1-45 出発 【第一章完】
魔法鞄の素材となる蜘蛛の糸束は揃った。しかも魔法鞄の素材として必要な60束のうち、女王蜘蛛の糸束が40もあるので、かなりの収納容量と重量軽減が期待できるようだ。
だが、問題は付与職人である。
女王蜘蛛の糸束を特殊な布に織る職人と、空間拡張の付与ができる魔道具師。ギルドの受付で聞き、革工房のおやじに聞き、道具屋のおやじに聞くと、全員が同じ答えだった。
「このルーデンにはいないよ。領都のヴァルグラードまで行きな」
ヴァルグラード。ここから馬で10日かかる。この地方の領主が住んでいて、商業ギルドや職人ギルドや魔道具工房もある領都だ。魔石も、ここより高値で売れる。行くしかない。
「お前たちは、とうとう領都か」
ガロスさんは応接間で茶を啜りながら、しわだらけの顔を少し寂しそうに歪めた。奥のソファに、ザイデンさんが腕を組んで座っている。
「冒険者の旅立ちは、止めるんじゃねぇぞ、爺さん」
「わかっとるわ。キンネ坊、これは紹介状じゃ。ヴァルグラードのギルド長は儂の弟弟子じゃ。ちぃと頭が固いやつだが、真っすぐな奴じゃ」
「爺さんに比べたら、誰でも頭が固くなるに決まってんだろ。がははっ」
ガロスさんは俺に紹介状を渡した後、立ち上がってザイデンさんの頭をはたいていた。俺も立ち上がって、持ってきた焼き菓子の箱を差し出した。女将さんの宿の名物で、サックリホロホロの美味いビスケットだ。訪問挨拶にお菓子は必携だ。切腹最中を何度、買いに行かされたことか。
「ありがとうございました。ガロスさん、ザイデンさん、本当にお世話になりました」
「おお、坊主は気が利くのう。ザイデンも見習うたらどうじゃ」
「うるさいぞ、爺さんは隠居したんだろ。もっとのんびりしろよ」
ザイデンさんが、嫌そうに顔をしかめる。
「キンネ、ノルグレン、本当に色々と助かった。お前たちの実力はBランク以上と言ってもおかしくねぇが、この前Eランクに上がったばかりだ。女王蜘蛛を倒してもDランクには上げられん。すまんな」
「気にしないでください。あ、そう言えば、最後にこれは言っておかないと」
俺は姿勢を正して、ガロスさんに向き直った。
「なんじゃ、改まって」
「冒険者ギルド職員規約の第8条。『業務上知り得た冒険者の個人情報を、みだりに外部へ漏らしてはならない』」
「ほう、よう読んどるのう」
「町長さんは、僕たちが瘴気の沼に通っていることをご存じでした。道具屋のおやじさんは、ノルに魔力が無いことを知っていました。酒場では、僕が数字の天才だという噂が流れていました」
「……」
ガロスさんの手が、菓子の箱の上で止まった。
「出どころは、全て酒場で同じ方からだとか?」
「ま、待つんじゃ。儂はもう職員ではないから、規約は──」
「では、職員ではない外部の方が、ギルドの帳簿や予算書を自由に見ていたことになりますね。そちらの方が問題かと」
「……ぐぬ」
ザイデンさんが、ソファで腹を抱えて笑い出した。
「がははっ! 爺さん、逃げ道を塞がれてるじゃねぇか!」
「お主も笑っとる場合か! 儂を出入りさせとるのは、ギルド長のお主じゃろうが!」
「……え、俺?」
ザイデンさんの笑いが、ぴたりと止まった。
「管理責任は、ギルド長にありますね。規約の第2条ですよ」
「「……」」
新旧ギルド長が、そろって黙り込んだ。
「これからはお酒を飲むときに、気をつけてくださいね」
「……わかった。酒場では、少し控えるわい」
「少しかよ」
ザイデンさんの小声のツッコミに、ガロスさんが無言で頭をはたいた。
今後のためにも、釘を刺しておかないと。最後まで目立たない新人作戦は続行である。手遅れ感はあるけれど……。
ギルドの窓口で、登録の転出届を出した。
リーナさんの手が一瞬だけ止まった。
「……ふうん。おチビちゃん行くんだ」
それだけ言って、いつも通りの速さでサクサクと処理を済ませた。6歳児ミラクル目線の絶景も見納めだ。
受付カウンターの後ろには、『春の身体検査(所属冒険者、隷属者全員必須)』の告知が貼られていた。ガロスさんが主導した新しい試みで、隷属者として登録されている奴隷まで身体の状態を医師が確認することになったのだ。町長さんも費用の一部を負担しているらしい。そして、身体検査の義務化が発表されてから、一部では奴隷に対する暴力が減り、食事も少しマシになったと聞いた。
俺がチラシを見ているのに気付いたリーナさんが、ニッと笑ってサムズアップしてくれた。
コゲは、事務室を一周して、あちこちで寂しそうに「くぅん」と鳴いて、みんなに抱きかかえて撫でてもらっていた。だが、尻尾は元気にクルクル回っていて、演技なのは確定だ。まぁ、若いお姉さんだけでなく、おじさんやお兄さんにも同じ態度なので許してやろう。
次は警備隊だ。隊長のマドックさんは詰所の机で書類と格闘していた。俺が用意した見本書式を見ながら、真面目に記入している。
「マドックさん、お世話になりました」
「おう。……寂しくなるな。書類の質問は、誰にすればいいんだよ」
「事務員のお二人が全部できます。大丈夫です。──あ、そう言えば、最後に一つだけ」
菓子の箱を渡しながら、この前、図書館で見たことを教えた。
「官報に、来月から『器物破損の減点制度』が始まるって載ってましたよ。取り調べで机や壁を壊さないように気を付けてくださいね」
マドックさんの顔から血の気が引いた。
「なんだと……つい、さっき」
「さっき?」
「……拳大の穴が……二つほど……壁に」
「修繕費の申告は備品台帳の別紙2の様式です。やり方は引継ぎ書の──」
「分かった! 聞く! 事務員にちゃんと聞くから!」
横で聞いていた隊員さんたちの顔色も、全員もれなく青褪めていた。頑張ってください。
灰月亭に戻って、最後の精算だ。
「女将さん、今週の宿代を精算します」
「精算ね。はいはい」
「えーと、宿泊費が7日分。あと、これ。コゲの宿泊費代わりに──」
「あら、まぁ。菫の砂糖漬けじゃないかい」
「コゲがいっぱい見つけたんですよ、な?」
「きゃうん!」
「コゲちゃん、ありがとね。あんたがいなくなると寂しいよ。これから私が失敗した焦げ肉を誰が喜んで食べてくれるんだい」
女将さんは、コゲの耳の後ろを掻きながら話しかける。コゲも女将さんの足元に寄って、甘えるように頭をすり寄せた。あれは、最後の焦げ肉を狙っている顔だ。
「あんたたち三人なら、どこへ行っても大丈夫だよ。元気でやんな」
「はい。本当にお世話になりました」
部屋をきれいに片づけて掃除をした。来た時よりも美しく。
ノルは魔道コンテナから、大事な剣──シルベリウスを取り出して背に背負った。
宿を出たところで、赤髭たちとすれ違った。赤髭は俺を見て、いつものように舌打ちをして通り過ぎた。清々しいほど相変わらずだ。ちょっと笑ってしまう。
その後ろから、あの荷物持ちの男がそっと近づいてきた。赤髭たちが角を曲がったのを確認してから、鉄貨数枚を見せながら小声で言った。
「あの……俺、300ゼナもらえるようになりました。あなたたちのおかげです」
本当に嬉しそうな顔だった。前より少しだけ顔色がいい。
「……そうですか。よかったですね」
俺はなんとか笑顔を作ったが、納得できなかった。労務奴隷の法定日給は2,000ゼナだ。300ゼナは、その7分の1しかない。それなのに、本当に嬉しそうに男が笑うから、胸が痛くなる。この男は、自分を買い戻す日はやってこないのに。
俺が俯いていたせいか、馬屋へ進んでいたノルの足が止まった。しゃがみこんで、抱きかかえていた俺の顔を覗き込む。コゲが俺の腕に頬を擦りつける。
「どうした。怒っているのか」
「怒ってるよ。300ゼナって、法定の7分の1だぞ」
「だが、あの男は今まで1ゼナももらっていなかった。300ゼナでも、あの男にとっては初めての報酬なんだ」
「分かってる。この世界の奴隷全員を救うなんて、俺にはできないし、俺の仕事じゃない。だけど、分かってるけど……赤髭野郎にちゃんと文句を言わない自分にも……どうしても、ムカつくんだ……」
俺だって総務歴10年だ。前世の会社では、それなりに清濁併せ呑んで仕事をしていた。役員が出してくる用途不明な飲食代も、営業部が持ち込むおかしな日付のタクシー代も、あきらかに縁故の不自然な人事も、課長のOKが出れば、粛々と処理してきた。
赤髭にここで文句を言ってトラブルを起こすことが、正しい結果に繋がるわけではないことはわかっている。0(ゼロ)と300の違いは大きい。だが、あの荷物持ちの男の笑顔が、俺には悔しかった。
「主が蒔いた種は、ちゃんと芽を出している。一日で大木にはならん。気にするな」
思わず顔を上げた。ノルに宥められるとは思わなかった。
「確実に、ここルーデンの奴隷に対する空気は変わった。あいつ以外にも小銭をもらえる奴隷は増えたらしいし、俺をバカにする奴はいなくなった」
「ふふっ。それはノルの強さが知れ渡ったからじゃん」
俺の少し笑った顔を見て、過保護なノルは安心したように歩き出した。俺は中身32歳だけど、今だけは6歳児のようにノルにぎゅっと抱きついた。
ギルドの裏の貸し馬屋へ行って、馬を二頭借りた。一頭は荷物用、もう一頭は俺たちが乗る分。ノルなら二頭を同時に操れる。貸し馬屋のおやじが「兄さんの腕なら心配ねぇ。10日で着くだろう」と太鼓判を押してくれた。
ノルが俺を抱き上げて、鞍に乗せた。コゲが馬の前を駆けて、振り返って「きゃう」と一声あげる。馬が歩き出して街道に出ると、優しい春の終わりの風が吹いていた。ルーデンの門が、少しずつ小さくなっていく。しばらく無言で馬を進めた後、ノルが口を開いた。
「主」
「ん?」
「主は、俺にこれからの目標を聞いたな」
自己申告面談の宿題か。冬に出した質問だ。
「決まったの?」
馬の蹄の音が、街道に規則正しく響いている。春の陽射しがノルの横顔を照らしていた。
「主は、誓約書は平気で破るくせに、奴隷法は頑固に守る。戦闘力は無いくせに、書類の山にも魔族にも負けない」
「えっ何、いきなりディスり出した?」
俺の腰に回された腕に、少しだけ力がこもった。
「俺は、そんな主をどんな時も守りたい。──もう死にたいとは言わない」
「……っ、ノル……自己申告、確かに……受理しました」
声が少し震えたのも、頬が冷たいのも、春の風のせいだ。
前を向く。領都ヴァルグラードまで、10日。
後ろにいるのは、半年前に出会った頃の死にたがりで不愛想な大男じゃない。
──俺の信頼する相棒だ。
【第一章 完】
第二章(領都&初ダンジョン編)まで、しばらくお休みします。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




