1-42 炎の帰還
仮復旧から数日、魔力を体に慣らしたノルが「見せたいものがある」と言った。
場所は沼の手前の結界地。俺たち以外に人目はない。
ノルが右手に持った剣を胸の前に提げて、左の手のひらに炎を出した。あの夜のろうそくのような灯とは別物だ。大きくて、輪郭がはっきりしている。
「紅焔刃」
ノルが静かにスキル名を告げて、左手の炎で剣の根元から刃先までをするりと撫でた。
途端、炎が刃に移り、オレンジと赤の混じった揺らめきが、刀身全体を薄く覆う。
ノルが素早く剣を振り抜くと、刃の炎の一部が三日月形に飛んだ。10メートル先の岩に着弾して岩を半壊させ、2メートルほどの火柱が上がる。
「待って、飛ぶの!?」
「斬撃に乗せれば飛ぶ。距離は長くないが」
いやいや、「斬撃は物理的に飛ばない」でFAが出たはずだぞ。まとめサイトで『物理的に不可能派』と『真空波あり派』でレスバが紛糾していたのを思い出す。カマイタチは不可能だったんじゃないのか。飛ばしてるのが炎だからセーフなのか? いや、ノルがハッキリと「斬撃」って言ったし、岩もくだけてるし……うん、考えても無駄だな。
「ノルは近距離でも強いのに中距離もありって、弱点あるの?」
「昔は負け無しだった」
さらりと何でも無さそうに言うけど、口元がわずかに緩んでいる。コゲは飛んでいった火の玉を獲物と認識したらしく、着弾点へ全力で駆けていき飛びかかろうとしたところで、ノルから「コゲ駄目だ」と言われて、しょんぼりして帰って来た。二射目でもまったく同じことを繰り返した。学習しない子狼、それがコゲだ。
「あの岩の右の出っ張り、狙える?」
「造作もない」
炎の三日月が出っ張りだけを正確に砕いた。コゲは三度目の出撃をして三度目のしょんぼり帰還をしていた。アホ可愛い。
「でもさ、沼で火はまずいんじゃなかった? 樹海ごと燃えるって言ってたよね」
「紅焔刃の炎は俺の魔力だ。燃やすものは俺が決める」
ちょっと、かっこよすぎやしませんか、ノルさん。「支店長WEB会議」人気ナンバーワン間違いなしですよ。
そのチート過ぎる言葉の意味を、その後、目の前で知った。
沼の奥に瘴毒蜘蛛が3体、大きな巣を作っていた。以前、糸束をダメにしてから、蜘蛛は避けるようにしていたが、ノルは躊躇せず進む。
無造作に剣に炎を纏わせ、その大きな黒紫の巣を横へ薙いだ。
巣の糸だけが燃える。幾重にも張られた糸が端から端まで一瞬で炎に舐められ、はらはらと灰になって落ちる。糸が絡みついていた木の根には焦げ跡一つない。本当に燃やす対象を、ノルがコントロールできるようだ。便利すぎる。ゲームならバランス崩壊確定だ。
足場を失った蜘蛛が泥に落ちる。ノルがその長細い足を炎の三日月で落としてから、まっすぐに踏み込み、糸嚢を避けて頭部だけを正確に貫いた。立て続けに他の2匹にも、同じように止めを刺す。あっという間に、討伐完了。
「……」
「主、瞬きをしないと目を傷めるぞ」
「ノルのせいだよ! 不正ツール使用レベルだろっ!!」
俺の隣で、全く出番がなかったコゲも不満げに鼻を鳴らしていた。
結界地に戻り、俺はノルの左腕を「見た」。
「ノル、ストップ。今日はもう使わないで」
「まだいける」
「繋いだあたりの糸の光が朝より弱くなってる。使うたびに負荷がかかっているみたいだ」
ノルが疑わし気に自分の左手を見つめた。
「ノルグレンさん、本日より就業規則に追加します。紅焔刃スキルは1日2回まで。翌日に俺が糸を確認して、回復していなければその日はスキル休養日です。今まで通り、物理で頑張ってください」
「主……スキルを使えという主人はいるが、使うなという主人は聞いたことがない」
「段階的な負荷調整は、病休から復帰した社員への当然の配慮です」
「意味がわからん」
「多分だけど、ノルの魔力の糸は、完全に治ったわけではないんだよ。少しずつ様子を見ながら調整していこう。社会復帰もリハビリも治りかけが大切なんだ。ここで無理をすると、前よりももっと悪くなることもある」
「……時渡り人の別の世界の言葉は、難しすぎる」
ノルは不服そうにため息をついたが、最後は「分かった」と頷いた。
それから、使用制限を守りながら蜘蛛を狩り続けた。紅焔刃は圧倒的で、無傷の糸束が着々と増えていく。光が弱くなったノルの魔力の糸も、一晩休めば回復した。
「ねぇねぇ、ノル。俺も炎を出してみたい。魔力あるからできるよね?」
「無理だ。これはスキルの一部だ」
「いや、できるかもよ? どうやるの」
「ぐぅっとして、しゅらん、だ」
「……」
忘れてた。学習させない男、それがノルだ。
色々と試したり、図書館で調べまくったりしてみたけど、ノルの炎は俺のハサミのようなもので、魔力があれば誰でも出せるわけではなかった。メラゾーマは無理だとしても、メラくらいは使ってみたかった。残念。
魔法攻撃を諦めた俺は、せめてノルの足手まといにならないように、朝晩の護身用のナイフの素振りを頑張ることにした。
ノルの魔力が復活してから2週間。
蜘蛛を見つければ狩って糸を採り、見つからなければ採取と狩りを続けていた。
「主、今日はもう少し奥に行くか?」
「行きたい!」
「瘴毒河馬を狩れば、脂が高値で売れる」
「いいね! 魔石も採れるよね?」
「ああ。尻尾の干物も薬素材として高価で取引される」
「きゃうきゃう!」
「コゲ、肉は瘴毒が蓄積しているから食えんぞ」
「きゅうん」
コゲのしょんぼりした顔を見て、俺とノルは笑った。
俺の頭の中では、チャリンチャリンと景気のいい音が鳴っていた。過保護だったノルも、どんな時でも俺を守れる自信がついたのか、徐々に俺を連れて奥地へも行くようになっていた。
瘴気避けのペンダントを身に付けられるようになり、スキルを取り戻したノルは無敵で、器用に紅焔刃を小出しに使って一日の使用回数を増やしていた。
「はい。今日も眠り草の下級30と中級6です」
「あんた、出し渋りしないでもっと採取してきなさいよ。眠り草は貴重なのよ」
買取カウンターで、リーナさんに睨まれる。
瘴気の沼の奥地で採取できる『眠り草』は、鎮静効果や麻酔効果がある薬草で、ギルドの買取カウンターでは今まで以上に歓迎された。木の上部の枝に生えているので「見れる」俺には簡単だが、普通はなかなか採取できないレアな薬草だ。ギルドでは、コゲが眠り草を見つけてくれると説明していた。トリュフ豚ならぬ、眠り草子狼の誕生である。
狩り収入は少なくなったけど、採取収入が増えたので問題なかった。魔法鞄用の蜘蛛の糸60束も、加工費400万ゼナももう少しで貯まりそうだった。なにもかもが順調だった。
──順調すぎて、瘴気の沼と言う場所を、俺たちは甘く考え始めていたのかもしれない。




