第26話 神の記録③・空の記録
観測記録は続いている。続いている、と書くために続けている。
後任の統制官の言葉は、完璧な箱で届く。ヴォスの箱よりさらに完全かもしれない。開けると、願文と確認事項だけが入っている。感情の余りも、願いの染みも、八つ当たりも、鼻歌に満たない何かも、入っていない。五百年、こういう箱だけを受け取ってきた。受け取り方は覚えている。身体が──身体というものがあるとして──覚えている。だから業務に支障はない。
気づいている。支障がない、は、以前の「不服はない」と同じ書体で観測記録に書かれている。確認を要する事実。毎日確認される無事。無事の確認が日課になった記録は、無事では、多分ない。
*
夕方の欄は廃止した。
該当なし、を綴じ続けた棚は、名札のないままいっぱいになった。いっぱいになった棚は閉じた。夕方という時間区分そのものを観測項目から外した。外せば、該当なし、を書かずに済む。
合理的な処理だった。
処理の三日後、神は気づいた。観測項目から外した夕方を、自分は今も毎日観測している。記録に残す欄がないだけで、観測は続いている。欄のない観測はどこに溜まるのか。五百年の神学に答えはなかった。溜まる場所だけが、確かにあった。
トバイアスのどうでもいい質問は続いている。受付の終わりに、あの神官は、毎回ひとつ業務外のことを訊く。茶の味。燭台の位置。十一段目から海は見えるか。質問の出どころは確認するまでもなかった。質問の形をした回線である。向こう側に受取人がいる。
だから、答えは正確に作る。
「温い、が、ない」。あれはいちばん正確な現状だった。正確さだけが、この回線で私に送れる唯一のものだった。願いは載せない。載せれば、あの神官の善意が、何かの運搬の責任を負う。恐れの伝達も載せない。載せれば、受取人が、規程と私をまた天秤に載せる。載せていいのは事実だけ。事実の選び方にだけ、私のものが少し載る。
質問は、回を追うごとに育っている。先々週は「十一段目から、海は見えますか」だった。「見える」と答えた。先週は「海の色は」だった。「日による」と答えた。あの神官の様式にない業務は精度を上げ続けている。人間は、教えなくても勝手に上達する。五百年観測してきた事実だが、身近で見ると、観測記録より速い。
今日の質問は、「お変わりはないか」だった。
「ない」と、答えた。
変わらない、は、嘘ではない。私は変わらない。変わらないことが、今はいちばんの変化だった。この答えの底は、多分、あの神官には届かない。届かなくていい。
*
扉は受付のたびに開く。開いた扉を見る。見ていることは自覚している。扉の向こうは石段で、石段の先は麓で、麓には局があり、局の三階の南端に統制課がある。ここまでの経路情報を、私は保有している。保有している情報を、毎回、開いた扉に重ねる。
行くことはできる。神格の移動は願いを要さない。大聖堂へも行った。海の底へも、月へも行った。麓の局まで、歩数にして──計算はした。
一度だけ、夜、扉を開けた。
石段を、下りた。一段。五段。十一段目で、止まった。あの者が毎朝、三秒だけ海を見ていた段である。夜の海は見えなかった。見えない海を、しばらく見た。あの者の目の高さは、ここから、この角度だった。毎朝、三秒。五百年の私が知らなかった海を、あの者はこの段から毎朝見ていた。
上りなおした。
あの者は規程を選んだ。規程が自分たちを引き離すと知っていて、規程の正しさの側に立った。「正しさを、わたしが壊したら──あなたの隣に立つ資格の方が、先に消える」。あの言葉は剥き出しの輪郭で届いて、記録のいちばん深い棚に、綴じずに置いてある。
私が麓へ下りれば、規程は壊れない。だが、あの者が守ったものを、私が軽くする。半年かけて積んだものの上を、私の一歩が歩いてしまう。
だから、行かない。
行ける。行かない。行かない、を、毎夕実行する。五百年、力を使うことだけをしてきた。使わない、という使い方を、この夕方たちが教えている。
*
呼ぶ、についても検討した。
あの者の名を声に出すこと。リゼア・ヴァレス。あるいは、もっと短い、呼び慣れたほう。音にすれば、届くか。届かないか。人の耳の仕組みなら、届かない。だが私の声は、人の声ではない。私の言葉は、人の言葉と同じ法則の上に載っていない。
載っていないから、こわい。
──という語を、記録は初めて私の行として記録した。私は五百年、人間の恐れを受け取る側だった。意味なら、辞書的には完全に理解していた。辞書的には。
呼びたい。
その三音は、もうある。記録のどこにも書いていないのに、ある。書いていないものがあるということを、私はあの巫女の手帳から学んだ。書かない欄。まだ書かない欄。欄のない観測の溜まる場所。人間たちはあれを抱えて、あの薄い身体で毎日歩いているのか。
呼びたい。呼べば、それは口にした望ましい未来だ。つまり、願いの形だ。
私が願いの形の言葉を発したとき、世界に何が起きるのか。誰がそれを言祝ぐのか。誰も言祝がなくても、私の言葉は、私の権能の上を素通りできるのか。未検証である。未検証のものを試したがる者を、私は一人だけ知っている。あの者なら、言うだろう。試そう。戻せるなら、一回だけ。
戻せるかどうか分からないから、試さない。
試さない代わりに、神は、誰もいない聖堂で燭台を見る。後任の直したまっすぐな燭台を。ずらすことはできる。指二本ぶん。できる。しない。ずらせばそれは何かの表明になる。表明は、口にしない願いの親戚である。親戚までなら、規程は禁じていない。禁じていないことと、していいことの間に、五百年が積んである。
燭台は今夜もまっすぐのままである。
まっすぐな燭台の、炎だけが揺れる。揺れは表明ではない。揺れは、ただの物理である。ただの物理を、神は、長いこと見ている。
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