1-40 鰐と握手と
あるお休みの日の昼、宿にルーデンの町長さんの使いが来た。「折り入って相談があるので、屋敷までお越し願いたい」とのこと。俺はノルやコゲと一緒に、坂の上の立派なお屋敷へ向かった。
門をくぐると、庭から元気な笑い声が聞こえた。あの雪の日の女の子が駆け回っている。頬は赤く、足取りは軽い。コゲを見つけるなり「わんちゃん!」と一直線に突進してきた。コゲも女の子のことを覚えているのか、尻尾を千切れんばかりに振って迎え撃っていた。いや、撃ったらダメだ。そんなに飛びつくな。
「すまんな、急に呼び出して。……あの日以来、ああして孫の笑顔を見るたびに、わしは寿命が延びる思いだよ」
応接間で、町長さんがお菓子を勧めてくれた後、声を落として切り出した。
「ところで、春に領主が町長たちを集める全領会議がある。そこで町長同士が贈り物を交換する習わしがあってな。わしは瘴毒鰐の革の財布を配りたいのだ」
「鰐の財布ですか」
「鰐は『一度掴んだら二度と離さない』。金運が上がると鰐革の財布が王都で大流行中なんだよ。そして、癪に障ることに、隣町の町長が鰐革のコインケースを配ると自慢しおった。それなら、こっちは単なる川鰐じゃなく瘴毒鰐であいつの上を行きたいのだ」
どこの世界でも迷信は変わらないらしい。贈り物合戦の裏に、町長の対抗意識がハッキリと透けているところをみると、人間の見栄も変わらないようだ。あと、ワシントン条約も無いようだ。
そういえば、前世の会社でも販促品を作るのは、毎年、とても大変だった。真夏日が増えた年に、塩飴と熱中症予防カードと扇子の3点セットを作ったらとても好評だった。だが、次年度も扇子の柄を変えてそれでいこうとしたら「またこれ?」と文句を言われた。
定番の書き心地がいいボールペンも、「それ被るからやめて」と言われるし、年末のカレンダーは「社名が載ってると役所で受け取ってもらえない」と文句を言われる。社名が載ってない販促品を配る意味は……と総務のみんなで頭を抱えた。
今の俺なら、「薬草・癒し草・毒消し草3点セット(しかも全て高品質!)」かな。2,000セットも作る気はしないけど。
「ガロスに相談したらな、最近、キンネ君たちが瘴気の沼に通ってると教えてくれてな。今年は、隣町から毒消し草を買わんでも大丈夫じゃと自慢しておったわ。直接買い取る形にすれば臨時報酬になって、ノルグレン君と山分けできるだろ?」
ガロスさん、あちこちで個人情報をばら撒くのはやめてください。そして町長さんも俺の使い方に慣れるのが早すぎます。
「わかりました。お引き受けします」
「うむ。キンネ君、ノルグレン君、頼んだよ」
町長さんは俺と握手をして、それから当たり前のように、ノルにも右手を差し出した。
ノルは一瞬固まった。差し出された手と町長さんの顔を見比べて、おそるおそる大きな手で握り返した。両手でそっと、壊れ物を扱うような握手だった。
討伐は、早速、翌日に決行した。
瘴毒鰐は沼の水際の葦原に潜み、水を飲みに来た獣を一瞬で水中へ引きずり込む。何時間も動かずにじっとしている待ち伏せストーカー予備軍だ。残念ながらチクタクは聞こえない。
「葦のどこにいるかさえ分かれば、ノルには楽勝だよね。俺が『見る』よ」
「危険すぎる。コゲに見つけさせるから、主は結界地で留守番だ」
「コゲは近づかないとわからないでしょ。鰐に丸呑みされちゃうよ。俺なら遠くからでも糸で見つけられるし。水際から離れた高い根の上で、位置を報せるだけ。一歩も動かない。約束する」
俺のニッコリ6歳児スマイルを、ノルは疑いの目で見ていた。だが、「根から降りたら即撤収&帰りの寸止めチャレンジ1週間お休み」の条件で、斥候担当の許可をもらった。
太い根の上に陣取って、葦原を「見た」。揺れる葦に混じって、ひときわ密度が高い糸の塊が一つ、濁った水の中にじっと沈んでいる。
「いた。右の水際、今のノルの向きで言うと2時の方向、馬5頭分先」
「よし、コゲいけ」
「きゃう」
コゲが、ノルがいる枝の下の水際でわざと水音を立てる。
ぱしゃぱしゃ。ぱしゃぱしゃ。
葦が動いた。鰐が音もなく水際へ滑り込んでくる。コゲが飛び退くのと同時に、ノルが麻袋を鰐の鼻先へ落とした。中心に石を、周囲に兎の肉を詰めた麻袋だ。
丸太のような巨体が跳ね、大顎が麻袋に食らいつく。石の詰まった袋を咥えたまま、鰐は満足げに首を上下に振っている。周囲の兎の肉を引きちぎり、全体を丸呑みしようとしていた鰐は、中心の石に気付いて動きを止めた。
──その一瞬に、頭上からノルが飛び降りた。落下の勢いをそのまま剣に乗せて、鰐の目と目の間に突き立てる。びくん、と巨体が一度跳ねて、動かなくなった。だが、さすがだ。囮の麻袋は最後まで離さなかった。一度掴んだら二度と離さない。看板に偽りなしである。俺もちょっと鰐皮の小物が欲しくなった。通帳ケースなんてどうだろうか。鰐革は目立たないように内側にして。
それにしても、囮麻袋を投げてから10秒で討伐完了。ノルとコゲの連携は、冬のストレス発散休日狩りで磨き上げられている。
死んだ証拠に瘴毒鰐の背中の皮が、独特な色合いに変化していく。この色も人気らしい。
「本当に掴んだら離さなかったね」
「きゃうきゃう」
「金運が上がるとしても、この色は……」
ノルが大鰐を木に吊るして、頭から尻尾まできれいに皮を剥ぎながら顔を顰めていた。好みが別れる色ではある。
俺は忘れていた。帰るまでが遠足です。
ノルとコゲを見守っていた根の上から降りようとした時、その足元で何かが立ち上がった。
黒い舌が、ちろりと伸びる。
瘴毒蛇だ。
根の上は狭い。逃げ場がない。
鎌首をもたげて今にも足に噛みつきそうに揺れている。
「ノル、ノル、蛇が……」
「主! 動くな」
ノルがすごい速さで駆けてくるが、間に合いそうもない。
噛まれる覚悟をした時、コゲがまるで羽が生えているような信じられない跳躍力で飛んできた。蛇の首筋に噛みついて引きずり落とす。いつも甘えているコゲからは想像がつかないほど、徹底的に蛇を蹂躙している。コゲも狼なんだと、ちょっと場違いに見とれてしまった。
ノルが慌てて登ってきて、俺の足を確認する。
「大丈夫、コゲのおかげで噛まれなかったよ」
「主、すまない。本当にすまない。……くそっ、紅焔刃が使えればっ」
ノルの言葉は震えていて、後半はほとんど聞こえない小さな呟きだった。
帰りの馬上で、ノルは何度も左腕を振っていた。俺が話しかけても、どこか上の空だった。
町長さんからの特別報酬は50万ゼナ。規定通り、25万ずつの山分けだ。納品の日、町長さんは瘴毒鰐の皮を撫でて上機嫌だった。「これであいつの顔が見ものだわい」と贈り物の趣旨をだいぶ見失った発言をしていたが、聞かなかったことにしよう。
俺だったら、紫地に黄色とオレンジの斑点が入っている革財布なんて絶対に嫌だ。呪いの財布にしか見えないし、金運と一緒に厄運も招きそうだ。
──それから少し経った夜、ノルの決心が固まった。




