1-31 ノルが言ってました
ガロスさんに通された奥の部屋は、壁に歴代ギルド長の肖像画がずらりと並んでいた。その一番手前、新しい額の中の顔に、俺は見覚えがあった。
今より若いが、間違いなく、目の前の老人だ。額の下に、金文字で名前がある。──ガロス・ヴェンドリック、第16代ギルド長。
「……ガロスさん、これ」
「ああ。儂は、ここのギルド長をしておった。5年前に隠居した身でのお、暇つぶしに手伝いに来とるだけじゃ」
それで、熊のギルド長への口利きもできたんだ。なるほど専務じゃなくて、前社長で現会長だったのか。ニヤリと笑っているガロスさんに、俺も苦笑いするしかなかった。
ガロスさんは咳払いして椅子に深く座り直し、俺をじっと見た。
「ときにキンネ坊。ちぃと聞きたいんじゃが……お前さん、連れの奴隷はどうするつもりじゃ? 何やら、日給以外の手当もたっぷり与えていると聞いたが」
「ノルに自分を買い戻させる予定です」
そう答えると、ガロスさんは一瞬、ポカンとした顔をした。それから、深く息を吐いて頭を振った。
「……そうか。奴隷に関する国法に、そういう条文があったのう。恥ずかしながら、忘れておったわい」
「形骸化してますからね、あの法律」
「ふふっ、手厳しいな。……じゃが、その通りじゃな。儂も長年ここにおるが、奴隷の扱いはそういうもんじゃと、深く考えたこともなかった」
ガロスさんはしばらく黙って、窓の外を見た。
「これからは、少し目を配ることにするよ。お前さんには教えられることばかりじゃな」
俺一人では、きっとどんなに頑張っても、奴隷の扱いを変えることはできない。だが、心強い味方が一人増えたかもしれない。事務の仕事をした中での一番の報酬だった。
今まで以上に遠慮がなくなった俺は、書類の整理をしながら、数字のミスを見つけるたびに、ガロスさんに報告した。討伐報酬の計算、買取金額の集計、月次の収支。目を通すたびに、小さなミスがぽつぽつ見つかるので、間違いやすい項目の一覧表を作った。もちろん、人前ではあくまでもノルからの指摘の態をとる。
「ガロスさん、ガロスさん。ここ5年の集計によると、1番多い間違いが、ネムリ草とケムリ草の買取単価ミスで28件です。続いて、青葉蜥蜴と青羽蜥蜴の19件、白露光虫と白霧光虫が11件。全部で68種類176件です。ギルドの信用に関わりますから、全体で情報共有した方がいいかもしれません。……と、ノルが言ってました!」
「ふむ、重要じゃな」
ガロスさんが、買取業務に携わる全員を集めて、間違いやすい一覧表を配った。
「ガロスさん、ガロスさん。転記ミスも目立ちます。受付の月次集計は合っているのに、本部への報告書に転記する時に間違えているようです。二人一組の読み上げ確認を導入した方がいいかもしれません。……と、ノルが言ってました!」
「どらどら……なるほど」
ガロスさんが、報告書類作成業務に携わる全員を集めて、研修を仕切っていた。俺は部屋の隅で、黙って見ていた。ガロスさんが説明する内容は、俺が作った。「目的の明確化」「1スライド1メッセージ」「わかりやすい例」なんかの、パワポ資料作成のコツを思い出しながら作るのは楽しかった。
昨年の書類の計算ミスや記載ミスは、まとめてガロスさんに報告した。中でも厄介だったのは、遠征依頼の精算書だった。何人もの手で書き写されるうちに、途中の1枚で「36」が「86」に化けて、その数字のまま最終合計まで引き継がれていた。ユニバーサルデザインフォントの偉大さを思い知る。
「ガロスさん、ガロスさん。今年の分も計算し直した方がいいです」
「……本気で言っておるのか。1年分じゃぞ」
「1日1冊ずつ潰せば、12日で終わりますよ」
「ノルが言っておったのか?」
「あ! 忘れてた。ノルが言ってました!!」
ガロスさんは少し遠い目をしたが、結局は俺の言う通りにしてくれた。12日後、同じ型のミスがさらに3件、見つかった。
「あいつら、化け物か……?」
職員の声が聞こえた。ノルが静かに振り返り、声の方に顔を向けた。
「化け物ではない。確認作業が得意なだけだ」
──おい。それは俺の台詞だ。しかも自分の手柄みたいに言うな。いや、ノルがやってることになってるから間違いではないけど。
ノルのおかげで職員は黙った。190センチの威圧感は、事務室でも有効だった。
ある日、いつものようにノルに質問が飛んだ。
「ノルグレンさん、この紙クリップの色は、何色を使えば──」
ノルは、俺を見なかった。
「灰色だ。問題のない3年以上前の記録は灰色」
正解だ。俺は少し驚いて、ノルの横顔を見た。とうとう学習した男、ノルの口元がほんの一瞬だけ上がり、すぐに無表情に戻った。
──覚えやがった、こいつ。
書類整理を始めて2か月もたつと、だいたいの整理は終わってしまった。後は、棚に並べた書類の再確認と今後のマニュアル作りだろうか。
そんなことを考えながら、いつも通り作業部屋に向かうと、入り口の前で、見知らぬ男が待っていた。がっしりした体格に、見覚えのある警備隊の制服。
「お前がノルグレンか。ザイデンギルド長から聞いている」
男の目がノルの首輪に向いていた。ノルはチラッと抱えている俺に目を向けて答えた。
「はい、私がノルグレンです」
「警備隊隊長のマドックだ。単刀直入に言う──うちの書類も、見てくれ」
「えぇぇ! 警備隊の書類ですか!?」
俺は、思わず声を上げてしまった。
マドック隊長が俺の顔を覗き込もうとするのを、ノルが体を捻って避ける。
「こいつは?」
マドック隊長の言葉に、ノルから少し威圧が漏れ出す。
「俺の主人で、付き添いです」
「あぁ、そういえば子供と大男の奴隷の噂は聞いていたが、お前たちのことだったのか」
ノルがやらかす前に、俺は仕事の話を進めることにした。
「隊長さん、書類の内容はどんなのですか? ノルにできるかなぁ」
「巡回記録に事件簿、備品台帳……この10年、ろくに手を付けていない。正直、何がどこにあるのか、俺自身わかっていない。書類の量はギルドの3倍はあるだろう」
10年放置で3倍。想像しただけで、指がうずく。だが、事件簿は個人情報の塊……どうしようか。
「日給はギルドの2倍出す」
ノルが俺を見た。俺は頷いた。ノルが口を開く。
「……お受けする。ただし、主人の許可が必要だ」
「おい小僧、何か条件があるなら言ってみろ」
隊長さん、そのぞんざいな口のきき方はやめてくれ。収まりかけた過保護ノルの威圧が、また漏れ出してきたじゃないか。ピリッと痛い。
「作業のやり方は、ノルに任せてください。それと、ギルドの仕事も残ってるから、週に1日はギルドへ来るのを許してください。あと、俺たちは週に2日の休みをとります。なので、警備隊には週に4日通います」
6歳児スマイル満開で無邪気を装って条件をつけた。マドック隊長は俺を見て、ふっと笑った。
「この主人は、随分と口が達者だ。しっかり交渉するじゃねぇか」
「春になったら冒険者の仕事に戻るので、あと1か月半くらいしか仕事はできませんよ」
「むむ、そうか。それなら事務員を2人つけよう。ノルグレン、使ってくれ」
「えぇ邪魔……いらないんだけど……」
「小僧、なかなか気に入ったぞ。ノルグレン、詳しい話は詰所でしよう」
警備隊の書類倉庫は、聞いていた以上だった。天井まで届く書棚に、書類が無理やりぎゅうぎゅうに詰め込まれている。もちろん、床には蟻塚のような書類の山が何本も立っている。扉を開けた瞬間に崩れ落ちてこないのが、不思議なくらいだ。案内してくれた事務員の2人──若い男の人と、中年の女の人──は、入り口で早くも気まずそうにしていた。
「これが……その、10年分です」
「聞いてはいましたが、想像以上ですね」
「ほんとにお前は、口がいっちょ前だな。がははっ」
警備隊隊長のマドック隊長が、笑いながら乱暴に俺の頭をなでる。コゲが、すかさず俺とマドック隊長の間に割り込んで、きゃんきゃん吠えた。最近、ノルの真似をしてコゲも過保護になってきた。中身32歳としては、正直、後ろめたい。
だが、ここでの俺は、あくまでノルの「付き添いの6歳児」だ。二人で作業できたギルドと違って、他の人の目もある。今後は言動に気を付けようと気を引締めなおした。
ノルが腕を組んで、書類の山を見上げた。堂々としている。たぶん何も考えていないだけだが、見た目の威厳だけは満点だった。




