1-32 事務員ノルグレン
朝の支度はにぎやかだ。2人と1匹分だから当然である。
「コゲ、今日もついてくるの? 留守番でもいいよ」
聞くまでもなかった。コゲはとっくに扉のところでぴたりと座り込み、金色の目で「早く行くぞ」と急かしてくる。事務仕事に付いてきた最初の日は、書類の山をフンフンと嗅ぎまわっていたが、すぐに飽きて、今はギルドや警備隊の受付嬢たちのアイドルになっている。窓口の足元で丸くなり、撫でてもらうのが日課だ。若干あざとさを感じる。
宿を出ると、ノルが俺を抱えて運んでくれる。特別交通費はずっと継続中だ。
ところで、最近の俺の首には青緑色の温かい毛糸の襟巻きが、手には同じく青緑色の革の手袋が嵌められている。少し前の休日に、ノルが黙っていきなり買ってきたのだ。しかも俺のサイズにぴったりだった。
「これ、いくらだったの? 経費で精算するよ」
「不要だ」
「いや、だって俺の防寒着だから──」
「不要だと言った」
ノルはいつにもまして、頑固だった。給料を自分の主人の防寒具に使う奴隷が、どこにいるのだろうか。子供の成長は早いんだぞ、サイズぴったりなんてもったいないのに。
基本的に外は抱っこ移動だし、ノルは風が当たらないようにいつも庇ってくれる。しかも、俺にもノルとお揃いの雪豹のマントがあるし、正直に言うと襟巻きと手袋は無くても問題ない。でも、俺が身に付けるとノルが少し嬉しそうな気配になるので、必ず外出時は襟巻と手袋を付けるようにしている。何で、俺の一番好きな色がわかったのかは謎だ。
「まず、書類の分け方だ」
警備隊の仕事の初日。書類倉庫でノルが口を開いた。事務員二人が、姿勢を正す。ノルの声には、人を従わせる力がある。元騎士の統率力だろうか。事務能力はゼロだが、これだけで場が締まる。
「巡回記録、事件簿、備品台帳。この3種類で山を分ける」
「3種類だけで、いいんですか? もっと細かく分けた方がいいのでは」
若い事務員の質問に、ノルは黙り込んだ。
「3種類に分ける」は、あらかじめ俺がノルに教えておいた整理方法だ。だが、Q&A対応を仕込む時間はなかった。そう、これは株主総会の事務局対応と一緒だ。株主からの質問に、後ろから社長にそっと書類を渡すやつだ。まあ、前世の会社には物言う株主はいなかったけど。
俺は横から、さりげなく口を挟んだ。
「ノル、最初から細かく分けると、迷う書類が増えるんだよね? まず大きく分けて、それぞれの山の中で、また分ければいいって言ってたもんね」
事務員は俺を見てから、ノルを見た。ノルは腕を組んだまま、重々しく頷いた。
「うむ。……その通りだ」
いい感じだ。俺が説明して、ノルが承認する。この形ならいける。
「最初に、書類の右上に、書き込むルールを決めるって言ってたよね? 俺もやってみたい。えーっと、日付、内容、担当者の順番だったっけ?」
見本を紙に書いて見せた。
『170707 巡回記録 南門』
「そうだ、それでいい」
「えーっと、日付は大陸歴の下2桁と月日なんだよね? ちゃんとノルが教えてくれた通り、「7」じゃなくて「07」って書いたよ! カッコの中は、担当者の名前。これで大丈夫かな?」
「うむ。大丈夫だ」
二人が、物珍しそうに見本を覗き込んだ。
ファイル名の統一ルールは大切だ。
前世の会社では、「DX推進」とは名ばかりの「紙書類の電子化」を進めていた。だが、マニュアルを配布しても、説明会を開いても、OJTで注意しても、何度も何度も電帳法対応データのファイル名を間違える猿どもが……ゴホンゴホン。ふぅー。落ち着け、俺。
「このルールは、後で書類を探す時に便利なんです」
「……これは、いいですね。今までは中身をめくって確認するしかなかったので」
「これならすぐに探せるわ。さすがノルグレンさんですね」
「そうなんです。検索性は大事ですよね。さらにこの紙クリップを──」
「おい、坊主」
マドック隊長が、苦笑した。
「お前、付き添いじゃなかったのか」
「あ。……えっと、ノルが言ってたやり方を、僕が代わりに説明してるだけです。僕も手伝うって言ったら、昨日、ノルが教えてくれたので。えへへ」
キラキラ6歳児スマイルを振りまいておく。マドック隊長の目が細くなった。信じてもらえたかは怪しい。だが、この人は過程より、結果を優先するタイプとみた。前世の会社の第一営業部課長に雰囲気が似ている。例えグレーでも、売上の数字さえ達成すれば評価するあの人は、そう言えば、コンプラ研修ではぐっすりと寝ていたな……。
この日から、4人での分業が始まった。俺が分け方と見出しの付け方をノルに確認している風に見せながら決め、補助事務員の2人がそれに従って整理していく。ノルは棚の上段と重い書類箱の運搬を担当した。パワー大事。
最初の3日は、細かい相談が何度も挟まった。
「ノルグレンさん、この書類、巡回記録なのか事件簿なのか、曖昧なんですが」
ノルは一瞬だけ、ほんの一瞬だけ俺を見た。
──おい、こっち見んな。学習したんじゃないのか。
新しい仕事には応用が利かないノルの代わりに、仕方なく俺が口を開いた。
「ねぇねぇ、僕にも見せて。うーん、巡回中に見つけた事件の報告だから、どっちにも関係あるね。あっそうだ! こういうのって、巡回記録に入れておいて、事件簿の方に日付と「巡回記録に関連書類あり」って書いた紙を入れるといいって、ノルが言ってたよね。後から辿れるから便利だって」
「なるほど……それだとどちらからでも探しやすくていいわね」
「うむ。……その通りだ」
ノルの視線は泳いでいた。あの首の捻り方は、たぶん、俺の言ったことは半分しか理解できていないのだろう。だが、女性事務員さんは、感心したように頷きながら書類整理の机に戻っていった。
それは、ショートカットアイコンってやつです。元データのコピーを増殖させるのは、サーバの負担が増えるのでマナー違反なのです。でも元データを勝手に移動されると迷子になるやつです。共有ファイル名を勝手に変えるのもやめてください。ふぅー。いい天気だなー。大雪だけど。
書類の山は、着実に棚へと移っていく。床が少しずつ見えてきた。
「主」
書類を棚に並べていたノルが、手を止めた。振り向かないまま、緑の紙クリップがついた書類の束を静かに差し出してくる。それは、昨年の秋の巡回記録だった。俺は中身を一部だけ書き換え、緑のクリップを外してノルに返した。ノルは受け取って、そのまま書類棚に並べた。
俺は、事件簿の棚へさりげなく移動して、いくつかの書類を出し入れして確認するふりをしながら、数枚の書類を抜き取って腰の革鞄の中に隠した。
それから、また、床の蟻塚を崩す作業へと戻った。




