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マネーリスタート  作者:


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第2話 不敵な軍資金

黒塗りのセダンが、激しい雨を切り裂いて都心を走り抜ける。

車内は、外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。

明央は後部座席に深く腰掛け、隣に座る莉子と、バックミラー越しに自分を見つめる黒崎の視線を感じていた。手のひらの中には、先ほど老人に渡された古びた手帳と、195円の硬貨が冷たく握られている。

「説明してもらおうか、黒崎と言ったな」

明央は、かつて数千人の社員を率いた実業家としての鋭い声を絞り出した。「俺をもう一度、西川明央にする……どういう意味だ。今の俺には、お前に払う報酬など1円もないぞ」

黒崎はハンドルを握ったまま、低く落ち着いた声で答えた。

「報酬なら、すでに十分すぎるほど頂いております。私のクライアントは、あなたの再起にそれだけの価値があると判断されたのです」

「クライアント? 誰だ」

「それはまだ、明かすわけにはいきません。ですが、その方はあなたの“あるもの”が、神谷光一ごときに奪い去れるほど安いものではないと知っておられる」

神谷の名が出た瞬間、明央の奥歯が軋んだ。

信じていた。大学のサークル室で、カップ麺を啜りながら「世界を変えるシステムを作ろう」と誓い合った仲だった。その絆が、金と権力という怪物によって、これほどあっさりと踏み崩されるとは思ってもみなかった。

「……莉子」明央は隣を見る。「お前は、この男の雇い主を知っているのか?」

莉子は真っ直ぐに明央を見つめ、静かに首を振った。

「いえ、私も詳細は知りません。ただ、神谷の裏切りで孤立した私に、この黒崎さんが接触してきたのです。『西川明央を救いたければ、手を貸せ』と。私は、明央さんの才能がこんなところで潰れていいはずがないと思った……それだけです」

莉子の言葉には、一切の迷いがなかった。

自信過剰で、周囲を顧みなかったかつての自分。そんな自分を、泥沼の底から引っ張り上げようとする人間がここにいる。明央の胸に、熱い塊が込み上げた。

「……フッ、いいだろう」

明央は自嘲気味に笑い、手帳を開いた。

そこには、流麗な毛筆の文字で、ある住所と短いメッセージが書かれていた。

『東京都中央区日本橋兜町 〇-〇 初陣の場。195円を、19万5千円にせよ。制限時間は48時間』

「兜町……。株か?」明央が呟く。

「さすが、話が早い」黒崎がバックミラー越しに目を細めた。「ですが明央さん、ご存知の通り、あなたの名義の口座はすべて凍結されています。証券口座を開くことも、通常の取引を行うことも不可能です。195円をそのまま軍資金として、現金のまま、あるいは別の手段で増やすしかない」

48時間で、195円を1000倍の19万5千円にする。

常人なら「不可能だ」と吐き捨てる無理難題。しかし、明央の脳細胞は、すでに猛烈なスピードで回転を始めていた。アドレナリンが全身を駆け巡る。

「……面白い。やってやろうじゃないか」

数時間後。セダンは都内の一角にある、古びたビジネスホテルに到着した。

黒崎が用意した臨時の潜伏先だ。

部屋に入り、莉子が淹れてくれた熱いコーヒーを一口飲むと、ようやく人心地がついた。雨に濡れた体を乾かし、明央は窓の外の夜景を見つめる。

その時、明央のスマートフォンが振動した。

神谷によって会社を追われた際、辛うじて私物として持ち出せた、回線が生きているだけの端末だ。

画面に表示されたのは、登録のない番号。しかし、明央はその数字に見覚えがあった。

実家の、母親の電話番号だ。

迷った末に、通話ボタンを押す。

「……もしもし」

『明央?』

受話器から聞こえてきたのは、少し掠れた、しかし聞き慣れた西川佳代(56)の声だった。

『大変なことになっているみたいね……』

明央はプライドが邪魔をし、思わず声を荒らげそうになった。

「俺なら大丈夫だから、余計な心配は――」

『強がらなくていいのよ』

佳代は、明央の言葉を優しく遮った。

『あんたは昔から、転ぶのが怖くて、転んだらすぐに立ち上がろうと躍起になる。でもね、明央。本当に強い人間は、地面に倒れた時に、そこにある石コロを掴んで立ち上がるものよ。……身体だけは大切にしなさい』

それだけ言うと、佳代は電話を切った。

一方的な通話だった。しかし、明央は受話器を握りしめたまま、立ち尽くした。

「地面にある、石コロ……」

明央は、デスクの上に置いた195円を見つめる。

そして、その横にある古びた手帳。

なぜ、あの謎の老人は自分の財布の中身を知っていたのか?

なぜ、黒崎という男が都合よく現れたのか?

そして、なぜ母はこのタイミングで電話をかけてきたのか?

点と点がつながりそうで、まだつながらない。

だが、明央の心から、迷いは完全に消え去っていた。

「莉子、黒崎。明日、朝一番で兜町へ向かうぞ」

明央は、かつての傲慢な笑みを取り戻していた。しかし、その眼光は以前よりも遥かに深く、冷徹だった。

「神谷。お前が俺から奪ったもの、利息をつけて全額返してもらう」

195円から始まる、元天才実業家の命懸けのマネーゲーム。

その第一歩が、いよいよ始まろうとしていた。


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