1-33 全部盛り定食の復活
冬の陽は短い。暗くなるのが早い分、宿に戻ってからの時間は長かった。
シャワーを浴びて部屋に戻ると、コゲが定位置──俺のベッドの真ん中──を既に確保していた。窓辺では、ノルが剣の手入れをしている。いつもの夜だ。
いつもの夜だが、今夜の俺は、かねてからの懸案事項を片付けるつもりだ。年度末が近づくと始まる面倒なアレだ。
「ノルグレンさん、座ってください。今から自己申告面談を行います」
「意味がわからん」
そう言いながらも、ノルの向かいの椅子に座った。何か面白そうなことが始まると感じたコゲがノルの膝に飛び乗る。
「年に一度、使用者が労働者の状況を確認する面談です。大陸奴隷法第14条にも、『使用者は奴隷の心身の状況を定期的に把握し、適正な就労環境の維持に努めなければならない』という条項があります」
「十分な待遇を受けている。不要だ」
「ご納得いただけたようですね」
「してない」
「今回は初回ですので、私からのヒアリング形式で進めます。次回からは自己申告シートの記入をお願いいたします」
「納、得、し、て、な、い」
「それでは、まず。──現在の業務内容に、ご不満はございますか」
「はぁ……やるんだな。不満はない」
「ご回答、ありがとうございます。では、異動を希望する部署はございますか」
「大物狩り部隊」
「却下です」
「……聞いておいて却下するのか」
「ヒアリングの結果、現在の適性に合わないと判断いたしました。次の質問です。職場環境の改善要望はございますか」
ノルが、少し黙った。コゲを撫でながら、視線をわずかに逸らし、珍しくもじもじしている。
「できればでいいが……その、もう少し……肉の量を増やしてほしい」
俺はペンを止めてノルの顔を見上げた。少し耳が赤くなっている。
ノルの毎晩の夕食は、最初の金欠だった頃からずっと普通定食(大盛り)を頼んでいた。だが、今の俺は懐にかなり余裕がある。それなのに、6歳児の体の自分が十分だったからそのままにしていた。完全な俺の落ち度だ。しかも、ノルはそんなに肉が好きなのに、いつも俺に2切れもわけてくれていたのか。
「……大変、失礼いたしました。本日の夕食から全部盛り定食にいたします」
「いや、そこまでは──」
「適切な福利厚生です。もちろん、昼の弁当も改善させていただきます。即日施行いたします。貴重なご意見、ありがとうございました。では、次の質問に移ります」
ノルは何か言いかけたが、俺の勢いに押されて口を閉じた。面談の主導権は、面談官にあるのである。
「上司との関係に問題はございますか」
「給料の払い過ぎ」
「却下」
「休ませようとし過ぎ」
「却下」
「……もう少し太った方がいい」
「善処します。──というか、どれも上司との関係の話ではありません」
「それなら、主に前から聞いてもらいたかった頼みがある。走るな、登るな、一人で遠くへ行くな。何度言っても聞かないだろ」
「それは私ではなく児童相談所の管轄です。最後の質問へ進みます」
「じどうそうだん? 何だそれは」
「お気になさらず。では、ノルグレンさんの来期の目標を一つ、お聞かせください」
ノルが、黙り込んだ。コゲが膝の上で耳をぴくぴくさせている。
「……目標か」
「何でも構いません」
「わからん。考えたことがない」
奴隷の来期の目標。考えたことがないのは、当たり前だ。自分で自分の未来を決められない立場で、来期なんて言葉は無意味だっただろう。だが、未来を考えることは大切だ。出会った頃のような投げやりな死にたがりの態度は無くなったが、かといって前向きに生きているようにも見えない。今でもたまに「奴隷だから」という言葉も出てくる。
俺は、ペンをくるくると回しながら、面談官の声を少しだけ崩した。
「じゃあ、宿題にしよっか。春までに一つ、考えておいて。何でもいいから」
「……何でもいいのか」
「うん。何でもいいよ。ノルがこれからやりたいことを考えてみて」
ノルは天井を見上げて、小さく頷いた。
俺はメモ帳の面談記録に、『来期目標:未定(春までに本人回答予定)』と書き込んだ。
休日。ノルは夜が明ける前に起きて、装備を整える。裏口社長賞方式で手に入れた、軽くて暖かい雪豹コートを羽織り、剣を腰に差す。この瞬間のノルは、事務室で書類を運んでいる時とは、まったくの別人だ。全身から生命力があふれ出している感じだ。
「コゲ、行くぞ」
コゲが跳ねるように駆け寄り、ノルの足元でくるくる回る。二人とも、体がうずうずしているのが丸わかりだ。平日のデスクワークの鬱憤を、全部ここで晴らすつもりらしい。
「無理しないでね。労災は手続きが面倒なんだから」
「問題ない」
ノルは短く答えて、雪の中に消えていく。コゲだけが、必ず一度、こっちを振り返って寂しそうに「くぅん」と鳴く。それから諦めたように、ノルの後を追って駆けていく。だがコゲのしっぽは、嬉しそうにグルングルン回っているのが見える。コゲが俺に気を使って演技してくれている疑いは晴れない。
ノルは夕方、大型の橇に獲物を山積みにして宿に戻ってくる。雪狼、雪鳥、たまに氷大猿や雪豹。たった1日で、平日の事務5日分の合計日給以上を稼いでくる。収支的には助かるが、本業よりもサイドプロジェクトが順調な経営者のようで複雑な気持ちだ。
「おかえり、二人とも」
「きゃう!」
コゲが真っ先に飛びついてきて、頬を舐める。鼻先が冷たくて、ひゃっと声が出る。スッキリした顔で満足気なノルが、コゲごと俺を抱き上げて橇に乗せ、一緒にギルドへ向かい、魔獣の買取をしてもらう。冒険者は冬になると南の方へ出稼ぎに行く人が多いため、冬でもコンスタントに魔獣を持ち込むノルは、ギルドの買取職員からありがたがられているようだ。
宿に戻ると、まず温かいシャワーを浴びる。冬場は特に、これが何よりも嬉しい。魔道シャワーの魔石に俺が魔力を流し、一日中屋外にいたノルに先に温まってもらう。その間に俺が部屋の暖房の魔道具を再起動して部屋を暖める。そして入れ替わりで俺がシャワーを浴びてやっと落ち着く感じだ。コゲは疲れが出るのか、うつらうつらとしていることが多い。シャワーが嫌だから、寝たふりをしている説もある。
夕食は、宿の食堂から部屋に運ぶ。ノルは今日も全部盛り定食をペロリと平らげ、屋台で買ったリンゴ飴を齧っている。最近は、たまに自分の食べたいものを給料から買うようになっていた。意外に甘いもの好きでかわいらしい。コゲは焦げた肉や野菜の部分だけを選んでかじり、俺はいつものパンとスープ──に加えて、最近は肉が5切れ、当然のようについてくる。ノルのお裾分けが、いつの間にか増えていた。俺はそんなに甘いものが好きなわけではないが、ギルドや警備隊の事務員さんが焼き菓子を頻繁にくれるので、それをデザートに食べたりする。もちろん、ノルへお裾分けのお返しに渡したりもする。
食後は、コゲのブラシの時間だ。休日の狩りから帰った毛には、小枝や小石の欠片が絡んでいる。
「コゲ、じっとしてろよ」
膝に乗せてブラシをかけると、コゲは目を細めて、されるがままになる。
「今日はね、警備隊隊員の一覧表を作ったんだよ。ダンさんが3人もいるから、ファイル名を付ける時に、みんな混乱してるだろ。ダン1、ダン2、ダン3にしたから、これからスッキリするはずだよ」
誰にともなく、一日の報告をする。コゲは相槌の代わりに、尻尾をゆらゆらする。
「ノルは今日、どうだった」
「コゲが悪くない働きだった」
いつもの窓辺で剣の手入れをしながら、ノルが答えた。
「あの大きい方の雪狼は、こいつが先に気付いた」
「へえ、やるな、コゲ」
褒めると、コゲは得意げに顔を上げ、それから甘えるように俺の手にすり寄ってきた。ブラシが止まると、鼻先でつついてくる。まだやれ、ということらしい。
「わかったわかった」
もう一往復、ブラシをかけてやる。窓の外では、雪が本降りになっていた。
寝る前、コゲはいつも通り、俺のベッドによじ登ってくる。丸くなって脇腹にくっつく体温は、冬の夜にちょうどいい暖房だ。ノルの手がコゲと俺を包み込む。俺たちの部屋は2つのベッドをくっつけたハリウッドツインの配置にしていた。部屋の四隅と枕もとの合計5か所に魔道ランプが淡く光っている。いつものように3人で真ん中に引っ付いて眠る。
「おやすみ。ノル、コゲ」
「……ああ」
「くぅん」
冬は、やっと半分が終わった。そろそろ、春に向けて準備を始めなくては。




