1-39 魔力の底上げ
瘴気の沼通いも、3週目になった。順調に皆勤賞は続いている。
ノルの瘴喰鹿狩りは、1週間以上かかることを覚悟していた。滅多に見つからない用心深いレア魔獣な上に、ノルには1回の探索に30分と言うタイムリミットもあったからだ。
俺は結界地でお留守番をしながらも、30分を超えないか、伝信器が光らないかが気になって読書どころではなかった。正直、ノルがトラブっても、俺にできることは誰かに助けを求めることだけだ。だから、警備隊の巡回や、立ち寄る旅行者の記録をとって、何かあったらどっちに向かって走るかだけを常に考えていた。
だが、狩りを始めて2日目の夕方、制限時間ギリギリの30分ちょうどにノルが仕留めた鹿を担いで戻ってきた。全身が漆黒で、角の立派な巨大な牡鹿だった。1回前の探索で見つけていた足跡でおおよその方向の見当をつけたら、コゲが最短ルートでノルを瘴喰鹿まで誘導してくれたらしい。さすノル、さすコゲだ。
肉は珍味として行商人と料理屋が競り合い、角や睾丸は薬の材料としてびっくりするような高値がつき、締めて一頭30万ゼナ。旨すぎた。チャリンチャリン。
「え、そこ被るんだ。瘴喰鹿とノルが同じ値段だよ」
「……俺は鹿と同価値か」
「大丈夫。鹿は草食動物でしょ。ノルはどうみても肉食だよ」
「それは、どういう慰めだ」
「まぁまぁ、気にしないでお肉を食べようよ」
肉は、競りに出す前に少し取り分けて、宿の女将さんに調理を頼んだ。瘴喰鹿の焼き肉は臭みがなく、脂がとろけて甘かった。ノルは無言で5切れを秒で平らげ、俺も2切れ食べた。コゲには真っ黒になるまで焼いた肉を前に、尻尾の回転で竜巻を起こしそうだった。
皮はいつものように革工房から防具工房コースだ。仕立ててもらったのは、頭からすっぽり被る顔覆い。真っ黒で両目だけが開いていて、完全に目出し帽である。顎下からは、首輪を隠さないように四角の切り込みが入っているのも不自然だ。インフルエンサーノルでも、これを流行らせるのは無理だろう。
「……どうだ」
「トクリュウっぽいというか、凶悪感マシマシというか……」
いつもならこういうノルを見ると俺の後ろに隠れるコゲだが、今日は肩を落としてノルと並んでいる。コゲにも瘴気の沼用の装備を作ったのだ。耳を塞ぐのは嫌がったので、顔と耳だけを出した瘴喰鹿の全身服だ。灰色のコゲに黒い装備はかっこいいと思うのだが、コゲはかなりしょんぼりしている。獣臭を消すために、職人さんがめっちゃ頑張ってくれた逸品だ。コゲの安全のためにも、我慢してもらおう。
もちろん、二人の防具は糸の巻き数を増やして、瘴気浄化力40%増しだ。
目出し帽の効果はすごかった。ノルの滞在時間は30分から2時間になった。森に入れる深さも動ける範囲も、一気に広がった。
変わったのはノルの活動時間だけじゃない。俺の方にも、数字で変化が来た。
まず、瘴気浴の限界が15分から20分に伸びた。ペンダントを握るタイミングが、日に日に遅くなっていく。
そして、帰りの馬上で中級まで巻ける毒消し草の本数は、今では初日の倍の8本になっていた。魔力量が目に見えて増えている。今日は上級チャレンジ中だ。5巻を7巻にするだけだが、3巻を5巻にするのに比べて、さらに多くの魔力が必要だ。
「ノル、見て。7巻の上級が2本できた。まだ気絶してないよ」
「ああ。ほら、汗をふくからこっち向け。風邪ひくぞ。水も飲め。菓子はいるか?」
毎日の瘴気浴と、帰りの馬上のブラックアウト寸止めチャレンジ。地味な反復が、少しずつ俺の魔力の器を大きくしている。だが、3日に1回くらいはチャレンジ失敗するので、ノルの過保護度は増してしまった。汗くらい自分で拭けるのに。中身32歳だぞ。
休日の町歩き中に、俺は道具屋の隅で埃を被っていたガラクタに目をつけた。30センチ角くらいの魔道冷蔵木箱。中を冷やして食材を保つ魔道具で、壊れて放置されていた。
「ねぇねぇ、これいくら?」
「そいつは完全に壊れてるぞ。魔道具の修理屋にも匙を投げられた。坊主が欲しいなら1,000ゼナでいいぞ。木箱としてなら使えるしな」
「買います!」
内部を「見て」、魔力の糸の空白地帯と絡まりの団子があるのは確認済みだ。大きさは、あの枯れ井戸の一番頑固だった団子と同じくらいだ。これならいける。
壊れた魔道具の中には、糸はちゃんと巻き付いて光っているのに使えないもの、糸が全く無いもの、糸が途中で切れて絡まり団子になっているものなど、色々なパターンがあった。どうも、単に糸が切れただけだと修理屋のスキルで直せるようだが、団子を切って直せるのは俺だけのようだ。そして、団子以外のパターンは俺には直せなかった。いくつかやってみて学習した男、それが俺だ。(誰でもそうだ)
宿の机に木箱を据えて、ハサミを出す。ノルはいつ俺が倒れてもいいように、後ろから手を差し伸べ、コゲは足元でおとなしく見守る姿勢だ。刃先を団子の根元にそっと当てた。井戸の時は、この硬さに汗だくになった。
力を込める。
ちょきん。
今では、あっさりと切れる。乾いた音がして団子がほどけて消えた。切れた糸の端を摘んで、巻き数を増やして繋ぐ。結び目が溶けて、糸は一本に戻り光り始めた。
木箱が小さく唸りを上げる。中に手を入れると、ひやりと冷たい。これで仕事終わりの冷え冷えエール計画が一歩進んだ。後は歳をとるだけだな。
「ノル、できたよ」
「あぁ。これは冷凍木箱に近いな。よく冷えそうだ」
「あのさ、井戸では、同じくらいの硬さの団子を切るのに10分はかかったんだ。でも、今は一瞬だった。──次は、本番をやりたい」
俺がノルの目を見ると、ノルは目を逸らして、冷え始めた木箱の中をしばらく見つめていた。しゃがんでコゲを一撫でし、また立ち上がって木箱を眺める。
「主……少し、時間をくれ」
「うん。いくらでも」
総務を10年やって身に染みていることがある。良かれと思った業務改革でも、一方的に押し付けたところで現場は動かない。電子契約を導入すれば、印紙代もなくなるし、郵送の手間も減るし、リモートワークでも仕事を進められると思った。だが、実際に現場で使ってもらえるようになるまでは1年かかった。強制しても反発される。相手先の社内規定に引っ掛かったり、説明に手間と時間がかかったり、調整して実際の運用を決めるのはいつだって現場だ。俺にできるのは、準備を万全にして待つことだけだ。
その日から、冷蔵木箱に薬草系を貯め込むことにした。とうとうできるようになった、10巻まで巻いた最上級の癒し草や薬草を、一本、また一本と貯めていく。ギルドに売れば大騒ぎになるから売れない。いざという時用の非常用薬箱で、若干イマサラ感はあるが、それでも目立たない作戦は続行中である。
沼通いは変わらず続いた。俺は瘴気浴の時間を伸ばし、帰りの馬上で糸を巻く。たまに落ちて、ノルの腕の中で目を覚まして説教される。毎日は、いつも通りに回っていく。
ただ、夕食の後、ノルが自分の左腕をじっと見ている時間が、少しずつ長くなっていた。俺は気付かないふりをして、メモ帳を開いて今日の収支と糸を巻いた量を書き込む。
本番の日がいつ来てもいいように、俺はできる努力を積み重ねるだけだ。




