1-9 糸に触れる
それからの3日間は、同じことの繰り返しだった。
朝、草原へ。糸を探して薬草を摘む。夕方、ギルドで売る。給金の証書を渡す。寝る。
地味だが、悪くないリズムだ。日々の売上は9,000ゼナまで伸びた。糸が見えるスキルのおかげで、コンスタントに薬草を確保できている。
変わったことと言えば、1つ。ノルが俺を抱えて草原まで運ぶようになった。
「主の足では遅い。時間の無駄だ」
俺が魔力の使い過ぎで気を失った次の日の朝から、そう言って、俺をひょいと片腕に載せて草原まで往復してくれるようになったのだ。確かに、6歳の足での往復1時間は、ノルの足なら半分以下になる。俺の体力温存にもなる。完全に理にかなっている。理にかなってはいるが──あの仏頂面だった男からの申し出に、俺は内心、少しくすぐったかった。
ただし、使用者としては、嬉しいからと労基法違反をするわけにはいかない。
「ノル。これは、契約外業務だよ」
「は?」
「ノルの契約区分は護衛奴隷。人員の輸送は業務範囲外。させるわけにはいかない」
「……主を運ぶのに、契約もクソもあるかよ」
ノルは最近、少し言葉使いが素になってきた。主人に使うには不適切なその乱暴な言葉使いが、野良猫が慣れてきたようでちょっと嬉しい。
「あるから言ってるんだよ。契約の業務範囲は厳守します」
ルーデンから出る門の所で、大男と6歳児が睨み合う。ノルは「降ろさん」と言い、俺は「降ろせ」と言う。通りすがりの行商人が、興味津々の顔で眺めながら通り過ぎていく。
交渉の末、労使交渉はお互いに妥結した。輸送業務に対し、特別交通費として日額200ゼナを支給する。これも現金は無理なので、証書に上乗せして記載する形だ。ノルは「意味がわからん」という言葉を3回言ったが、俺は気にせず、200ゼナをプラスした証書を渡している。3日目には、丁寧に折ってからしまうようになった。
さて、その会計収支だ。宿の部屋で、俺はメモ帳を開いた。
1日の支出:弁当、夕食、大部屋、合計4,100ゼナ。ノルへの未払い分は、日給と特別交通費を合わせて3,200ゼナ。支出合計は、7,300ゼナだ。
1日の収入:下級薬草30本と中級2本で、9,000ゼナ。
毎日、たった1,700ゼナの稼ぎだ。ノルへの支払いを証書にして後日払いにさせてもらっているので、実際は手元にはプラス4,900ゼナが残る。だが未払い賃金の総額は、12,600ゼナになっていた。
赤字ではない。だが借りは、確実に膨らんでいる。残金53,200ゼナ(ノルへの未払い分を含む)。魔法鞄どころか、ノルの武器を買う余裕すらない。
しかも、明日と明後日は休日だ。週に2日の休み。これは俺が決めた、うちの就業規則(まだ完成してない)である。法定では週に1日だが、やっぱり週休は2日でしょ。休日は労働ゼロ、給料もゼロ。だが、食費と宿代は使用者負担で出ていく。使用者として胃が痛い制度だが、辞める気はない。
「ノル。明日と明後日は休みだ。なんなら証書を1枚、換金するか? 3,200ゼナあれば、酒でも賭場でもちょっとは遊べるだろ?」
「不要だ」
「即答なんだ。ノルの権利だぞ、これ」
「金を持った奴隷は、難癖を付けて巻き上げられるだけだ」
なるほど、身も蓋もない拒否理由だった。だが換金の申し出自体は断られても、持ちかけた意味はあった。あの紙切れが本当に金に換わるものだと、一度は提示できた。少しは俺の誠意も伝わっただろう。たぶん。
「では、休みの過ごし方だけ、ここでハッキリと決めておきます。休日は、俺と一緒にいる義務はないし、俺の言葉に対応する必要もありません。最新ガイドラインの『つながらない権利』というやつです」
「つながらない……けんり?」
ノルは、謎の呪文を聞いたような顔をした。気持ちはわかる。俺も初めて聞いた時は、同じ顔をしていたから。だが、大事なことだ。おいおい研修していこう。
翌日は気持ちのいい朝だった。
俺はこの休日を、ずっと待ちわびていた。「自由にしていいなら、ギルドの訓練場で鍛錬してくる」というノルと別れ、そう、向かうはルーデンの図書館だ。
閉館時間まで粘って、3つのことを調べた。
1つ目は冒険者の規約だ。スキル無しで登録したが、クリマイトの変更申請はしたくない。隅々まで調べて、そっと規約を閉じた。
「……よし。虚偽申請ではない。あの時点では真実だった。修正申告の義務はどこにも書かれていない。セーフだ。セーフとする」
2つ目は大陸奴隷法の完全版。分厚い法典から、主として必要な条文を小冊子に書き写す。契約変更の手続き、傷病時の補償、退職金の規定。実務で使う条文は、手元にないと話にならない。
「やっぱ、読めば読むほど日本の労基法なんだよな……どゆこと?」
3つ目は──スキルの歴史だ。
記録に無いスキル。ユニークスキル、と本にはあった。歴史上、100に満たない種類しか確認されていないが、唯一無二の能力であることが多い。『神の恩寵』であり、6歳の鑑定で判明する。最終的に王族と結婚して王城内で一生を終えることが多い。医療系のスキルの場合は例外で、神殿で聖人として『神の恩寵』を人々に還元する。
……なるほどな。
ページを閉じて、俺はようやく腹の底から理解した。守秘義務どころの話ではない。取り扱い区分、最高レベル。社運がかかった超機密情報で、エンタープライズ版AIにも書き込み禁止の情報だ。一気に気持ちが引き締まる。王城や神殿で軟禁されるなんて、絶対に嫌だ。
ここ10年程は、大陸全体で新しいユニークスキル持ちが見つかってないらしい。つまり、未来予知なんかに比べると地味な俺の「繰魔糸」スキルでも、バレると真剣にマズい。
報奨金をだしている国もあるみたいだし、何故、神殿の追手がここまで来ていないのか本気で不思議なレベルだ。両親と一緒に死んだことになっているのだろうか。さりげなく神殿の情報を集める方法を探さなければ。
残りの時間で、この世界を手っ取り早く学ぶために、事典類を片っ端から眺めていた。
「エンシャントドラゴンの宝珠」
「オズワルド王の呪われた緑柱石の王冠」
「不老不死の精霊薬」
「賢者ナリスのアルカナカード」
「世界樹の地図」
前世の俺は、特にファンタジー好きではなかった。どちらかと言うと、終末世界で地味に物資を集めるような主人公の話を共感しながら読んでいた。だがやはり、魔道具や素材の説明を読んでいるとワクワクしてくる。さっきまでの憂鬱な気分が、少し癒された。お金が貯まったら、是非、フルカラーの『世界のお宝辞典』を手に入れたい。
夕食後。俺は、温めていた思いつきを試すことにした。
実は薬草の採取中に気づいたのだ。ぐっと意識を強めて「見る」と、糸に指先で触れられる。ただし、触れている間の消耗は、見るだけとは桁違いだった。
消灯前の大部屋の隅。角に向いた俺の背に、毛布を被ったノルにどっかりと胡座をかいて座ってもらう。この体格だ、俺の手元は外から完全に死角になるはずだ。
「ノル、そのまま壁になっててくれ。あと、俺が寝落ちしたら、そのまま毛布をかけておいてくれれば大丈夫だ」
「主……何をする気だ」
「ちょっとした実験だ。後は頼んだ」
膝の上に、売らずに取っておいた中級薬草を1本置く。
失敗したら3,000ゼナの特別損失だと思うと、少し緊張する。
5巻している魔力の白い糸に、そっと指で触れる。ひやりとした、固体とも液体ともつかない不思議な感触だ。そっとつまんで、慎重にゆっくりと引っ張る。糸が細く伸びる。
ガクンと体から何かが抜けていった。
伸びた分を、葉の根元にもう1周、巻き付ける。6巻。ふわっと薬草が光って、ドキッとする。もう1周。7巻。再度、薬草が光る。
「大丈夫だ、光は漏れてない。だが、そろそろ止めた方がいい」
後ろで壁になってくれているノルがささやく。「もうちょっとだけ」と答えて、糸をつまむ。だが、そこから先は、引っ張っても伸びなかった。これが限界らしい。
額から汗が滴っていた。呼吸が少し荒い。だが、膝の上の薬草は、さっきより明らかに濃い緑につやめいている。これで、中級薬草が上級薬草になったはずだ。
2本目。同じ手順。伸ばして巻く。7巻。
喉が渇いて、視界の端が暗くなってきた。ああ、来たな。3本目は無理か。
「クリ魔糸」は「繰り魔糸」が正解っぽいな。魔力の糸を操る能力だ。
意識を手放す寸前、俺の胸にあったのは、体の辛さを上回る満足感だった。
こいつは──儲かるぞ。
明日から、一日一話、12時に投稿します。




