1-36 冬じまい
「──10年分、終了だ」
警備隊の書類倉庫で、ノルが宣言した。俺と、事務員二人も一緒に並んでいる。案内された隊長のマドックさんは、目を見開いて室内を見回した。
天井まで蟻塚のように積みあがった書類の山はもうない。棚には紙ファイルが種類ごと日付順に並び、すぐに中身が分かる。仕切り板は全部、横向きから縦向きに差し替えた。横に寝かせて積むと、下の一冊を抜くだけで山が崩れる。縦に立てれば、一冊だけをすっと抜ける。
そして棚ごとに、ラベルを貼ってある。
『516年12月巡回記録(保管7年)』
「……この、保管7年というのは?」
マドックさんがラベルを指さして、眉を寄せた。後の説明は、俺が引き受ける。町長のお孫さんの捜索依頼、ノルを飛び越して俺が説明しても何も言われなくなった。一応、無邪気な6歳児スマイルを装備しておく。
「保管期間ですよ。ノルが事務長と相談して決めました。巡回記録は7年、備品台帳は5年。期限が来た棚から順に処分します。書類は、捨てる時の決めごとが大事です。期限がないと、あっという間にこの倉庫は元通りですからね」
「……間違いないな」
「ただし、この緑色の紙クリップで挟んでいる書類は処分せずに、こちらの棚に移動させてくださいね。凶悪犯罪や死亡事故などの書類です」
「なるほど、後から追加捜査がかかることもあるからな」
マドックさんはしばらく棚を見回してから、試すように言った。
「一昨年の11月23日、南門の巡回記録」
「はい」
俺は棚のラベルを確認し、いくつかの書類の右上の書き込みを見てから一束を抜いた。差し出すまで30秒だ。
マドックさんは受け取った記録をぱらぱらとめくり、深く息を吐いた。
「前は、これを探すのに丸一日かかった。……よし、今後の警備隊の書類は、全部この形式でやることにしよう」
一緒に作業していた事務員の二人が、小さく拍手をしてくれた。
「キンネ君、ノルさんがいなくなっても頑張ってみるね。ははっ」
「絶対に、この状態を死守します! この引き継ぎ書もお守りにしますから!」
若い方の事務員さんは少し情けない顔で笑い、女性の事務員さんは俺の渾身の引き継ぎ書をしっかりと胸に抱えていた。
帰りに、ギルドにも寄った。こちらでも、冬季事務作業員の契約を終了させる。受付でノルが契約満了の書類に署名していると、奥から元ギルド長のガロスさんが出てきた。
「キンネ坊、ノルグレン、今日で終いか」
「はい。3カ月間、お世話になりました」
「ふん。……で、春からはどうするんじゃ。ギルドで正式に働くなら、儂が口を──」
「冒険者の本業に戻ります!」
即答すると、ガロスさんは少し残念そうな顔をしていた。
こうして、俺の異世界初の再就職は、円満退職で終了した。
その夜。宿の机で、俺はメモ帳に付けている出納記録を眺めた。
ギルドと警備隊の事務作業の給料、休日のノルの狩猟成果の買取、ルーデンの町長からの臨時報酬。冬の稼ぎで、俺たちの所持金は見違えるほど増えていた。
キンネ:3,226,200ゼナ
ノル :1,126,700ゼナ
ノルの3,000万への道のりは、まだ遠い。だが、確実に増えている。俺も、去年の秋はノルの給料を現金で払う余裕が無かったのに、今や内部留保300万越え。これで、余裕を持って瘴気の沼遠征の買い出しができるだろう。
メモ帳を閉じたところで、ノルが夕食の食器を置きながら言った。
「主。今日、馬屋の男から面白い噂を聞いたぞ」
「面白い噂?」
「ガロス殿が、酒場で自慢して回っているらしい。『あの坊主は、儂が見つけ出した数字の天才じゃ』と」
「え、待って」
「それを聞いた警備隊の連中が、『警備隊はギルドの倍の賃金を払った。ギルドはしみったれだ』と返しているらしい」
酒場で、ギルドと警備隊が、俺の話をしているだと。神殿に見つからないように目立たない方針は、どこへ行った。俺のせいじゃない。俺のせいじゃないよな?
「……まあ、事務能力で目立つ分には、問題ないよね。たぶん」
自分に言い聞かせて、俺はランプの灯りを一段落とした。
ずどん、と外から音がした。
飛び起きて窓の外を見ると、庇から滑り落ちた雪の塊が、道端で砕けて粉を舞わせていた。ここ数日、町のあちこちでこの音がする。屋根の雪が、自分の重さで落ちる季節。
春が、来る。
俺たちは、瘴気の沼遠征の買い出しに、道具屋へ向かった。
日持ちする食料。万が一、泊りになった時に備えて、簡易テントや寝袋。火起こしの魔道具や鍋や食器をかごに放り込みながら、俺はメモ帳の準備リストを確認する。解毒剤10本を籠に入れた時に、店主に声をかけられる。
「坊主、ずいぶん物騒なものを入れてるじゃねぇか。沼にでも行くのかい」
「はい!」
「おいおいマジかよ。ちょいと待ちな」
店のおやじが真顔になって、店の奥から金属のペンダントを出してきた。平べったい金属板の表面に細かい魔法陣が刻まれている。
「沼に行くなら、瘴気対策は真剣に考えろ。スキル無しの坊主には、瘴気避けのペンダント。それから、魔力無しの連れの奴隷には、この毒消しマスクだな」
おやじがカウンターに並べたのは、銀色のペンダントと、厚手の黒い布マスクだった。俺たちは、本当にルーデンの町で噂になっているようだ。国のお偉い役人さん、個人情報保護法も早く作ってくれ。
「ノルにもペンダントを──」
「それは1つでいい。持ち主の魔力を吸い続けて瘴気を弾く魔道具だ。俺には使えない」
「兄さん、このマスクは坑夫向けに作ってる専門職人の品だ。ペンダントほどじゃないが、だいぶマシになるぞ」
結局、瘴気除けの魔道具ペンダント(18万ゼナ!)を1つ、厚手のノル用マスク2つ、薄い俺用のマスク2つを買うことにした。
ノルに試着してもらったら、見た目は異世界の外科医だった。しかも黒いから厨二風味が追加されている。コゲがマスク姿のノルを見上げて、尻尾を下げた。怖いらしい。わかる。夜道で会ったら俺も秒で逃げるかもしれない。
店内を回っている時に、懐かしい棚が目に入った。
魔法懐中時計だ。
普通の品が1万ゼナで並んでいる。この世界に来た2日目に、指をくわえて見上げたやつだ。だが、俺が手を伸ばしたのはその隣──秒針があり、分刻みの目盛りが入っていて、外装に革が巻かれた冒険者仕様の上位モデル(10万ゼナ!)だ。
カウンターから、店のおやじの声が響く。
「坊主、そいつを持てば、駆け出し冒険者は卒業だぞ。落としても、水に浸けても壊れねぇ。タイマー機能もある。ダンジョンに行く連中が指名買いする時計だ」
「瘴気の中の滞在時間は、正確さが大切ですよね。命に直結しますから」
「子供が言う台詞じゃねぇよ、がっはっはっ」
長らく相棒を務めてくれた砂時計は、ひっくり返し忘れで何度も俺の計測を無に帰してくれた。だがこれで、いくら本に夢中になっても大丈夫だな。よしよし。
会計を済ませようとした時、ノルが棚の隅を指さした。
「店主。あれは何だ」
革紐のついた、手のひらサイズの金属の筒が二つ並んでいた。筒の先に革のカバーがあり、その中に小さなボタンが一つだけ付いている。
「ああ、入荷したばかりの魔道具だ。片方のボタンを押すと、もう片方が振動して光る簡易伝信器さ。通話はできない下級品だが、それでも高ぇぞ」
「これは魔力が無くても使える魔道具か?」
「ああ、誰かが魔力を込めればいい。押すときには魔力はいらねぇよ」
「値段は?」
「30万」
ノルは振り返って俺を見る。
「ノル、30万だよ? しかも1日数回しか使えないって書いてあるし」
「主が、俺がいない場所で倒れた時用だ」
思わず目を逸らしてしまう。井戸でやらかした俺には耳が痛い。だが、30万は大きい。
「あのな、ノル。俺は倒れたらボタンを押せない。つまり、俺が持っていても意味が──」
「きゃうきゃう」
二人同時に、コゲを見た。
コゲは、じっと見つめ返してきた。尻尾がゆっくり揺れている。
「……試すか」
ノルが店主に断って伝信器を棚から取り出し、片方をカウンターの端に置く。
「コゲ。ここを開けて、中のボタンを押してみろ」
ノルが伝信器を床に置いて、筒の先を指で示した。コゲはくんくんと匂いを嗅ぎ、ちょっと首を傾げてから──前足で器用にカバーを開け、ぽんっとボタンを踏んだ。
カウンターの端に置いた、もう片方の筒がぶるっと震えて、淡く光った。
「きゃうん!」
コゲが得意げに胸を張る。すごいドヤ顔だ。
「わかったよ……買うよ」
俺は籠に伝信器を追加した。ノルが、少しだけ口の端を上げながら聞いてくる。
「主、これは経費とやらで落とすのか?」
「急にどうしたの?」
「主の真似だ」
「ふーん。それなら、勘定科目は工具器具備品として処理します。高額でも耐用年数で減価償却していけば問題ありません。ノルグレンさん、これでよろしいですか?」
全く理解できないノルが、口元を不満げに歪める。少し用語を覚えた総務2年目が、歴10年の総務課長代理をからかうなんて早いんだよ。なめんな。
宿に帰ってから、コゲは何度も俺の腰に下げた伝信器のボタンを押す練習をさせられていた。コゲのドヤ顔は3回目までで、それ以降は死んだ目で繰り返していた。
もちろん、俺もノルに言われたとおりに、うずくまったり、仰向けに寝そべったり、毛布にくるまったりと、色々な姿勢をとらされる。過保護全開なのか、経理用語の復讐なのかは不明だが、途中から俺の目も死んでいたはずだ。
その夜。俺はメモ帳の新しいページに、出張計画を清書した。
『瘴気の沼 出張計画
目的:①キンネの魔力増強(ノルの左腕の治療のため)
②アラクネの糸(魔法鞄の素材)
③収入アップ(毒消し草は薬草の3倍!)
必須装備:毒消しマスク、瘴気避けの魔道具、懐中時計、解毒剤
留意:・ノルの滞在時間、コゲの同行適正は初日に計測確認
・毒物劇物取扱手当2,000ゼナ/日を追加』
書き終えたページを、隣からノルが覗き込んだ。しばらく黙って繰り返し読んでいた目が、ふと一番上の行で止まる。
「……①が、先頭なのか」
「先頭だよ。もちろん」
俺はペンの尻で、ページをトントンと叩いた。
「沼に通って、瘴気を吸えば俺の魔力が増える。増えたら、ノルの腕の絡まり団子を切って糸を繋ぐ。ノルに魔力が戻る。──そこが俺たちのスタートなんだ。ダンジョンも、魔法鞄も、3,000万も」
「上手くいくかはわからんぞ」
「紅焔刃、だっけ。俺ね、ノルが炎をまとわせた剣で戦うのを見るのが、めっちゃ楽しみなんだ。きっと大丈夫だよ」
「主、この『どくぶつげきぶつ…』とはなんだ?」
「特殊作業手当だよ。命がけの職場環境に対する当然の権利です」
ノルが天井を仰いで、大きく息を吐いた。それから、膝の上で眠っているコゲの背を、大きな手のひらでゆっくり撫でる。
俺はペンを置いて、ページを見直した。出張申請書としては、過去最高に物騒だが、決裁権者が俺なので問題ない。
窓の外で、また屋根の雪が、ずどんと落ちる音がした。
◇─────────◇─────────◇
ノルの買い戻しまで:28,853,300ゼナ
◇─────────◇─────────◇




