第18話 神の記録②・監察下の記録
第18話 幕間・監察下の記録
観測記録は続いている。
監察官ヴォスの言葉は今日も完璧な箱で届いた。朝の定例質問、三問。御神に不服はおありですか。ない。統制に変化はありますか。ない。他に申告される事項はありますか。ない。三つの「ない」を、あの者は同じ速度で帳面に書く。
返答は毎朝同じだった。夕方の記録だけが、ひと月前から変わっている。
あの巫女が来てから、夕方の欄はよく埋まった。茶、温い。菓子、甘い。二杯目。三杯目。「コトホギヌス、お茶飲む?」。落差の最大値。詭弁と神学。催促、第一号。
このひと月、欄にはこう書かれている。
──該当なし。
神は毎夕、それを記録する。書く前に、以前の記録を確かめることが増えた。長らく空欄だった頃には、一度も調べ直さなかった欄である。
茶の記録は細部まで残っている。カップの重心が、注がれるたびに変わる速さ。二杯目の湯気が一杯目より低いこと。三杯目を注ぐ時の、あの巫女の「はいはい」の抑揚が一回目と二回目で半音違ったこと。
記録は完全である。完全な記録は、しかし、温くない。
──欠けている。
神はこの語を、五百年、他者の願いの中でだけ見てきた。雨。子。健康。帰り。あの言葉たちは、欠けたものの名を必ず持っていた。
では、この夕方に欠けているものの名は。
神はそこで検討を打ち切った。
*
あの巫女の言葉に包装が現れ始めている。
監察官の前で発される言葉。記録されると知っていて、選ばれる言葉。輪郭はまだ濃いが、その外側に紙一枚ぶんの包みがある。五百年、箱入りの言葉ばかり受け取ってきた神には、その薄さも分かる。以前はそれもなかった。
村の願文の日、一度だけ包みが剥がれた。
「うむ、じゃないよ」
直後に、「ごめん。八つ当たり」。
八つ当たり。記録を検索した。他者に向けるべきでない感情を、たまたま近くにいた者へ向けること。つまり、感情の誤配送である。
宛先を検討した。制度か。基準か。願文か。自分自身か。判定はできなかった。
ただ、あの日、あの巫女の感情が包装なしでこの祭壇の前まで届いたのは、あれが唯一だった。
判定不能の棚のその一件だけ、綴じ紐を緩くしてある。
理由の欄は、空欄である。
*
夕方、ヴォスの視線が盆の上の乾いたカップに触れた。〇・三秒。三日に一度ほど、こうなる。触れて、逸れて、帳面には何も書かれない。
やがて監察官が去り、夜になった。
ヴォスの官舎の灯は、決まった時刻に消える。あの巫女の官舎の灯は、決まらない時刻まで点いている。今夜は遅い。書き物をしている夜の灯り方である。何を書いているのかは、ここからは分からない。
──官舎の灯、遅い。理由、不明。分類、保留。
今夜も、夕方の欄には「該当なし」と書いた。
欄を閉じた。官舎の灯はまだ点いていた。
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