1-43 女王蜘蛛
「ノル、今日はもっと奥まで行きたい。この辺りの眠り草はだいぶ採ったから、これ以上採ると今後の採取者が困ると思うんだ」
その日は、俺の言葉でいつもより更に奥まで足を伸ばした。
30分後、コゲが足を止めて唸り始めた。
いつもと違って、腹から絞り出すように低い唸り声で、背中の毛が頭から尾まで全部逆立っている。
「ノル、もしかして」
「ああ」
ノルの目が、霧の奥を見据えていた。
霧の隙間から現れたのは、巨大な城だった。
根と根の間どころか、太い幹を何本もまたいで上空まで連なる白い壁。幾層にも重なり、巨大な蜘蛛の巣の空間を作り上げている。その中央上部に、人の上半身と蜘蛛の下半身の魔物がいた。
──女王蜘蛛。
大きさは通常の倍以上、足を含めて4メートルはある。人の形をした上半身は白い鎧のような外殻に覆われ、赤い8個の眼がこちらをじっと見ている。背後には大きな丸い腹部があり、その先には鋭く尖った尾のような器官が突き出していた。身体のあちこちから鋭い突起が伸び、全身に刃の鎧を纏っているようだった。
健全な32歳としては、少しだけ残念だったが、今はそれどころではない。ノルが即座に剣を構えて俺を後ろへ庇う。
「逃げ──」
ノルが叫ぶより先に、女王の下半身がサソリのように頭上に反り返った。尖った尾の先から、白い塊が飛んでくる。通常の蜘蛛とは桁違いの速さと量だ。ノルが俺を抱えて横に跳ぶ。塊は真後ろの根を丸ごと覆い、一瞬で白い石に変えた。
続けて、女王が叫んだ。空気がびりびりと震える振動だ。周囲の根から、小型の蜘蛛が這い出してきた。普通の瘴毒蜘蛛より一回り小さいが、女王蜘蛛と同じように、鋭い突起が伸びた白い鎧をまとっている兵隊蜘蛛だ。100匹はいる。
「コゲ、主を頼む」
ノルが俺を根の窪みに押し込み、コゲがその前に立って歯を剥く。迫る兵隊蜘蛛の群れを、即座に起動した紅焔刃の三日月の斬撃で切り払いながら移動する。
その瞬間──女王の赤い8個の眼が、一斉にノルに向いた。
ダダダダダッと、白い塊が連射される。さっきとは勢いも密度も違う。全弾がノルだけを追っていた。ノルが塊を斬り払いながら、俺の場所から遠ざかる。
俺は身を乗り出して逃げ道を探したが、来た方角も、いつの間にか白い糸で塞がれ、兵隊蜘蛛が張り付いていた。根と根の間を、ほんの十数秒で白い糸で埋めて壁を作り上げていく。いつの間にか、俺たちは女王の巣の中に完全に閉じ込められていた。
「コゲ、出口を作るからどいて」
窪みのすぐ近くの白い壁を「見る」。予想通り、壁には薄く光る魔力の糸が縦横に走っていた。これを切れば、壁が脆くなるはずだ。
繰魔糸で呼び出したハサミの刃を当てる。だが、刃が全く通らない。光っている生きた魔力の糸は、今までの絡まりで死んだ糸とは硬さの桁が違った。まるで鋼鉄のワイヤーだ。瘴気浴で増えたはずの俺の魔力でも、全く歯が立たなかった。
ハサミをしまい、腰の護身用のナイフを抜いた。非力な6歳の俺の身体では、ナイフで蜘蛛の糸は切ることはできない。かと言って火付けの魔道具で、ノルみたいに器用に糸だけを燃やすこともできない。
俺も、この女王の巣の中で戦うしかない。
覚悟を決めて、腰を落として構えた。俺は完全に文化系だが、毎朝晩、ノルに稽古をつけてもらっている。最近は、素振りだけでなく、簡単な戦い方も教えてもらっていた。俺より小さな体のコゲの後ろで隠れているわけにはいかない。
コゲが俺の隣に立って、低く唸る。一緒に戦うつもりだ。俺もナイフを構えて、コゲの隣に並んだ。兵隊蜘蛛が目の前に迫っていた。
コゲと一緒に戦おうと、向かってくる3匹の兵隊蜘蛛に向かって構えていた。まずは、先頭の蜘蛛の前脚の関節狙いだ。心臓がバクバクしている。
だが、向かってきた兵隊蜘蛛は俺に近づく前に燃えた。──ノルが飛ばした炎の三日月の斬撃だった。
「壁を燃やす。二人とも逃げろ!」
ノルが続けて三日月を白い壁に飛ばして燃やす。
だが、兵隊蜘蛛が燃えている端から、すぐに新しい壁を作り上げる。
「ちっ、待ってろ。先にこいつらを倒す」
ノルが炎の剣を横に薙ぐと、ノルの正面にいた兵隊蜘蛛の群れが炎に巻かれて散る。右から寄って来た兵隊蜘蛛は炎をまとった剣で斬る。女王の連弾を避けながら、俺の方へ向かってきた一匹に、また炎の三日月の斬撃を飛ばして燃やす。
どこに目がついているんだと不思議になるほど、正確に周囲を把握していた。女王の壁すら、有効に使って兵隊蜘蛛を誘導する。見る間に兵隊蜘蛛の数が半分以下になっていった。
ノルの目は生き生きとしていた。きっとマスクの下の口角は上がっているはずだ。その背中に、騎士時代のノルが重なってみえるようだった。
巣の奥で、女王の巨体が動いた。白い壁を作り出し、溶け込むように消えた。と思った瞬間、ノルの斜め上の壁からぬっと上半身だけを突き出した。
女王は、幾重にも重なった巣の壁を自在に作り直していた。その壁を出入り口として使い、位置を読ませない。ノルの凄まじい戦闘力を見て、じっくりと甚振る作戦を変えたようだ。これはマズい。ノルのスキルは、長時間は使えない。戦闘が長引くと不利だ。
「ノル、スキルを使い続けたらダメだ!」
「わかってる……くそっ」
ノルは、一度、紅焔刃スキルを終わらせ、物理攻撃で兵隊蜘蛛を倒し始めた。
ノルが兵隊を捌きながら、なんとか女王を仕留めようとする。だが、炎がない普通の剣では女王の鎧にかすり傷もつけられない。女王を「見る」と、8個の眼から伸びた魔力の糸が、ノルに絡みついていた。女王は壁の裏にいても、ノルの位置を正確に追っている。だが、ノルは出てきた女王に反応するしかない。圧倒的に分が悪い。
ノルは兵隊蜘蛛を倒し切ってから、もう一度、剣に炎を灯した。
飛んで、切って、隠れて、飛ばして、避けて、隠れて、燃やして、走って。女王とノルの攻守が入れ替わりながら、動きのスピードが上がっていく。目で追うのがやっとだ。
「まずい」
紅焔刃の炎がゆらぎはじめた。ノルの修復した左腕の糸の光が弱くなっていた。
──そして、恐れていた限界は唐突にやって来た。
ノルの剣から、紅焔刃の炎がふっと消えた。すぐに灯ったが、また消える。振っても斬撃が飛ばない。ノルの全身の糸が明滅している。
「くそっ」
ノルがぬかるみに足をとられて、片膝をついた。全身の糸の光が完全に消えて、魔力が止まってしまった。
好機をとらえた女王が壁から上半身を突き出し、尾を振りかぶった。
「ノル! 右上! 避けて!」
ノルが俺の声に反応して、横に転がる。俺は思わず、ナイフを握りしめたまま息を止めた。




