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マネーリスタート  作者:


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第5話 最大の石コロ

黒崎の言葉と同時に、トレーディングルームの照明が突如として全て消灯した。

サーバーラックのうなりが止まり、完全な闇と静寂が部屋を支配する。

「な、なんだ!? 停電か!?」

踏み込んできた捜査員たちが動揺し、懐中電灯の光があちこちで激しく交錯する。

「こちらです、明央さん、莉子さん」

闇の中、黒崎の冷静な声が響いた。彼は明央の腕を掴むと、部屋の壁際へと誘導する。本棚だと思っていた場所が音もなくスライドし、人が一人通れるほどの隠し通路が現れた。

「これは……」

「このビルは、かつて仕手筋が警察のガサ入れから逃れるために使っていた、いわく付きの物件です。さあ、早く!」

明央と莉子は黒崎に促され、狭い階段を駆け下りた。背後から「おい! 待て! 逃げるな!」という捜査員たちの怒号が遠ざかっていく。

地下の迷路のような通路を抜け、地上の喧騒から離れた裏路地に出ると、そこには昨日のものとは違う、目立たない国産のワンボックスカーがエンジンをかけたまま待機していた。

「乗り込んでください」

黒崎が運転席に飛び乗り、車を急発進させる。窓の外を、サイレンを鳴らしたパトカーが何台も通り過ぎていった。

後部座席で荒い息を吐きながら、莉子が青ざめた顔で言った。

「危ないところでした……。でも黒崎さん、『予定通り』ってどういう意味ですか? 明央さんは逮捕一歩手前だったんですよ!?」

「神谷が警察を動かすタイミングを、計っていたのです」

黒崎はバックミラー越しに、シートに深く寄りかかる明央を見た。

明央は、じっと自分の手のひらを見つめていた。

プラカードを握り、キーボードを叩き、そして神谷の手によって再び泥を塗られた、その手を。しかし、彼の瞳から自信は消えていなかった。むしろ、凍りついたような冷徹な光を放っている。

「黒崎の言う通りだ、莉子。神谷は俺が動くのを待っていた。だが、あいつも一つだけ致命的な計算違いをしている」

「計算違い……?」

「あいつは、俺が『21万円の元手で風説を流した』と思っている。だが、ネットに流したあの特許契約書のコピー……あれは黒崎が用意したものだ。つまり、情報の発信源は俺じゃない」

明央は不敵に笑った。

「法的に『風説の流布』を立証するには、発信者が不正な利益を得る目的があったことを証明しなければならない。俺はネクスト・フロンティア社の株を1株も空売りしていないし、利益も得ていない。警察の捜査は、神谷の独善的な通報による『空振り』に終わる」

「では、あの噂を流した本当の目的は……」莉子が息を呑む。

「神谷に、自社株のTOB(公開買付け)を『今この瞬間』に発表させることだ。あいつは個人資産を総動員して、市場から安値で株を買い漁ろうとしている。つまり、神谷光一という男のすべての資金が、いまネクスト・フロンティア社の株一点に『集中』している状態だ」

明央はポケットから、あの謎の老人から渡された古びた手帳を取り出した。

パラパラとページをめくると、後半の白紙だったページに、いつの間にか新しい文字が書き込まれていた。

『敵の兵力が一所に集まる時、その背後は空虚なり。

 195円から得た21万15円。これを“鍵”に変え、神谷の心臓部を解錠せよ』

文字の横には、あるシンガポールの投資ファンドの名称と、暗号のようなアクセスコードが記されていた。

「この手帳……あの爺さん、一体何者なんだ」

明央が呟く。

「お気づきになりましたか」

黒崎が車を首都高速へと乗せながら、静かに語り始めた。

「あの老人は、かつて兜町を裏から支配した伝説の相場師です。そして、現在の私のクライアント……すなわち、明央さん、あなたの母親である西川佳代様から、あなたをテストするために頼まれた御方です」

「お袋が……!?」

明央は絶句した。

『本当に強い人間は、地面に倒れた時に、そこにある石コロを掴んで立ち上がるものよ』

昨夜の母の言葉が脳裏に蘇る。

母は、息子が実業家として成功し、傲慢になり、そして親友に裏切られることまで予見していたというのか。いや、違う。転落した息子が、本当に自力で這い上がる力があるのかを試すために、あの195円の夜、すべての歯車を噛み合わせたのだ。

「佳代様は、あなたが立ち上がるための『最大の石コロ』を用意して待っています」と黒崎は言った。

「神谷がTOBのために全資産を投入した今、彼の足元はガラ空きです。ネクスト・フロンティア社のメインサーバー、その管理権限のパスワードを、神谷は本日15時に変更する予定です。社内の協力者から得た情報です」

「メインサーバー……。俺が作った、会社の根幹システムか」

明央の顔に、かつての天才プログラマーとしての、狂気にも似た笑みが浮かんだ。

「神谷、お前は株を集めて会社を支配した気になっているようだが、箱だけ手に入れても中身がなきゃ意味がないんだよ。お前が全財産を注ぎ込んだその会社を、今度はシステムごと機能停止バグに追い込んでやる」

195円から始まった逆襲劇は、親友の裏をかく壮絶なサイバー&マネーウォーズへと突入していく。


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