↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
言祝ぎの神は願い方を知らない ~世界を変える神と、願いが尽きないエリート巫女~  作者: 深井利用


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
33/35

第33話 四本

昨夜、初めて抱擁というものをした。


手が背に回ったこと自体は、前にもある。あれは三秒の宣言付きだった。宣言も、目的も、秒数もない抱擁は、初めてだった。きっかけは、思い出せる限り、何でもなかった。夕方の茶が終わって、カップを二つ洗って、生垣の木戸のところで「おやすみ」を言う。いつもの位置で、どちらからともなく、距離がなくなった。手を繋ぐのはもう何度もしていた。それより少し多くて、ずっと古い形の接触がそこにあった。


五百年と、二十数年が、生垣の横でしばらく黙って立っていた。


「……もう少し、こうしていたい」


と、リゼアは言った。言ってから、律儀に付け足した。


「時間の話ね。念のため」


「分かっている」


分かっている、の声が、頭のすぐ上でした。もう少しは、体感でもう少しより長く続いて、それから、いつもどおり「おやすみ」で終わった。官舎に戻って、リゼアは手帳を開かなかった。開かない夜はいい夜である。


いい夜の翌朝が静かに済む保証は、この丘には昔からない。


で、翌朝である。


「……腕、増えてない?」


聖堂の定位置に、神は、いつもどおり立っていた。いつもどおりの姿勢で、いつもどおりの顔で、腕が四本あった。


「増やした」


「なんで」


「昨日、お前は『もう少しこうしていたい』と言った」


「時間の話だよ、本数は頼んでないよ」


「頼まれていない」神は、事実を述べた。「私が、望んだ」


望んだ、を、この人はもう普通に言う。ここまで来るのにかかった歳月の長さを、世界でわたしだけが知っている——という感慨は、目の前の四本の腕の前では、正直、あまり仕事をしなかった。四本である。祭服の肩まわりは、どういう理屈か破綻なく四本に対応していて、仕立ての様式がどうしても気になった。


「……服は? どうなってるの、それ」


「直した。服は、私の神具だ」神は言った。「腕と、同じ手間だった」


持ち主が自分で仕立て直したのである。直された祭服は、四本の袖を、さも五百年前からそうでしたという顔で下げていた。様式課が見たら卒倒する。卒倒してから、袖数の欄を新設する。


「増やすの、面倒なんじゃなかったの」


「面倒だった」神は言った。「面倒を、上回った」


何が、とは言わなかった。


*


場所は庭に移した。聖堂で抱擁の試験をするのは、さすがに様式に障る気がした。言い出したのは、リゼアである。


「それで……どうするの、それ」


「試す」


神は、四本の腕を、検分するように開いた。リゼアは三歩ぶん後ろに下がった。統制官の職業的距離である。下がってから、一歩、自分で戻した。残りの二歩は、三秒で詰められた。


四本の腕で、丁寧に抱かれた。


丁寧、というのが一番近い。二本は背中に、二本は肩に。昨夜より、温かい場所が多かった。圧は均等で、配分は正確で、設計思想が感じられた。この人は昨夜の一回を、観測して、解析して、改善案を実装してきたのである。世界でいちばん強い権能を持つ存在の、開発力の使い途がこれだった。


「どうだ」


リゼアは答える前に、自分の職業倫理を探した。こういう時に限って見つからない。見つからないまま、口が先に動いた。


「……比較するには、六本も必要では?」


「可能だ」


「待って。今のわたしを採用しないで」


「棄却するのか」


「保留! 保留です!」


保留、という語の使い途を、この聖堂は本当にいろいろ覚えた。神は腕を増やさず、減らしもせず、四本のまま、検討の顔をしていた。リゼアは四本の中から、ひとまず脱出した。脱出に、本気を出せば三秒かからなかったはずだが、体感でもう少しかかったことは、手帳に書かない。


「あのね。先に、理屈を聞かせて。なんで四本なの」


「昨夜、二本では、背中と肩に、同時に届かなかった」と、神は言った。「腕が二本なのは、人間の制約だ。私の制約ではない」


「そこは人間に合わせてよ」


「なぜだ。お前は、月に行った女だ」神は、静かに言った。「望みを小さくするな、と言ったのは、私だ」


理屈が、また通ってしまった。しかも今回は、わたしが撃った弾である。統制官は生垣を背に、しばらく、神学的に追い詰められていた。


(いや、でも、待って。冷静に。比較検証するなら、条件統制が要る。同一時刻、同一服装、変数は本数のみ。二本、四本、六本。各三回、順序はくじで——)


(——やめなさい。わたしの中の統制課。今日は閉庁です)


*


結論は、夕方までに出た。昼のあいだ、神は四本のまま、通常業務を一件こなした。願文の箱を、四本の腕で同時に検めるのは、認めたくないが効率が良かった。良かったことも、手帳には書かないが、効率の数値だけは頭が勝手に取っていた。統制官の頭は、倫理が閉庁していても計測だけは開いている。


「普段は二本にして」と、リゼアは言った。「仕事中に四本あると、わたしの目が泳ぐの。受付の人も泳ぐ。トバイアスさんは多分、様式を作り始める」


「作るだろうな」


「作るんだよ。だから、普段は二本」


「普段は」神は、その二文字を、正確に拾った。「では、普段でないときは」


リゼアは、生垣の向こうの夕方を見た。見たまま、答えた。この返答だけは、目を見てする練習を、まだしていない。


「……四本は、まあ、あり」


「記録する」


「しなくていい!」


「記録しなくても覚えている」神は言った。「忘れるという機能を、持っていない」


その機能なら、わたしもこの件に関しては壊れている——とは、言わなかった。言わなくても、多分、観測されている。夕方の光の中で、神の腕は音もなく二本に戻った。戻った二本が、少しだけ所在なさそうに見えたのは、気のせいということにしておいた。


「六本の検証日程は」


「組まない!」


「いつでも、受け付けている」


受付の様式はないくせに、受付だけは常設されたのだった。

お読みいただき、ありがとうございます。

もし少しでも気に入っていただけたらブクマや評価をつけていただけると、とても励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。