序章 闇の歴史
(この話は、史実上実際に起きた魔女狩りを基に、架空の人物・場所などを織り交ぜた現代物語である。)
中世ヨーロッパ。
この時代は暗黒の時代とも呼ばれた、血塗られた時代だった。
当時、ヨーロッパには“魔女”、あるいは“魔法使い”、あるいは“錬金術師”、あるいは“霊媒師”、あるいは“預言者”……。
そう呼ばれた者たちがいた。
その者たちには不思議な力があり、病や怪我を癒やしたり、神や精霊、死者などの言葉を聞き、または悪霊を祓ったり、未来を予知することができた。
人々は彼等を慕い、敬愛した。
だがその一方で、彼等を恐れてもいた。
彼等の持つ、不思議な力に……。
* * *
そして事は起きた。
これはもはや裏の歴史最強最悪とも言っていい“魔女狩り”(witch hunt)が始まったのだ。
当時の権力者や教会組織は口々に扇動した。
「魔女を捕まえろ!」
「魔女は我々の生活、いやヨーロッパ全土を脅かす忌むべき存在。奴らは不思議な力を使い、悪魔と契約を結び、我等に害を与えるのだ!」
「魔女の使い魔には気を付けろ!あれは悪魔の眷属だ!魂を捕られてしまう!猫だ!コウモリだ!蛇だ!みんな殺せっ!!」
「魔女には体のどこかに“しるし”がある!!しるしのある女を捜せ!!」
「いや男にもいるぞ!!」
「不思議な力がある奴は皆連れてこい!斬首台へ送ってやる!!」
「褒美も出すぞ!!」
「火炙りにしてやる!!」
人々は恐怖に駆られ、その狂言を鵜呑みにして魔女狩りを始めた。
かつて自分たちを慈しみ、共に暮らしていた魔女たちを、恐ろしさのあまり次々と惨殺していったのだ。
突然の襲撃と裏切りに打ちひしがれた魔女たちは、深い森の奥、険しい山嶺、あるいは遠い異国へと逃げ惑い、その身を隠した。
深い絶望と悲しみを胸に抱きながら、追われる身として息をひそめて生きたのである。
やがて時代は近世へと移り変わった。
しかし、時代が進んでも魔女狩りが終わる兆しは見えなかった。
それどころか、弾圧は全盛期を迎えていた。
この頃には魔女の数は激減し、生き残りはごくわずかとなっていた。
捕らえられた魔女たちは凄惨な拷問を受け、ある者は斬首され、ある者は生きたまま火炙りにされた。人々の残酷さは増すばかりであった。
絶滅の危機に直面した生き残りの魔女たちは、少しでも血を後世に残し、子を成した。
そして魔女としての誇りを胸に、我が子へ魔術、薬の調合、錬金術、霊媒術、占術など、ありとあらゆる知識と術を伝授した。
子供たちもまたその教えを尊び、さらに自分の子へと受け継いでいった……。こうして細々とではあるが、彼等は存続を保ち続けていた。
だが、安寧は長くは続かなかった。
生き残りを根絶やしにしようと躍起になる教会組織の手によって、密かに築かれた隠れ家がついに発見されてしまったのだ。
ハンターが、怒号を上げる群衆が、国の兵士たちが、次々と隠れ家を打ち壊した。
……後に表の歴史において「宗教改革」と呼ばれる大波の裏側で、長きにわたる魔女狩りは幕を閉じたとされる。
だが、それは表向きの話に過ぎない。表舞台から姿を消しただけで、魔女たちへの忌避と弾圧は、その後も長く続いていった。
しかし、魔女たちは智慧に長けていた。
彼等は確かに、子孫を未来へと繋いでいたのだ。
凄惨な魔女狩りを生き延びた子供たちは全世界へと散らばり、気配を消してひっそりと暮らした。
だが、徒人とは異なるその力、身体に刻まれた印、そして異彩を放つ瞳の色ゆえに、どこへ行っても忌み嫌われ続けた。
強力な魔力を秘めた魔女の子供たちの瞳は、一般人にはない美しい五色の輝きを宿していた。
amethyst(滅紫)・emerald(緑玉)・dark sapphire(蒼玉)・morganite(桜桃)。
―――そして最も嫌われた色、crimson red ruby(深紅)。
その瞳の色は、血統の証として、子々孫々へと受け継がれていった。
さらに彼等の身体の一部には、逆十字に異端の象徴である『X』を重ね合わせた特殊な印が刻まれていた。
それゆえに、生き残った子供たちは人々から恐れを込めてこう呼ばれた。
―――Satanic Children(悪魔・魔王の落とし子たち)と。
* * *
―――はぁっ! はぁっ……!
世界が、不気味な朱色に染まっていく。
肌を焼き焦がすような、酷い熱気。
―――はぁっ、はぁ……っ!
炎が激しく燃え盛る夜の森の中。
幼子が母親に強く手を引かれ、なりふり構わず走っていた。
業火はまるで生きた獣のように親子の背を追いかけ、轟音を立てて木々を呑み込み、焼き尽くしていく。
「あち……っ!」
幼子の頬を火の粉がかすめ、思わず舌足らずな悲鳴が漏れる。
母親は慌てたように我が子を抱き上げると、安心させるようにそっと頭を撫で、再び必死で足を前に進めた。
「かあさま、おうちも森も、みんな燃えてるね。なんで? みんな燃えて、こわいよ……」
「さあ……何故かしらね。でも、大丈夫よ。私があなたを、絶対に守り抜いて見せるから」
荒い息遣いから、極限の疲労が伝わってくる。
だが、母親は子に不安を与えないよう、愛おしさに満ちた穏やかな笑顔を浮かべていた。
「あついよ……はやく森のおそとにでたい」
「そうね。さあ、もっと早く走れるように、お喋りはここまでにしましょう」
「はい、かあさ――」
幼子の言葉を遮るように、―――ドスッ! と鈍い衝撃音が響いた。
それと同時に、抱きかかえられた腕越しに激しい振動が伝わる。
母親の口から短い悲鳴が漏れ、抱く腕に瞬間的な力が込められたかと思うと、そのまま前方へ倒れ込んだ。
背後から迫る炎から逃れるように辿り着いた、わずかに開けた場所。
倒れ伏した母親の下から、幼子がはい出てきた。
そして、母の顔のそばでしゃがみ込み、母の背に深く突き刺さる凶器の柄と、青ざめた母の顔を交互に見つめた。
「かあさま? 起きて……あついの来て、燃えちゃうよ」
呼びかけても、母親はピクリとも動かない。
我が子の瞳から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出した。嗚咽が漏れ始めたその時――頬に、冷たく震える手がそっと添えられた。
幼子が目を開くと、母親が虚ろな瞳を向けていた。
そして、途切れ途切れの声で静かに口を開く。
「ごめんね……私はこれ以上、一緒に逃げられそうにないわ……」
「かあさま……!」
「でも、安心して……。必ずあなたを、奴らの手から守ってみせるから……」
母親は添えていた手でぐっと幼子の顔を引き寄せると、今まで見せたことのない厳格な表情を浮かべて、絞り出すように言葉を紡いだ。
「あなたは……普通の子とは違うの……」
「……?」
「それゆえに、あなたの力を利用しようとする奴らがいる。これからあなたは、そんな奴らから逃げ続けなければいけないわ。辛いことが、たくさん待っていると思う……」
「かあさま、いやだ……!」
「でも、忘れないで。私はあなたを、心から愛しているわ。いつまでも……」
母親の目から涙が零れ落ちる。
「そして……あなたは来たる“その時”まで、守らなければいけない……あなたの“純潔”を」
「じゅんけつ……?」
「あなたが、あなた自身を守る“力”を失わないために……。私は、そのための“呪い”をあなたにかけて逝くわ……」
涙でぐしゃぐしゃになった我が子の額に、震える唇で最後の口づけを落としながら、母親は呪文のような言葉を低く唱え始めた――。
次の瞬間。
激しい炎を押し裂くように、一筋の突き抜けるような光が空へと放たれた。
光が霧散すると同時に、夜空に猛烈な雷鳴が響き渡り、激しい大雨が降り注ぎ始めた。
森を埋め尽くしていた業火が、大粒の雨によって一瞬にして消火されていく。
雨で視界の遮られた森の中。
全身を黒い外套で覆った数人の不気味な人影が、倒れた女の亡骸へと近づいてきた。
黒づくめの集団は冷徹に亡骸を見下ろし、しばし低い声で会話を交わすと、そのうちの二人が母親の亡骸を持ち上げた。
そして集団は、来た道をそのまま引き返すように、暗い森の奥へと消えていった。
――その光景を。
集団が去っていった方向とは逆の茂みの中で、幼子は息を殺して見つめていた。
幼子の顔は、雨なのか涙なのかも分からないほど濡れそぼっていた。
大きな瞳を開いたまま、母が連れ去られていった森の闇をただじっと見つめている。
幼子の純白だった心に、夜の闇よりもなお深く昏い色が浸食していき、その瞳に静かな影が落とされていく――。
(世界は、どうしてこうも理不尽で、歪んでいるんだろう。)
(自分たちが、一体何をしたというのだろう?)
(ただ、母様と二人、静かに幸せに暮らしていただけだったのに。)
(弱者を踏み台にする強者と、それを羨み踏みにじられるだけの愚かな弱者。)
(ねえ、神様?)
(あなたはすべての人に等しく、苦しむ人を救ってくれるんでしょう?)
(なのに、どうして僕たちを助けてくれないの?)
(僕は今、こんなにもあなたを求めているのに――)
(ねえ、神様……?)
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