1-44 オンオフ
「ノル! 右上! 避けて!」
紅焔刃を使えなくなったノルに向かって叫んだ。
──だが、女王は撃たなかった。赤い眼がせわしなく動き、首を巡らせている。
ノルを見失っている女王蜘蛛を「見る」と、8個の眼から伸びた魔力の糸が、ノルが元いた場所でふわふわと動いている。そうか、間違いない。あいつは眼で強い魔力を探知している。視力でノルの姿を捉えているわけではないんだ。兵隊がいなくなった女王は、自分で魔力が無いノルを見つけることができないのだ。
「ノル! 女王は魔力を探している! 魔力が止まると見つからない」
ノルが動きを止めた。炎のない剣を構えたまま、回復を狙って静かに息を整えている。女王が首を左右に動かしているのを確認した後、ノルは淡い紅焔刃を再び灯した。赤い眼が一斉にノルへ向く。白い塊が連射され、ノルが跳んで躱す。剣の炎が消える。全身の糸の光も消えている。女王の眼がまた彷徨う。ノルは同じ動きを数回、繰り返した。
「……なるほどな」
ノルの低い呟きが聞こえた。
ノルは自分に流れる魔力を完全に制御していた。さっきはスキルの使い過ぎで魔力が止まったが、今は魔力自体をコントロールしている。スキルのオンオフではなく、魔力のオンオフだ。
「コゲ、ノルはすごいね」
俺は、思わず足元のコゲにつぶやいた。
「ノルは自分の意思で魔力を止められるようになったんだ。あれは、誰にもできない。6年間、魔力が詰まっていたノルだからできるんだ」
俺は自分の手を見つめた。魔力を強く流すイメージはできるが、常に流れている魔力を止める感覚はわからない。身体に流れている血液を止めるようなものだ。ノルは本当にすごい。
コゲは耳をぴんと立てて、ノルの動きを追っている。
ノルはじっと女王の動きを見ていたが、女王が壁に消えた瞬間、声をあげた。
「コゲ! 主のために女王を倒すぞ!」
「きゃん」
コゲは迷わずに走り出した。
「見る」と、コゲの体の魔力の糸が、眩しいほどに光り始めた。普段のとは比べものにならない強い光が、小さな体に巻き付く糸から溢れ出している。背中から伸びる糸がまるで羽のようだった。
「コゲ……」
一瞬、コゲが得意げな顔をして俺を見たような気がした。
女王の赤い8個の眼が、一斉にコゲを向いた。
コゲは巣の中を疾走する。根を跳び越え、泥を蹴散らし、白い壁の隙間をすり抜ける。女王の尾がサソリのように反り返り、頭上を越えて白い塊が連射された。コゲの小さな体を狙うが、どれも当たらない。コゲの方か素早いのだ。
ノルが魔力を完全に消して、壁沿いを女王に向かって静かに移動している。女王がコゲを追っている隙に、その真下まで潜り込んでいた。
コゲは女王の気を引くように、眩しく光る糸を全身に纏って、何度も女王の眼の前を横切りながら走りまわる。女王がイライラしたようにギチギチと顎を鳴らした。
俺は連射する弾を数えた。
27、28、29──30発で連射は止まる。女王の尾がだらりと下がり、尾の先端が小さく収縮している。連射の後に、糸の塊の生成が止まるのだろう。
「ノル! 30発で止まる。その時がチャンスだ」
俺は大きな声で叫んだ。
女王の真下にいるノルが無言で頷いた。巨大な腹部の影に、完全に入り込んでいる。女王の直下は、尾の射線から外れる唯一の死角だ。
コゲへの女王の連射攻撃が続く。
28、29、30。女王の尾が垂れた瞬間。
紅焔刃──炎が灯った。
剣の炎が、今までで一番激しく、距離ゼロで燃え上がった。女王の赤い眼が全て下を向くが、態勢を急に変えることはできない。
女王の真下から垂直に突き上げられたノルの剣が、顎を貫き、頭蓋に達し、脳天を割った。紅蓮の炎が強烈に吹き上がる。
女王の八本の脚が一斉に伸びきった。白い外殻の鎧に亀裂が走り、赤い眼の光が一つずつ消えていく。ノルが剣を引き抜いて飛び退くと、女王の巨体がゆっくりと傾き、壁から剥がれ、泥の上に倒れた。重い音が沼に響いて、それきり動かなくなった。
コゲが泥だらけで駆け戻ってきて、俺の胸に飛び込んだ。心臓がばくばくいっている。怖かったのに、全力で走ってくれたのか。よしよし。
「コゲ、頑張ったな。危険作業特別手当に勇敢行為を加算して、泥だらけ手当を追加支給するからな」
「きゃう!」
「最後のは何だ」
ゆっくり戻って来たノルは、いつも通りの呆れ声だ。
「今、新設したんだよ。もちろんノルにも泥だらけ手当を支給します。って、それよりノル大丈夫? 魔力を止めるなんてすごいね」
ノルが自分の左手を開いて閉じた。炎を出して消す。「見」なくても、魔力のオンオフ切替の確認をしているのがわかった。
「騎士時代はこんなことできなかった……6年は、無駄じゃなかったんだな」
「無駄なわけないよ。体内の魔力を自由にオンオフ切り替えできるのは世界でノルだけだよ」
「大げさだ」
「大げさじゃないって。メラのために、魔力やスキルのことは、散々、図書館で調べたんだ。魔力は常に流れていて止められないって書かれてたよ」
ノルはすっとしゃがんで、コゲごと俺を抱き上げた。
「そうか」
短い返事をして、女王蜘蛛の方へ歩き始めた。
女王の糸嚢は、桁違いに大きかった。中の糸束は全て無傷で、いつもの糸束に比べて光沢が強くツヤツヤしている。これで魔法鞄の素材が余裕で揃った。しかも、女王の体には魔石が5個も埋まっていた。
「魔石は1個だけギルドに売って、残りの4個は貯めておくね。領都か王都で売る方が儲かるから」
「……主は、泥まみれでもいつも通り儲けを考えるんだな」
「財務状況は、いついかなる時でも総務の最優先事項なんだよ」
俺のドヤ顔に、ノルが笑いながら片手で炎の三日月を白い壁に飛ばし、帰り道を焼き開いていた。
「ぎゃーっ! 嘘でしょ、何なのあんたたち!!」
女王蜘蛛の8個の眼が並んだ大きな頭と魔石を買取窓口に並べた時、リーナさんが叫んだ。その声にガロスさんが飛んできた。
「これは、女王蜘蛛か! 坊主、どうやった」
「ノルとコゲが頑張ったんだよ」
ガロスさんの目がノルに向いた。ノルはガロスさんだけに見えるように、左手に小さな炎を灯して見せた。ガロスさんは目を細めて、それから静かに笑った。
「そうか、戻ったか」
ノルは何も答えなかったが、ガロスさんはしわだらけの手でノルの腕をぽんと叩いて、上機嫌で奥へ戻っていった。
それから、ギルド内にいた事務員や冒険者たちみんなが集まってきて、窓口はお祭り騒ぎになった。この女王蜘蛛は、30年以上、瘴気の沼の主として君臨し、誰も倒せなかった魔物らしい。みんなはノルが剣技で倒したと思って、すごく驚いている。
ノルは褒められるたびに、居心地悪そうに俺の方を見るが、「ノルってすごいでしょ~」と6歳児スマイルを全方位に放っておいた。だが、ノルばかりが褒められていると、コゲが「くぅんくぅん」と自分をアピールするので、抱きあげて「コゲもすごい活躍したんだよ~」とみんなに褒めてもらう。コゲはいつも以上に愛嬌を振りまいて尻尾を揺らしていた。
女王蜘蛛には200万の懸賞金が出ていた。ガロスさんに6歳児上目遣いで相談したら、臨時報酬扱いにしてもよいという許可をもらえた。100万ずつの山分けだ。俺たちの懐は一気に潤った。これで、魔法鞄の加工費も、素材の糸も余裕で揃ったのだ。
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ノルの買い戻しまで:27,154,800ゼナ
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