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転生総務課長代理(6歳)が奴隷法を律儀に守ったら、死にたがりの元騎士がやたら過保護で最強の相棒になりました。  作者: 雪凪


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1-37 瘴気の沼

 出発の朝は、雲一つない晴れだった。

 一週間で雪はすっかり消えて、街道沿いには早咲きの草花が顔を出している。


 まずはギルドで、馬を一頭借りる。ルーデンから沼までは歩いて3時間、馬なら30分。毎日通うなら必要経費だ。


 貸し出された栗毛の馬は、俺たちを見るなり警戒して耳を伏せた。俺が近づくと後ずさり、コゲを見て鼻を鳴らす。だが、ノルが手綱を取って、首筋に手を置いて低い声で二言三言かけると──馬は嘘のように落ち着いて、ノルの肩に鼻先をすり寄せた。


「……一瞬で懐いた」


「騎士は馬と一心同体だ。基本だ」


 貸し馬屋のおやじさんが「兄さん、うちで働かんか」と本気で勧誘していた。馬の全身の確認や、鞍(くら)の装着もスムーズで、とても頼りになる。


 俺はふと、前世の恐ろしい光景を思い出した。


 全支店WEB会議の後、女性社員たちが画面の中の支店長たちを査定していたのだ。

「〇〇支店長って運転が下手そう」

「それな。絶対に独りよがりの運転するタイプ」

「□□支店長は、何回も切り返したくせに斜めに駐車するヤツっぽくない?」

「わかるぅ~。しつこいくせに、結果がイマイチなヤツいるよね~」

 と、意味深で生々しい感想戦をしていた。今、思い出しても震える。俺はモブAで査定対象にもならないが、きっとノルなら一番人気になるだろう。


 俺とコゲを鞍の前に乗せて、ノルが馬を進める。ノルと俺の腰には、今朝も5回練習させられた30万の保険が、ちゃんとぶら下がっている。30分の道のりは快適で、あっという間に沼の手前の結界地に到着した。




 ここの結界地は、以前の森の近くのものより一回り大きい。「見る」と、敷地は綺麗な六角形で、中央の水色の石柱から伸びた魔力の糸が、鳥籠のように頭上まで編み上がっている。密度も高い。


「ここは魔獣だけでなく、瘴気も防ぐ結界地だ」


 ノルが馬を繋ぎながら説明してくれる。馬もここに置いていけば安全だ。


 マスクを取り出して装着する。ノルの黒い厚手マスクは、相変わらず異世界の外科医だ。俺の薄手マスクはグレーなのでまだましだが、コゲは俺を見ても尻尾が下がる。慣れてくれ。


 瘴気避けのペンダントを首に下げ、魔法懐中時計を取り出す。計測開始。


「コゲ、今日はお試し出勤だからね。少しでも具合が悪かったら、すぐに言ってね」


「きゃう」


「よし、行くぞ」




 足を踏み入れた瞬間、景色が変わった。

 ぬかるんだ地面から、ノルの背丈ほどの高さまで太い根が何本も立ち上がっている。根と根が絡み合い、その上にようやく幹が乗っている。沖縄で見たマングローブみたいな樹木が延々と続いている。少し進むと、視界は根と薄紫の霧だけになった。方向感覚が、あっという間になくなる。


「これを覚えろ。先人の置き土産だ」


 ノルが、木の根に刻まれた古い三本線の傷と矢印を指した。これを辿れば沼を一周できるらしい。印がなければ秒で遭難する。


 薄手のマスク越しでも喉の奥がひりりと痛い。これが瘴気か。俺の魔力を底上げしてくれる痛みだと思えば我慢できる。


 まずは5分、毒消し草を探しながら様子を見る。俺、異常なし。ノルも頷く。コゲは──むしろ楽しそうに、根の間をぴょんぴょん跳ねている。


「……瘴毒(マイアズマ)系以外の魔獣は瘴気を嫌うんだがな」


 ノルが眉を寄せた。お試し出勤は、あっさり合格らしい。さすがコゲ。さすコゲ。




 採取は順調だった。「見る」と、毒消し草の白い糸が霧の中でくるくると光る。摘む。摘む。コゲが先導して、危ない足場の手前では必ず「くぅん」と教えてくれる。

 毒消し草は木の根の隙間や岩の陰など、癒し草より更にわかりにくい日陰に生えている。解毒剤の他に、防腐剤として料理や生産素材の保管に使われるが、見つけにくくて供給が少ないため、薬草の3倍の買取価格になっている。うむ、美味しい素材だ。


 15分。──けっこう来た。


 喉の痛みが胸まで降りて、体が怠くなり始めた。ペンダントのスイッチを押して、瘴気除けを起動する。薄い膜が体の表面を包んだ感じがして、すっと呼吸が楽になった。魔道具に吸い取られる魔力は微量のようで、全く気にならない。


「主、平気か」


「ペンダントを起動したよ。俺の瘴気浴は、15分が限界みたいだ」


「瘴気浴……爽やかな言い方はやめろ」


 30分。今度はノルの息が、マスクの下でわずかに荒くなった。


「撤収!」


 結界地に戻ってマスクを外すと、空気が甘く感じた。体の中でイガイガしていた不快感が、すうっと抜けていく。


「1回30分だね。ノルの限界に合わせるよ」


「俺はまだいける」


「『まだいける』は、事故の直前に一番よく聞く言葉です。あと、『俺は何もしてないのにPCが勝手に壊れた』は100%嘘ですっ!!」


「主……何を言ってるんだ」


 前世を思い出して、一瞬、イラっとした俺を、ノルは呆れ顔で見ていた。




 水を飲んで30分休み、2回目の探索へ。


 また毒消し草を探しながら歩いていると、先頭のコゲが低く唸って足を止めた。前方の木の根に、太い枯れた蔦が絡んでいる。不思議に思って「見る」と、蔦に白く光る魔糸が巻き付いていて、するすると動きだした。瘴毒蛇(マイアズマサーペント)だった。ノルの剣が一閃して、秒殺する。素材としての買取は無いが、討伐報酬として一匹3,000ゼナをもらえる。討伐の証拠として、ノルが頭部を切り取って麻袋に入れた。チャリンチャリン。




 午前に2回、午後に4回。日が傾く頃には、俺の麻袋は毒消し草でいっぱいになっていた。下級34本、中級2本。ブラックアウト、なし。上々の初日だ。


 結界地を出る前に、解毒剤を一本ずつ飲んだ。体に残った瘴気を洗い流す、一日の大事な締め作業だ。ビール味なら仕事終わりの気分が出るんだけど、完全に無味無臭のドロッとした液体だ。残念。


 馬上で、俺はノルに申告した。


「ノルグレンさん、事前申告します。これから毒消し草をできるだけ巻きます」


「できるだけ……つまり、俺の目の前で落ちると?」


「いや、寸止めの練習。でも失敗したら、受け止めよろしくね。そんなに長い時間じゃないと思うから」


 俺の6歳児スマイル上目遣いモードに、ノルは深々とため息をついて、俺を抱える腕を組み直した。最近、ノルは俺の6歳児スマイルを見ると顔を顰めるようになった。中身が大人だとわかったからだろうか。ちょっと面白い。


 下級の3巻の糸を5巻にしたら中級になる。一本、二本──ノルの騎乗は揺れないので作業が捗る。だが毒消し草は、薬草や癒し草より糸を巻くのに多くの魔力が必要だった。3本目で腕が重くなり、4本目を巻き始めてヤバいかもと思いながら巻き切った瞬間、視界がすとんと落ちた。




 気がつくと、ルーデンの門が見えていた。予想通り、浅い落ち方だったらしい。


「起きたか」


「……おはよう。ほら、長引かずに目が覚めたよ」


「気絶を自慢するな」


「ギリいけると思ったんだけど。やっぱ、視界が暗くなり始めて3分が限界かな。次はストップウォッチで測ってみるね」


「主、無理はするな。瘴気だけでも身体に負担なはずだ」


「大丈夫。これから、瘴気浴と、一日一気絶寸前チャレンジで魔力を増やすよ。ちゃんと週末は休むから」


 後ろから聞こえてくるノルの文句は無視することにした。


 買取窓口に毒消し草を並べると、リーナさんが歓声を上げた。春になってリーナさんが薄着になったので、リーナさんが受付の時を狙って並ぶ男性冒険者が増えたとかなんとか。6歳児には関係ないが、わかりやすすぎる。


「毒消し草、こんなに! ……あんた、瘴気の沼に行ったの? ヤバいって」


 下級30本と中級6本で、計63,000ゼナ。奥から出てきたガロスさんが毒消し草の山を見てにんまり笑った。


「おお、やはりこっちの本業も捨てがたいのう。坊主、明日も採ってくるのか?」


「はい。週末以外は毎日通って皆勤賞を狙います!」


「主……瘴気の沼で皆勤賞を狙う人間は、大陸であんただけだ」


 リーナさんとガロスさんが、ノルの渋い顔を見て大笑いしていた。




 その夜。夕食の皿がきれいに空になった後で、ノルが切り出した。


「主。一つ、頼みがある」


「どうぞ」


「主が魔力切れ寸前まで頑張ろうとするのは──魔力を増やして俺を治療するためだと理解している。使用者責任とか言うやつだな? だから止めない。その代わり、必ず俺の目の前だけにしてくれ。そして、やる前には必ず申告をしてほしい」


 ノルが真剣に俺の目を見ながら告げる。


「事前申告制、了承します。心配してくれてありがとう、ノル」


「礼を言うのはこっちだ」


「くぅん」


「コゲもいい働きだったね。これからも、魔獣がいたら教えてくれよ」


「きゃうんきゃうん」


 こうして、俺たちの沼通いが始まった。






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