていた――。
* * *
放課後。
終業の鐘が鳴ると、生徒たちは慌ただしく荷物をまとめて教室を後にしていく。
「ハールカ! 帰る準備終わった~?」
「ああ、今終わったところだ」
「じゃあ、帰ろ!」
廊下に出ると、生徒たちが帰りの挨拶を交わしながら賑やかに通り過ぎていく。
「夜神様、レクセイン様、ごきげんよう」
「バイバイ! また明日ね~!」
「……ごきげんよう」
愛想よく手を振るレインと、短く返す遥香。生徒たちは丁寧にお辞儀をして去っていった。
「僕たちも帰ろうか」
二人は校門へは向かわず、校舎のさらに奥、深い森の中に静かに佇む一軒の重厚な洋館へと向かった。
* * *
洋館の重い扉を開けると、吹き抜けの二階へと続く大階段と、天井で揺れる煌びやかなシャンデリアが出迎える。
二人は階段を上がり、二階に並ぶ無数の扉の中から、一番右奥の部屋の前で足を止めた。
ギィ……と年季の入った扉が軋む音を立て、二人は室内へと入った。
「遥香って本当にすごいよね~」
「なにがだ」
「だって、こんなに広いお屋敷を一人で持ってるなんて、ありえないよ!」
「……ここは、遙か昔から夜神家が受け継いできた土地だそうだ。だから驚くことではない」
遥香は淡々と告げ、自嘲気味な笑みを浮かべた。
「一人じゃ持て余すような場所だが……私の唯一の居場所だ」
その言葉に、レインは一瞬言葉を詰まらせた。
「……そうだね。でもさ~!」
「?」
「今は僕もお世話になってるから、二人だけの居場所だけどねっ!」
レインは遥香の肩に腕を回し、悪戯っぽく舌を出して笑った。遥香はフンと鼻を鳴らしてその手を払う。
レインは笑いを引っ込めると、再び真剣な表情に戻った。
「……話、戻すけどさ。朝言ってた夢の話、どうなったの?」
「大きく変化した」
遥香の言葉に、レインの目が大きく見開かれる。
「リアリィ!? どんな風に!?」
「『今、我らここに集まらん』『戦いが始まろうとしている』『時は近い。心せよ……偉大なる我等が末裔』……と、言いたいことだけ言われて目が覚めた」
遥香がふぅと息を吐くと、レインが詰め寄ってきた。
「な、何なのそれっ! 続きは!?」
「っ、レイン! 落ち着け……!」
ハッと我に返ったレインは胸に手を当て、静かに目を閉じた。
「……遥香が不思議な夢を見るようになってから、僕自身も感じるんだ。これは全部、僕らに関係があることなんじゃないかって……。僕らのこの『瞳』と、『印』に繋がるものだって……」
レインは服の上から自身の首筋にある痣のような『印』をなぞり、瞼を開いて遥香を見つめた。
その瞳は、およそ徒人のものではなかった。
吸い込まれそうなほど濃く透き通った蒼色――蒼玉の光が、薄暗い室内に妖しく揺らめいている。
「ねぇ……遥香」
「――ああ。もしかしたら、そうなのかもしれない」
遥香も伏せていた瞼を静かに開けた。
その大きな瞳には、鮮血のように美しい深紅――紅玉の光が宿っていた。
遥香がシャツのボタンをひとつずつ外していく。
肌があらわになると、胸の中央に『逆十字』と『X』が重なり合った、異端の刻印のような禍々しい痣が鮮明に浮かび上がっていた。
刺青などではない。生まれつき皮膚に刻まれた、消えることのない血の烙印。
レインの首筋にも、全く同じ印が刻まれていた。
薄暗い部屋の中で、二人の瞳と印が妖しく照り映える。
重苦しい沈黙を破ったのは、レインだった。
「ねぇ遥香……『戦いが始まる』って、どういうことなんだろう? これから何かが起きるってことだよね? 『時は近い』って言ってたし……」
「それを聞き出そうとしたんだが、そこで目が覚めてしまった」
不機嫌そうに鼻を鳴らす遥香。
(言いたいことだけ言って消えるとはな。これでは何も分からないではないか)
と、全身で苛立ちを表現している遥香を見て、レインはクスリと笑い、話題を変えた。
「僕たち……これからどうなるのかな。学校には、もう通えないのかな……」
「さあな。だが、今まで通りの生活を送るのは……もう無理だろう」
遥香は静かに首を振った。
「レインも今朝見た通り、私のこの『力』も段々と強くなっていて、そろそろ制御が効かなくなってきている……」
遥香は向かいの机の上に置かれたガラスの水差しとコップを見つめ、そっと右手をかざした。
指先をぎゅっと握りつぶすような仕草を見せる。
――パリンッ!
乾いた破壊音が響き、水差しとコップが一瞬にして粉々に砕け散った。
飛び散るガラス片と、机からポタポタと滴り落ちる水。
「……っ!」
レインは思わず息を呑んだ。
「すごいね……こんなことまで出来るようになってたなんて。遥香の感情に合わせて人の心が流れ込んでくるのは知ってたけど……」
「コップだけを割るつもりが、水差しまで巻き込んでしまった。完全に制御できているわけではないんだ」
遥香はため息をつくと、その場にしゃがみ込んで片付けを始めようとした。
慌ててレインがその手を掴んで制する。
「あっ、だめだよ! 僕がやるから遥香は触らないで。ガラスで怪我したら大変だから!」
遥香をベッドに腰掛けさせ、代わりにレインが手際よく破片を集め始めた。
その背中を眺めながら、遥香はぽつりと漏らした。
「……こんな調子なら、人と会わずに済むかもな」
「え……?」
「いつ、誰を傷つけるか分からないからな……」
「……遥香……」
切ない表情で見つめてくるレインを制し、二人は静かに夜を迎えた。
次章、第二章 始まりの夜会




